<日本航空医療学会雑誌>

独逸ヘリコプター救急の淵源

Die Wurzel der deutschen Luftrettung

西川 渉 ・ 山野 豊

  

[要  旨]

 ドイツのヘリコプター救急は世界的に定評があり、ヨーロッパ諸国のモデルともなっている。その模範的な体制は近年さらに充実の度を加え、2003年の拠点数は78ヵ所、出動数83,000件を超えるに至った。

 こうした発展と充実をもたらした基本の制度は、どうなっているのか。一つは、よく知られているように病院を拠点とする半径50kmの担当地域を定め、全国土を体系的、網羅的に覆いつくしていること。第2はヘリコプターの運航費が健康保険などの社会保険によってまかなわれていること。第3に15分前後の制限時間内に救急治療に着手すべき原則が法規によって定められていることであろう。

 これらの根源にあるのはドイツ憲法の冒頭、第1条第1項にうたわれた人命保護は国家の義務とする条項にほかならない。

 わが国ドクターヘリも「ミュンヘン・モデル」といわれるドイツ方式の一端を採り入れたかに見えるが、現状は「佛つくって魂入れず」の感が強い。

[Abstract]

The helicopter emergency system in Germany has been globally acknowledged, and served as a model in European countries. This exemplary system has been fulfilled year by year, and the number of emergency helicopter station totaled 78 and the carried out emergency mission marked more than 83,000 times in 2003.

What is the basic structure that brought about such progress and today's outcome? There are three factors. One of the factors is, as well known, that the emergency helicopter stations, each based at a hospital to cover 50-km radius for action range, are placed systematically across the country. The next is that helicopter operation cost is covered by social insurance, such as health insurance. The last factor is that implementation of time advantage for medical treatment within 15 minutes is defined clearly by law.

Those factors are exactly based on the Clause 1 of the Article 1 of the Basic Law for the Federal Republic of Germany stipulating to the effect that the protection of German people's lives is the duty of the state.

Although our helicopter emergency medical system so-called "Doctor Helicopter" looks like as if it has adopted partially the German system that is referred to as "Munich Model", we cannot evade such a criticism that we have the form all right, but not the spirit yet.

 

はじめに

 ドイツのヘリコプター救急については、日本でもよく知られている通りである。当学会(日本航空医療学会)の顧問ゲルハルト・クグラー氏も、ドイツ方式の創始者の1人としてしばしば来日し、講演などを通じて多くの示唆を語っている。加えて日本からも、数多くの人が調査や見学に出かけて行った。その結果、2000年に始まったわが国ドクターヘリ事業も、基本的にはドイツ方式を採り入れた形となっている。

 しかし表面的、外観的には同じように見えるものの、根源的な内容は大きく異なる。もとより日本には日本独自の考え方があり、法律や行政の体系も異なる。救急医療の歴史的な経緯からしても、同じになるはずはない。また同じである必要もなく、独自のシステムを構築すればよいであろう。

 けれども、わが国独自のシステムが順調に発展し、救命効果の面でも大きな成果が挙がっているならば、思い悩む必要はない。しかしドクターヘリの現状は、発足当初の普及目標に遠く及ばない。その原因は何か。どこに問題があるのか。もう一度見直す必要があるのではないか。

 といって、ここでドイツの模倣をしようというのではない。彼らの現状を、分かり切っているようではあるが、さらによく観察することによって、日本の体制の充実と普及をめざす一つの手がかりが得られるかもしれないと考えるのである。

 

ドイツ方式の再確認

 ドイツのヘリコプター救急は、どのような形でおこなわれているのか。すでによく知られている通りだが、再確認のために整理をしておきたい。

 運営形態は、通常、救命救急センターにヘリコプターを配備して、周辺地域の救急業務を担当する。担当範囲の広さは原則として半径50kmの円内。この円をいくつも描いて全国の95%以上を覆っているのが、ドイツの救急体制である。

