<救急飛行>

安全に関する諸問題

 

 ヘリコプターにとって、救急は戦争に次ぐ危険な任務といわれます。いつ発生するかもしれぬ出動要請に備えて常に待機し、要請が出れば寸刻を争って離陸し、未知の場所に着陸しなければなりません。戦争と異なるところは、敵の弾丸が飛んでこないだけです。

 それゆえ特にアメリカでは、救急ヘリコプターの増加につれて毎年10件を超える事故が発生するようになりました。そのため社会問題にもなり、今年から事故8割減の運動も始まりました。夜間飛行が多いというアメリカだけの特殊事情もあるのでしょうが、基本的な条件は日本も変わりません。任務の性格から関係者全員が緊張を強いられ、計画的な余裕のある飛行ではないだけに、乗員にはストレスがかかります。その結果、エラーを誘いやすく、ヒューマン・ファクターに起因する事故が多くなるゆえんです。

 こうした困難な環境の中で、安全確実に任務を遂行するには如何あるべきでしょうか。救急ヘリコプター・システムは、さまざまな分野の複雑な組み合わせから成り立っています。直接には航空と医療という全く異なって、しかも複雑微妙な高度の技能が要求される分野の結合です。それに警察、消防などの公的機関が関係し、活動の舞台は多数の車や人の行き交う公道や広場です。

 したがって、救急ヘリコプターの安全は独りパイロットだけの課題ではありません。むしろ、それ以上に周囲の関係者の積極的な協調態勢が必要です。もとよりパイロットが中心ではありますが、一緒に飛行する医師、看護師、救急救命士の安全への意識と練度、あるいは地上にある運航管理者、救急隊員、警察官、さらには運航会社や病院の職員、最終的には一般社会――救急現場近くの通行人や車両運転者はもちろん、自治体や国の施策までも安全に関係してきます。飛行の安全は、こうした大きな構造で支えなければ、支えきれるものではありません。

 その構造が歪(いびつ)で支柱が欠けていては、安全の確保もむずかしくなります。構造をゆがめる要因としては、たとえば「君子危うきに近寄らず」といった姿勢です。「二次災害」などという責任回避の言訳は却って危険です。規則や基準や管理を強化すればよいとする考え方も不十分です。

 最近は如何なる作業にもマニュアルの作成が求められますが、マニュアルは作業手順を示すだけの必要最小限の条件にすぎません。必要条件の上に、さまざまな関係分野の緊密な連携と協調という十分条件が加わらなければ安全は保てません。

 人を助けるはずの救急機が人の死を招くことのないよう、必要にして十分な安全構造をつくり上げたいと考えます。

(西川 渉、安全に関する基調講演要旨、
第13回日本航空医療学会総会抄録集掲載
2006.年11月11日開催、2006.11.29)

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