合 衆 国 混 乱

 

―― 参照:「合衆国崩壊」 ――

 

 アメリカ本国が攻撃されたのはパールハーバー(1941年)以来だそうである。ウォール街の株式市場が1週間にわたって閉鎖されるのは大恐慌(1929年)以来とか。それならばアメリカで飛行機が飛ばなかったのはライト兄弟(1903年)以来ではないかと思う。

 それにしても、ここで真珠湾が引き合いに出されるのは心外である。テレビでも同じようなことを言うキャスターがいたが、アメリカ人ならばともかく、日本人としては何と浅はかな奴かと思う。あれは戦争である。日本は、攻撃目標を軍艦や軍用機や燃料タンクなどに限定していた。戦争に関する国際的なルールにのっとったもので、多数の民間人を巻き込んで出鱈目かつ残酷な人殺しをやるテロと一緒にしてもらいたくない。

 ただし宣戦布告の手交が1時間ほど遅れた。といっても奇襲のための意図的なものではなく、またしても外務省の怠慢であった。ワシントンの大使館で人事異動があり、前の晩に宴会をやっていて二日酔いのために公文書の英訳が間に合わなかったらしい。そのため世界中から卑怯な不意打ちという非難を浴びたが、日米開戦か否かというギリギリの交渉をしている第一線で、よくまあ酔いつぶれるまで呑むものかと思う。先日来さまざまな不祥事が発覚している外務患僚の救い難い体質は、今に始まったことではないのである。

 もっとも、真珠湾攻撃は今度の事件との共通点もあって、日本がABCD包囲網に追いつめられたことが発端であった。当時のルーズベルト大統領の奸計にはめられ、戦争に誘いこまれたからで、このことは最近翻訳が出た『真珠湾の真実――ルーズベルト欺瞞の日々』(ロバート・B・スティネット, 文藝春秋)で明らかにされているし、本頁では2年近く前に取り上げた

 ルーズベルトは日本が立ち上がったとみるや、報復だと叫んで議会の承認を取りつけ、国民を扇動して戦争に持ち込み、東京、大阪その他の大都市を無差別に爆撃し、ついに原爆まで持ち出した。狂気の沙汰である。かと思ったら戦争犯罪人をでっち上げ、根拠のない裁判で大勢の人を処刑した。「リメンバー・パールハーバー」という言葉も「真珠湾を忘れるな」というよりも、「日本人よ、覚えてろ」というニュアンスに違いない。

 今の大統領も同じ手順を踏んで、「リメンバー・ツインタワー」とばかりに議会の承認を取りつけ、多国籍軍を糾合し、イスラム原理主義者とそれをかくまう国を報復攻撃し、指導者をつかまえて裁判にかけるという。半世紀前と全く同じシナリオではないか。

 もはや彼らはベトナム戦争の苦悩と負け戦(いくさ)を忘れ、湾岸戦争のカッコ良さだけが頭にあるのだろう。そういえば湾岸戦争のときは、現大統領の親父さんが大統領のときだったし、当時の現地指揮官は今の国務長官である。国防長官が今の副大統領だったかどうかは忘れたが、同じメンバーでもう一度2匹目のドジョウをつかまえようというのだろう。

 それよりも、テロ集団は悪知恵のありったけを絞って世界中を驚愕させるシナリオで攻めてきたのである。ホワイトハウスも腕力を振り回すだけでなく、テロ集団に匹敵するだけの知能的なシナリオを書ける者はいないのか。大統領がダメならば、スタッフまでが弱いとみえる。

 14日朝のこと、ホワイトハウスから副大統領が移動したというニュースが伝えられた。移動とか転進とか撤退という言葉は、戦時中の大本営発表にあったように、本当は逃亡のことではないのか。敵の攻撃を察知して逃げたのならば卑怯であり、万一のことを考えたというならば臆病である。

 公式には大統領の後継者として国家安全保障のためという説明だが、どこかヘンだ。次はホワイトハウスが攻撃されることを前提とした措置で、建国以来初めて本土攻撃を受けたせいか、すっかり混乱しているのである。