 ヘリコプターにはストレッチャーを搭載し、現場治療の可能な医療機器を装備する。そこへ医師とパラメディックが乗り組んで、救急指令センター(RCC)の出動要請から2分前後で離陸する。

 出動範囲が50km以内なので、ヘリコプターの速度からすれば遠いところで15分、平均8分程度で救急現場に到着する。そこで、できるだけ患者の近くに着陸し、初期治療を開始する。つまりヘリコプターは患者の搬送というよりも、先ず医師を現場に連れてゆくことが最大の任務となる。そのうえで、容態の安定した患者を症状に合った適切な病院へ搬送する。

 ヘリコプターの運航機関は、ドイツ自動車連盟(ADAC)の傘下にあるADAC航空救助会社、NPO法人ドイツ・エアレスキュー(DRF)、内務省防災局、国境警備軍などがある。最近は民間企業も増えてきた。

 これらの機関によるヘリコプターの運航経費は、健康保険を主とする社会保険でまかなわれる。ほかに寄付などがあり、また国の機関がおこなう部分については公費を基本とし、これに健康保険などが加わる。

 

これまでの経緯

 ドイツ・ヘリコプター救急の発端は1960年代末、ミュンヘンで始まった実験運航である。当時アウトバーンの死亡事故が多かったことから、旅行傷害保険なども手がけていたADACは、死傷者を減らし、保険金の支払いを減らしたいと考えた。といって、それだけが目的だったわけではない。ADACの会員はもとより、広く人命を救助することは人道的であるばかりでなく、きわめて崇高な業務でもあり、ADACの社会的名声を高めることにもなるという考え方であった。

 こうして1968年から小型ヘリコプターをチャーターし、ADAC所属のクグラー氏や救急専門医を中心として、試行的な運航により、救急機としての利用の可能性と医療面の効果が確認された。

 その結果、1970年11月1日、ミュンヘンのハラヒン病院を拠点とする本格的なヘリコプター救急がはじまった。ヘリコプターは当時最新鋭のドイツ製MBB BO105。標準座席数5人乗りの小型ながら、タービン・エンジン2基を装備して安全性が高く、キャビン後部には貝殻ドアがあって大きく観音開きになるため、ストレッチャーの積みおろしにも適していた。

 こうした「ミュンヘン・モデル」の基本概念は急速に普及し、発足4年間でドイツ国内の拠点数は10か所に増えた。1974年西ドイツ政府はADACの成果を認めると共に、みずからもヘリコプターを運航するようになった。

 このような発展の経緯は、表1に示す通りである。ここに見るように、1973年までの最初の4年間で10か所になった拠点数は、次の3年間に12か所が増設され、7年間で累計22か所となった。そして1981年までの足かけ12年間に30か所を超えている。

 さらに1984年までの15年間で35か所に達し、当時の西ドイツ国土の9割以上をカバーするようになった。この時点で西ドイツのヘリコプター救急システムは一応の完成を見たといってよいであろう。

 

表1 ヘリコプター救急拠点の増加

時   期

新設拠点数

累計拠点数

備   考

1970年11月

ヘリコプター救急の開始

1971〜73年

10

急速に普及

1974〜76年

12

22

1977〜81年

31

開始12年間で31か所

1982〜84年

35

西独の95%以上をカバー

1987年

36

ベルリンに拠点新設

1990年

38

東西ドイツ統一

1991〜94年

11

49

旧東ドイツ地域へ普及

1996〜97年

51

2001〜2003年

27

78

21世紀に入って急増

 1987年には、最後まで残っていた東ドイツ地域内の西ベルリンにも、ヘリコプター救急が実現した。しかし当時のベルリンは、西ドイツの航空機が飛べなかった。連合国の占領下にあったためで、定期路線も西ドイツ機の運航が禁止され、ベルリンへの定期便はすべて外国機だけであった。

