<最近読んだ本>

アメリカの戦争

 

 

「20世紀にアメリカが関与した戦争をアメリカの視点から見れば……国益と結びつかない紛争や戦争からは手を引く……何の役にも立たない紛争に介入してアメリカ軍兵士の命が失われれば、政権が批判を受ける……逆に、アメリカ本土がさしたる被害も受けずに、軍需産業や石油資本に大きな利益をもたらすならば、アメリカは戦争を躊躇しないのである」(内藤正典、『新しい戦争とメディア』、明石書店、2003年4月10日刊)


「サダムがやったのか」「いや、アメリカの空爆でやられた」 

「(アフガン戦争で)米軍の飛行機から投下されたのは、爆弾だけではない。食糧も投下された。……日本軍が、パールハーバーで、爆弾とともに美味しそうなテリヤキ・チキンを投下していたら、アメリカ人と世界は、日本人を好ましく思っただろうか。もしも2001年9月11日、テロリストたちが世界貿易センタービルに突入する前に、マンハッタンでホット・バストラミ・サンドイッチを投下していたら……」

 食糧投下を好ましく思ったのは、落として貰った方ではなくて、落とした側だった。アフガンへの食糧投下を知って「何百万人ものアメリカ人が『自分たちの気高さ』にほこりを感じたのだ」。つまりアメリカ政府のねらいは、アフガン人の感謝ではなくて、アメリカ国内向けのプロパガンダであった。(ウィリアム・ブルム、『アメリカの国家犯罪全書』、作品社、2003年4月20日刊)


血のインクで刷った戦費

「我々は自らの罪を調査することはしません。負けた国だけが『悪いことをした』といわされる。第2次大戦後の東京裁判が行われたのは、日本が負けたからです。ワシントン裁判などというものは開かれませんでした。毒ガスを使ったチャーチルに対する戦争裁判もありませんでした。敗れた方だけが自らの罪を見つめる。そのようにし向けられるのです」(ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール』、集英社新書、2003年4月22日刊)


死者の握った宣伝ビラ「サダムを追放しなさい。米国が助けに行きます」

 どうも、年甲斐もなく、過激な本ばかり面白くなってしまって、我ながら困ったもんだと思う。

(西川 渉、2003.5.19)

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