 混乱に拍車をかけているのは「牛刀をもって鶏を割く」(論語)ような過剰反応をするからである。小さな肉を料理するのに「戦争だ、空爆だ」と大きな牛刀を振り回すものだから却って混乱が大きくなる。

 アメリカの混乱ぶりを航空分野に限って見てゆくと、たとえば定期便の中止によって、北米の交通輸送機能は完全にマヒしてしまった。空港ターミナルからは誰もいなくなり、レンタカーの窓口は大混雑となり、貸し車がなくなると中古車を買い、それに乗って帰る人もいた。

 シカゴで降ろされた乗客は、タクシーをつかまえてロサンゼルスまで走ろうという人がいた。料金は3,000ドル(約36万円)だが、これを4人相乗りで分担することになった。

 ニューヨークからロサンゼルスへゆく長距離バスも満員だった。バスに乗れない人を当てこんで、貨物トラックが荷物の代わりに人間をのせて走った。鉄道の駅にも長い行列ができた。アムトラック鉄道は臨時列車を走らせたが、その列車がどこかで衝突事故を起こした。交通混乱だけでも、かくの如く広がっていったのである。

 そうした交通手段が得られなかった人は、ただひたすら待つほかはなかった。ただし空港の中で寝るのは保安上禁止しているところが多く、ホテルへ泊まれた人はいいけれども、乗客の中にはそのまま飛行機の中で夜を明かしたり、空港のそばの学校の教室にもぐりこんでごろ寝をする人もいた。

 アメリカでは通常、毎日およそ4万便の定期便が飛び、週日の朝は4千機の旅客機が飛んでいる。それが全て止まってしまい、空港への入り口は閉鎖され、立入禁止を示す警察の黄色いテープが張られた。そこへ、ときどき警官が爆発物探知犬を連れて回ってくる。ターミナルの中はガランとして誰もいない。マイアミ国際空港に入ってくる車は1台ずつ検問を受けた。ボストン・ローガン空港ではパーキングビルの中に停めてあった2,000台以上の車が全て引き出され、中を調べられた。

 国内線ばかりでなく、米国で発着する国際線も全て止まってしまった。FAAが全米の空域を飛行禁止にしたため、世界中の空でアメリカに向かって飛んでいた飛行機は出発地に戻るか、近くの飛行場に降りるよう指示された。出発前の便は、勿論すべてキャンセルである。

 やむを得ず、米国へ向かっていた200便がカナダへダイバートした。メキシコへも40便が向かい、成田空港では12日だけで少なくとも170便がキャンセルになった。

 香港からニューヨークへ向かったコンチネンタル航空の機内では離陸から7時間後、乗客がぐっすり眠りこんでいるときに不意に明りが点けられた。機長から緊急着陸をしますというアナウンスがあった。理由は不明だが、心配はないという。乗客らは寝ぼけた頭で混乱状態のままシートベルトを締めるように言われた。

 ボーイング777は乗客の不安をのせて、しかし極めてスムーズに暗い滑走路に滑りこんだ。再び機長のアナウンスがあった。「皆さん、ようこそ香港へ」

 今度のテロ事件によって、当分は航空旅客が減るであろう。乗りたくても飛ばないのだから減るのは当然だが、ハイジャックやテロが恐ろしいという心理も働く。

 今年は残り4か月もないが、1年間を通じての乗客数も相当に減るものと予想される。航空会社にとっては最悪の年になるかもしれない。旅行代理店にも予約のキャンセルが相次ぎ、キャンセルの電話の方が予約電話より多くなった。

 そうでなくても、世界の大手エアラインは今年、人件費が上がり、燃料費が上がった。そのうえ景気の後退に伴ってビジネス客が減っている。そこへ今度の事件だから、わざわざ危険を冒してまで団体旅行に行きたいと思う人は大幅に減るであろう。ここ数年間好調だったエアラインも、とりわけアメリカの航空会社は赤字転落間違いない。

 アメリカ政府の牛刀を振り回すような過剰反応が如何なる結果をもたらすか。戦争になれば景気が回復するなどと舌なめずりをするワルもいるが、少なくともエアラインに関しては湾岸戦争のときも乗客が減って、なかなか回復できなかったことが想起される。

(西川渉、2001.9.15)

 

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