 そのため救急ヘリコプターも、米国籍のBO105をチャーターし、ADACとの共同作業という形でアメリカのヘリコプター会社が運航した。

 だが1990年、東西ドイツが統一されるや、統合手続きが終わるか終わらないうちに、早くも旧東ドイツ地域の2か所でヘリコプター救急がはじまった。そして94年までの5年間に13拠点を新設、97年までに全ドイツで51か所の拠点が完成した。


旧西ベルリンで使われた救急ヘリコプター。登録記号(N4573T)は米国籍を示す。

 

交通事故死の減少

 以上のようなヘリコプター救急拠点の増加に伴う救命効果はどうだったか。これもよく知られているように、1970年に21,000人を超えていた交通事故の死亡者数は15年後の1985年には1万人へ半減し、30年後にはほぼ3分の1まで減少した。このもようは表2に示すとおりで、あたかもヘリコプター救急拠点の増加に逆比例するかのように見える。

表2 ヘリコプターの救命効果

累計拠点数

死 者

備 考

1970

1

21,332

最大死者数

1973

10

1974

16,665

1976

22

1980

15,050

1981

31

1984

35

1985

10,080

死者半減

1987

36

1990

38

11,046

東ドイツとの統一でやや増加

1994

49

1995

9,454

2000

51

7,503

死者3分の1

 ちなみに日本では、やはりドイツと同じく、1970年に交通事故の死者がピークに達し、16,765人となった。その後、死亡数は徐々に減少し、途中で上昇することもあったが、2002年ようやく8,326人と半減するに至った。もとより一概に比較することはできないが、数字を見る限り、ドイツの2倍の時間を要したことになる。言い換えれば、この間、いかに多くの無駄な死(preventable death)があったかということに思いを致す必要があろう。

 たとえば2003年度の「厚生労働科学研究――ドクターヘリの実態と評価」によるとドクターヘリ7ヵ所の重症例1,702人のうち死者は542人であった。しかし、ヘリコプターがなければ821人が死亡したと推定される。すなわち279人が preventable death を免れたことになり、その比率は34%になる。

 この研究対象となった重症例は交通事故ばかりではないが、交通事故だけを取り上げた調査もある。「交通外傷患者のヘリ搬送例分析」によると、7ヵ所のドクターヘリが2002年に救助した交通事故の重症例474人のうち死亡者は83人だった。このとき、もしヘリコプターがなければ136人が死んだと推定される。すなわち preventable death を免れた比率は39%にも上る。

 こうした推定の客観性については多少の異論があるかもしれない。しかし交通事故死の3割程度が preventable death であったという乱暴な仮定をしても、これまで毎年1万人が路上で死んだとすれば、その中の3,000人、30年余りではおよそ10万人が無駄死ではなかったのか。

 2002年の死者半減を受けて、小泉首相は2003年1月2日「交通事故死者数半減達成に関する内閣総理大臣の談話」を発表し、今後10年間を目途にさらに半減させるという決意を明らかにした。その決意の実現のためにも、ドクターヘリを初めとする救急ヘリコプターの普及と活用がなくてはならない。ヘリコプターを使えば、それだけで3割の死者をなくすことができるのである。

 

わずか3年間で1.5倍増

 ドイツのヘリコプター拠点数の増加は、21世紀に入ってからもとどまるとろを知らない。2000年まで51か所だった拠点数は、その後3年間で1.5倍、一挙78か所に増えた。このもようは表3に示す通りである。

 

表3 ドイツのヘリコプター救急拠点

運航機関

2003年

2000年

出動件数

拠点数

出動件数

拠点数

ADAC

30709

25

23567

19

ドイツエアレスキュー(DRF)

24784

27

14343

12

内務省防災局

19329

16

19281

16

国防軍

3150

3

3841

3

民間ヘリコプター会社

5251

7

1956

1

総  計

83223

78

62988

51

 この表から、次のようなことがいえよう。第1はいちじるしい急増ぶりである。90年代末期でほぼ完成かと思われた救急システムが、実はまだ大きな活力を秘めていたのである。

