<阪神大震災>

改めて空中消火の問題提起

 『ヘリはなぜ飛ばなかったか』(小川和久著、文芸春秋刊)を読んでつくづく感じるのは、日本の官僚体制のどうにもならない壁の厚さである。「一を聞いて十を知る」というが、十を論じてやっと一つくらいしか動かないらしい。

 しかも、ここで論じられているのは、どうでもいいアサッテのことではない。国民の生命と財産にかかわる重大問題である。それが単なる辻褄合わせの言葉のやりとりだけで終っていいのか。読むほどに、やりきれないほどの絶望感が深まるのである。

 本書を読む前のこと、陸上自衛隊の航空幹部の人と話をする機会があった。そのとき私は、阪神大震災で自衛隊は本当にヘリコプター消火を提案をしたのでしょうかというぶしつけな質問をしてみた。答えは「しました。しかし……」というだけで、それ以上の発言はなかったけれども、燃え上がる神戸を目の当たりにして自衛隊が何を考えたか。どのような提案をしたか。それがどのような経緯で検討され、どのような結論に至ったか。それらのことは本書に詳しく記されている。

「すでに燃え上がってしまった家屋を完全に鎮火することはできないにしても、それが燃え広がって大火にならないよう延焼防止措置を空から講じることは、中部方面航空隊の面々には十分可能と思われた」

 そのためには多数のヘリコプターが連続的に「絨毯爆撃」をする必要があるが、自衛隊にはそれだけの機数もそろっていた。事実、本書によれば、陸上自衛隊だけで当時453機のヘリコプターがあり、うち空中消火に投入できる機材は187機に上り、その中から15機くらいの中型機を選んで、神戸と須磨海岸との間を3〜4分で往復するのは大した問題ではない。

 というので中部方面航空隊では地図を広げ、消火作戦を検討し、準備をととのえた上で「兵庫県を通じて神戸市に空中消火の用意があることを伝えた」。それが地震当日の夕刻、1740時頃である。しかし返事がきたのは夜2200時頃で、明日0700時に決心するという。だが翌18日は7時になっても返事がなく、10時を過ぎてようやく「空中消火は実施しない」という回答があった。

 すでに地震発生から30時間近くたったころである。この結論もさることながら、何故こんなに時間がかかるのか。「火事は小火(ぼや)のうちに消せ」というけれども、消防当局みずからこの鉄則に反しているではないか。問題を首相官邸まで持ち上げて論議と検討をしている間に小火は大火となり、多くの人命と財産を奪ったのである。

 そもそも空から水をまくことは、そんなに大きな問題なのだろうか。雨という天然現象は水が空から降ってくることである。空からの降水は珍しいことでも何でもない。日照りつづきのときには人工降雨の試みもおこなわれるが、火災に際して水をまくこともそんなに特別視する必要はないのではないか。

 もっと気楽に構えて研究や実験から一歩を踏み出し、実地の火災に水をまいてみたらどうなのだろうか。それだって雨の日に火事が出たことを思えば、天然現象と変わりがないはずである。

 もしも、どうしても不安だというのであれば、大金と時間をかけた実験ではなく、実地の火災で小さな試みを重ねてゆき、その経験や実績の中から眞に有効な空中消火方式を編み出していけばいいのではないだろうか。

 そのため本書では、航空法81条の2(捜索または救助のための特例)に消火活動を加えるよう提案している。これには、筆者も賛成である。ほかにも航空法や消防法の上で問題があれば、改正すればよい。人命や財産を守るよりも法律を守る方が優先するはずはないのである。同じ意味で、本書も「有事の際、人命救助のために法律を乗り越えなければならない場合がある」と書いている。

 あの阪神大震災からすでに3年が経過した。ヘリコプターによる空中消火と人命救助の実施体制は、いつになったら出来上がるのであろうか。

(西川渉、『WING』紙1998年4月15日付掲載)

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