<西川修著作集>

忘れ得ぬ章句

 

 高等学校の頃、父が求められて揮毫をするのに、よく手伝いをさせられたものです。大きな硯にたっぷりと墨をする。毛せんを拡げる。その上に画仙紙をのべ、親父が筆をとって書きすすむに従って、画仙紙を少しずつずらしていったり、なかなか気骨の折れる、しんどい仕事でした。今になって見ると不思議になつかしく、それに傍に待して眺めているうちに、親父のよく書いた章句を自然におぼえてしまって、四十年後の今日でも、少々は、記憶しているのに改めて驚くような次第です。

 その一つ、

  盧山煙雨浙江潮
  未到千般恨不尽
  到得帰来無別辞
  盧山煙雨浙江潮

 読みやすいように書きながしてみると、「盧山の煙雨、浙江の潮、いまだ到らざれば、千般うらみ尽きず、到り得、帰り来たって、別辞なし、盧山の煙雨、浙江の潮」

 廬山は楊子江の中流、江西省、九江(白楽天の詩にもある涛陽の地)に近く、鄭陽湖に臨んだ有名な景勝の地。浙江は揚子江の南、杭州湾にそそぐ銭塘江のことで、ここは潮が満ちて来るとき、三角形せばまる江口で、階段状に高まり、昔から海嘯の壮観を言われている所、まあ鳴門の渦といった具合に、どちらも代表的な中国の名勝らしい。したがって、この意味は全く文字通り、名高い廬山や、浙江のことを話に聞いてあこがれ、まだ見ぬうちは何とかして行って見たいと思いわずらい、言いつのっているのだが、一たび行ってしまえぱ、もはや何のこともなく、別段のほめ言葉もない、というようなことでしょう。

 もう一つ好ぎだった章句

  三級浪高魚化竜
  癡人猶汲野塘水

 前のと同様に書き流して見ると、「三級、浪高うして、魚、竜と化す。家人なお汲む、野糖の水」

 野原の中の潅漑用の池、そこに魚がいる。いつもそこをかい干して土地の人が魚をとる。ところが誰も知らぬある日、この池に大波が立って、魚は竜になって昇天してしまった。そして、その後は池は再びしずまり返っている。人は愚かにもそれに気付かず、またしても池の傍に来て、魚を取ろうと、池の水をかい干している、という具合になりましょう。

 どちらも禅家の語らしい。

 前者は別に何ということもない、人の心の動きを傍から静観している態で、多少皮肉な調子です。

 後者は君子豹変して、周囲の人をひそかに笑っているともとれますし、あるいはもっと一般的に、驚天動地の変革も凡愚には案外気付かないことを諷しているかに見えます。

 この二つを今に至るまで忘れなかったのは、父の思い出につながるというよりは、やはり、この章句の持つ、素直でない皮肉なオトナの感じが、ようやく育年になろうとする頃の私の心を強く捉えたものと思います。                 

(西川 修、徳島大学医局通信、1964年2月)

(著作集目次へ戻る)  (本頁表紙へ戻る