 2003年の拠点1ヵ所あたりの出動件数は平均1,066回。2000年の平均1,235回に対してやや少なくなったが、それでも1日3回の飛行である。ちなみに日本では救急車の出場件数が年間およそ455万件、救急車の保有台数が5,500台余りだから、1台平均820件である。日本の救急車も忙しいが、ドイツの救急ヘリコプターはもっと忙しいといえるかもしれない。

 運航者のうち、ADACの拠点数は上表のとおり、3年間で3割増、出動件数も3割増となった。NPO法人DRFの躍進はさらにめざましい。拠点数が3年間で2.2倍に増え、ADACを抜いてしまった。出動件数も1.6倍となって、ADACには及ばないものの、いずれ凌駕する勢いを見せている。

 内務省と国防軍による救急は、拠点数も出動件数も横ばいで、3年間ほとんど変わっていない。これら国の機関によるヘリコプター救急は今後減ってゆくもようで、内務省の拠点数は1995年には22ヵ所であった。それが今の16か所となり、2005年からは当面12か所まで減らしてゆく方針と聞いた。国防軍も3か所を担当しているが、自分たちの役目はそろそろ終わりと考えているらしい。

 逆に民間ヘリコプター会社は7か所になった。3年前の1か所から大きく伸びたことになる。夜間飛行など新しい試みをしながら、今後も増えるもようで、いずれは国の機関に肩代わりすると見られる。

 このようにドイツのヘリコプター救急が急膨張している理由は、ヘリコプター運航費の裏付けが確立していること、旧東ドイツ地域の空隙地域に新しい拠点が増えていること、そしてドイツばかりでなくヘリコプター救急そのものが世界中で膨張しつつあることの一環であろう。

 ちなみに、ドイツの国土面積は357千平方キロで、日本の378千平方キロに対して94%である。したがって78か所という拠点数は、日本のドクターヘリの8拠点に対して10倍余に相当する。

ドイツ救急の淵源

 ドイツのヘリコプター救急は何故このように順調な発展を続けているのだろうか。ここでは、その法的根拠について調査の結果をご報告したい。この調査は、HEM-Net(NPO法人救急ヘリ病院ネットワーク)の活動の一環として、2004年5月なかばベルリンでおこなったものである。

 結論から先にいえば、その淵源は憲法にある。今のドイツでは「憲法」という言葉を使わずに「ドイツ連邦共和国基本法」(Grundgesetz fur die Bundesrepublik Deutschland)と呼んでいる。「基本法」とした理由は、1949年の制定当時、いずれ東西ドイツ統一のあかつきには改めて正式の「憲法」を制定しなければならないと考えたためで、基本法はあくまで暫定的なものとみなされていた。

 実際は、しかし1990年、早期統一をめざす両国にとって全く新しい憲法の制定は時間がかかること、また東ドイツの経済が社会主義体制崩壊と同時に急速かつ深刻な破綻状態に陥ったことなどから、東ドイツが西ドイツへ加入または編入される形を取ることになった。これにより西ドイツのいわゆる「ボン基本法」が多少の修正を加えただけで、今の「ドイツ連邦共和国基本法」として残った。

 この基本法第1条は、次のように定めている。

 第1条[人間の尊厳、基本権による国家権力の拘束]

  1. 人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、保護することは国家権力の義務である。
  2. ドイツ国民は、それゆえに、侵すことのできない、かつ譲り渡すことのできない人権を、世界のあらゆる人間社会、平和および正義の基礎として認める。
  3. ―略―
 

 この第1条第1項は、『西ドイツ憲法の基礎理念』(C.シュターク)によれば「人間の尊厳を尊重し、かつ保護することを国家に義務づけている」もので、「人間の尊厳」とは「ありのままの人間の生命が考えられている」。「憲法の前提には原理や制度だけではなく、人間の生命のような法益も含まれる」と述べている。ここからドイツ国民の健康の維持や病者の救護が国家の義務とみなされることになる。

 実は、同じような条文は日本国憲法にも存在する。第13条がそれで、次のように規定している。

 第十三条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重)

 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

 小室直樹によれば「憲法とは国家権力への命令である」。民法や刑法が国民を縛るのとは逆に、憲法は国家を縛る鎖である。この第13条にいう「最大の尊重」も単なるかけ声や心得ではなくて、「どんな政策課題や立法上の課題にも優先して、国民の生命や自由、私有財産を守る義務がある。そのことを、憲法は明確に国家に対して命じている」ことになる。

 このことを救急という観点から見れば、ヘリコプターという最良の手段がありながら、ごく一部でしか使われてなく、交通事故死の例に見たように無駄な死を続けている現状は、とうてい「生命……に対する国民の権利について……立法その他の国政の上で、最大の尊重」がなされているとは言い難い。このままでは、わが国行政機関は憲法違反にも問われかねない、といえば大袈裟に過ぎるだろうか。

ドイツ連邦の成り立ち

 話をドイツに戻すと、憲法の冒頭に規定された生命の救護を実行に移すのは、州政府である。このあたりが日本の国家体制から見ると分かりにくいところだが、理解を深めるためにドイツという国の成り立ちについて整理しておきたい。

 ドイツは16の州から成る。日本語では「州」と呼んでいるが、ドイツ語ではラント(Land)で、本来は「邦」という方が実態を示すように思われる。これらの邦が集まって連邦を形成しているのである。

 このような国の成り立ちは、日本のような中央集権体制とは逆で、それゆえ日本の「地方分権」のように中央政府が地方自治体に権限を委譲するといった考え方からドイツの制度を見ると、大きな誤解を招くことにもなりかねない。

 ラントが大きな権限を有することは、昔はそれぞれが独立の王国や公国であったという歴史的な由来によるものであろう。事実、今のドイツ地域が中央集権的な国家体制になったのは1933年から44年までのナチス・ドイツの時代だけであった。したがって各ラントが独立国にも似た機能を有することは、たとえば「憲法」(Verfassung)という言葉が連邦では使われていないにもかかわらず、各ラントの基本法がそう呼ばれていることにも見ることができる。

 さらに連邦基本法の至るところに、ラントの実力を認めるような条項が見られる。たとえば国民の直接投票による「連邦議会」に加えて、もう一つ「連邦参議院」が存在する。その議員は、基本法第51条によって、ラント政府が任免する。そのうえでラントにとって不利な法律や制度を、連邦議会がつくらぬよう監視する機能をもつ。いま日本で国と地方の綱引きとなっている「三位一体の改革」にも、しばしばドイツの連邦参議院が引き合いに出されるゆえんである。

 といって、連邦政府が形骸だけの弱体というわけではない。ラントが基本法その他の連邦法によって課せられている義務を履行しないときは、連邦政府は、連邦参議院の同意を得たうえで、義務を履行させるに必要な措置をとることができる。また連邦強制執行のための指示権を持っている。

 

ラントごとの救急法

 以上により、国民の生命の保護が国家の義務であり、それを実行するのはラントということになる。そのため、各ラントはそれぞれに「救急法」を制定して任務の遂行に当たる。

 したがってドイツでは、16の救急法が存在する。しかし、それぞれが余りにかけ離れたものにならぬよう、16州の各代表から成る統合調整委員会が設けられ、相互の調和をはかりながら救急業務のあり方を規定している。

 つまり基本的な骨組みは、どの救急法も変わらない。その始まりバイエルン州の救急法で、ミュンヘンなどのヘリコプター救急が軌道に乗ってきた1974年に制定された。これに続いて、各ラントで同じような救急法がつくられていった。

 こうした救急法のヘリコプターに関する条項を見てゆくと、典型的なバイエルン州の救急法だが、救急業務をおこなうには先ず州政府の認可を得なければならない。この点はヘリコプターに限らず、救急車を使う場合も同様で、認可の条件として出動の義務、出動の範囲、守秘義務などが定められている。航空機を使う場合は当然のことながら、航空法上の認可その他の条件も満たしていなければならない。

 こうして認可された運航者は、州政府がいくつもの健康保険組合連合からの聴聞によって定めたヘリコプターの救急拠点ごとに、その地域の赤十字、救助組合、救助協会などの救助業務団体と契約を結んで業務遂行に当たる。救急出動の指示は、その拠点を管轄する救助指令センターから出される。

 出動に要したヘリコプターの運航費は、地域内の救助業務団体が等分に負担する。同時に、これらの団体は所定の保険金を健康保険組合に請求する。この保険金額は各救助団体の経済的、節約的な運営を可能とし、業務の遂行に過不足のない金額を経営原則に基づいて見積もり、各地の拠点ごとに健康保険の州連合、任意医療保険連合、その他の保険組合との間で相互に定めるものでなければならない。この金額が成立しない場合は、中立的座長、社会保険の代表者、救助業務団体の代表者が仲裁の場で決定する。

 以上が、バイエルン州の救急法の中でヘリコプター救急に関連する条項の要約である。こうして救急業務の基本となる州法の中にヘリコプターの利用が規定され、運航費は健康保険や医療保険を含む社会保険によって支払われることが明確に定められている。

 

連帯共同体の創設

 では、なぜ救急ヘリコプターの運航費が社会保険でまかなわれるようになったのか。それは、法律で規定される以前に「社会国家」という概念があったからであろう。

 ドイツ基本法、すなわち憲法は第20条で「ドイツ連邦共和国は、民主的かつ社会的連邦国家である」とし、第28条では「ラントの憲法的秩序は、この基本法の意味における共和制的、民主的および社会的法治国家に適合しなければならない」としている。

 この「社会的法治国家」とは、先に引用した『西ドイツ憲法の基礎理念』によると「困窮や病気に対して国家的に組織された社会的安全保障制度、国家による社会的機会の調整、不平等の調整、平等な生活状態の創設である」と説明されている。

 このような「社会的調整を引き受けることによって、国家は自らの任務と権力を拡大してきた」。それが憲法国家ないしは法治国家と呼ばれるもので、その活動はもはや自然のままではなく、憲法によって制御されながら19世紀以来発展してきた。いわば「社会的調整国家」の誕生である。

 何故このような国家による社会的調整が必要になるのか。それは国家が基本権としての自由を保障しているからである。自由の保障は必然的に社会的不平等を生み出す。その調整もまた国家の役割ということになる。

 こうした役割の一つが病気に対する「社会保障」である。その実現のための資金としては、2種類の制度が考えられる。一つは「一般国家予算による支出」、もうひとつは「連帯共同体の創設」である。後者の場合、国家の義務は組織上の任務だけであり、ドイツの救急費負担の方策はこの制度を採った。

 連帯共同体の創設は、すなわち社会保険制度の創設である。各ラントは、こうした考え方から、それぞれの救急法の中にヘリコプターの運航費は社会保険によって補填さるべきであることを規定したのであろう。

 ちなみに日本のドクターヘリは、上述の考え方を当てはめるならば、前者の方を採ったことになる。フランスも中央集権的な官僚体制が強力であるせいか、前者である。しかし、このような国は、世界的に見ても決して多くない。それに、社会主義国家でもない限りは、永く続けることはできないであろう。

 

「15分ルール」の確立

 ドイツの救急制度に関連して、もう一つ注目すべきは「15分ルール」とでもいうべき規則が存在することであろう。これは救急法そのものの規定ではないが、その施行規則の中に初期治療は15分くらいのうちに着手しなければならない旨の制限時間が定められている。

 制限時間の内容と表現は州によって異なる。たとえば「できれば10分以内、最大15分以内――実施目標95%」、「原則として15分を超えてはならない」、「原則12分、最大15分」、「原則10分――目標95%」、「原則14分、へき地17分――目標95%」といった条文が見られる。

 こうした規則の中から制限時間の数字だけを抽出すると表4のようになる。

 

表4 ドイツ救急の制限時間

制限時間

州 の 数

10分以内

5

10〜15分

1

12分

3

12〜15分

1

14〜17分

1

15分

3

合  計

14

 このように数字で定めているのは16州のうち14州である。残り2州は数字の規定はないものの、ウェストファーレン州は「到着時間に関しては、監督官庁の指示による」とし、ベルリンは「現在の救急体制の中で最速の手段を使う」としている。その結果ベルリンの場合は、市の東方に湖水が多いという地勢上の理由もあって、2003年の出動実績が2,454回。ドイツ全土78拠点の中で最も多くの出動回数を記録するに至った。

 いずれにせよ15分前後を目安として、それ以内に医師が患者のもとへ駆けつけなければならない。そのための移動は、徒歩でもバイクでも救急車でも、手段を問わない。しかし、地上の手段で間に合わないようなときはヘリコプターを使う。ということは、ヘリコプターも必然的に不可欠の手段とならざるを得ない。このような制度が、先に述べた費用負担制度の確立を背景として、救急ヘリコプターを普及させるドイツの原動力となっているのである。

 同じような規定はドイツに限らず、スイスでも行われていることは周知の通りである。この山岳国ではアルプスの山中ですら15分以内に医師が駆けつける体制ができている。むろん昼夜を問わないから、日本の農山村に見られるような医療過疎や無医村の問題もヘリコプターによって解消されたといってよいであろう。

 こうした「15分ルール」は、救急医療が時間的な制約の下にあるという医学上の理論を実行に移したものにほかならない。「救急は時間との闘い」などというお題目は誰でも知っているが、現場だけの努力や奮闘にまかせるのではなく、制度として確立させたところが重要であろう。


ベルリンのベンジャミン・フランクリン病院から救急出動をするヘリコプター

おわりに

 繰り返しになるが、時間との闘いに勝つためには迅速な移動手段が不可欠であり、未来のことは知らず、現状ではヘリコプターが最も迅速な救急移動手段である。したがって、ヘリコプターを医師の移動や患者の搬送に使うことは救急医療に不可欠であり、治療手段の一部とみなされる。そこからドイツでは、健康保険もしくは医療保険でヘリコプターの運航経費をまかなうことになった。

 こうして費用負担の裏付けが確立した結果、ヘリコプターによる救急体制は急速に普及し、2003年末の現状は全国78ヵ所に拠点が設けられ、83,000回以上の出動がなされた。3年前にくらべて、拠点数は1.5倍、出動回数は1.3倍にまで拡大した。これによって、2003年中に救助された人は7万人に上ると見られる。

 日本のドクターヘリ制度も、現状にとどまることなく、所要の修正を加えて今後の進展をはかることが望まれる。

 

謝 辞

 この調査は2004年5月なかば、ベルリンでおこなった。その実施にあたって、ご協力をいただいたゲルハルト・クグラー氏(EHAC:欧州ヘリコプター救急委員会委員長)、ルドルフ・ミュラー医学博士(ドイツ16州救急制度調整委員会委員長/ブランデンブルク州医療制度研究部長)、ティロ・シェフラー技術部長(ADAC航空救助会社)、ヴォルカー・レムケ氏(NPO法人ドイツ・エアレスキューDRF取締役)、ピーター・シュタール医学博士(ドイツ連邦内務省航空救急部)、クラウス・ペーターバイヤー氏(ユーロコプター・ドイツ社上級部長)、ハンス・リヒヤルト・アーンツ医学博士(ベルリン・ベンジャミン・フランクリン大学附属病院)の各位に厚く御礼申し上げます。

 また本調査の機会を与えていただいた特定非営利活動法人救急ヘリ病院ネットワーク(NPO法人HEM-Net)に感謝申し上げます。

 

【参考文献】

(西川 渉、『日本航空医療学会雑誌』第5巻第2号掲載、2005.3.7)

 

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