靖国神社と翻訳憲法

 

 今年の初詣は靖国神社に出かけた。別に何を考えたわけでもなかったが、お正月で人の少なくなった静かな都心部を見て、同時に神前で心を洗われたいと思ったのである。ところが案に相違して、境内は大変な人でごった返し、参道の両側にはお好み焼きやおでんの屋台が並んで、その煙と匂いが立ちこめ、残念ながら普段の荘厳さは感じられなかった。もっとも境内の賑わいは、ここに祀られた幾万の英霊たちにはきっとよろこばしいことであろうから、私ひとりわがままを言うのは罰あたりというものである。

 この靖国神社に、われわれは無論いつでも参拝できる。が、閣僚ともなるとマスコミが取り囲み、目的は何か、公的な参拝か私的な参拝かなどと訊く。そんな愚問は無視すればいいようなものだが、下手な言動を発しようものならテレビ・カメラに収められ、夜の全国ニュースで報道されて、進歩的文化人の論難を浴びたりして面倒なことになる。

 私も、この種のニュースを見ていて、「兄が戦死しました」とか「父が祀られています」などといえる閣僚はいいけれども、親類縁者に英霊のいない人は答弁が難しいなと思っていた。ところが、『拝啓 韓国、中国、ロシア、アメリカ合衆国 殿』(谷沢永一・渡部昇一著、光文社刊)には的確な答えが示してあって、長年の気がかりが解けたような気がする。

「たとえば総理大臣が外国へ行くと必ず戦没者に献花をします。これはもうどこでも国際間の通例、相手国への礼儀です。何の批判も出ない。けれども日本国内で日本人の戦没者に花束をあげると、マスコミは一斉に公人としてですか私人としてですかとくる。他国の戦争犠牲者の慰霊はよくて、自国の戦没者は駄目という。こんな馬鹿なことがどうして起きているのか」

 そういう馬鹿な批判を避けて参拝をやめた最初の総理大臣は中曽根首相だそうである。最近もおかしな振る舞いがあったが、「この人が大勲位菊花大授章です。これが日本の堕落の一番の象徴でしょう」というのが、著者の感想である。

 靖国神社を日本が軍事国家であることの象徴のようにとらえ、閣僚がそこに参拝することは即ち軍国主義の復活であるというばかりではない。最高裁は憲法の「政教分離の原則」に照らして、玉串の奉納などは違憲であるという判決まで出してしまった。

 しかし「そんなことが違憲やったら、アメリカの大統領は就任式でなんでキリスト教の聖書の上に手を置くのや。公共施設の地鎮祭も、神主にお祓いしてもらうと違憲ということになるのか」

「法律というものは誰のためにあるのか。法にたてこもって現実を見ない……法だけで世間のすべてを律しようというような、そして法をごり押ししようとする態度を法匪(ほうひ)というわけです。玉串訴訟判決などは法匪そのものの判決だといえます」

 日本の神道はヨーロッパ語における宗教の概念に当てはまらない。「国民の精神的伝統、国民感情としての神道というものがあることを最高裁判事も素直に認めるべきです」

 その国民感情とは何か。「残念な思いを残して死んだ人……国のために心をまだこの世に残して亡くなられた皆さんにお鎮まりいただくために作られたのが靖国神社です。決して戦争を鼓舞するための、魂を荒ぶらせるための場ではないのです」

「靖国神社は近代日本を建設する過程において犠牲となったすべての人たちに対して、その余沢を被っている国民が長く記憶を残して、そしてお鎮まりいただくためにずっと祭りつづけるというものです。これを宗教といえるか。どう考えてもいえません。宗教というより伝統的風習とか習俗なのです」

 同じような意味で、北京の天安門広場には巨大な軍事博物館があり、アメリカでも至るところに軍用機を中心とする航空博物館や軍艦をそのまま利用した海軍博物館などが見られる。わが靖国神社には、わずかに昔の大砲や人間魚雷の残骸が飾られ、小さな飛行機の模型と共に辛うじて昔日の記憶のよすがになっているだけである。

 しかし終戦直後、日本に進駐したマッカーサーは残念な思いを残して死んだ人びとの記憶を日本人の頭の中から消し去ろうとした。軍事的な色彩のあるものは何から何まで、火器、銃器、刀剣類はもとより、航空機や軍艦はいうもおろか、子供の教科書も黒く塗りつぶし、民間機も飛ばさせないどころか、大学の工学部からは航空学科すらなくしてしまった。

 品物や制度をなくしただけではない。軍事行動にたずさわった人びとを東京裁判によって抹殺してしまったのである。この裁判がいかに間違いであったかは本書に充分語りつくされている。たとえばインドのパル判事はこの裁判のために来日して「焼け野原にしたほうが焼け野原にされたほうを裁くのはおかしい」と感じ、「日本は無罪である。有罪なのは白人のほうである」という判決を書いた。

 またアメリカのブレイクニー弁護人ですら「原爆を投下した人、計画した人、その国の名前、その全部がわかっている。これを裁かないで、わけの分からない裁判をするのはおかしい。原爆投下という空前の大罪をおかした国がこの被告らを裁く権利はない」と発言して、議事録から外されてしまった。

 とどめの仕上げは新しい憲法の制定である。この憲法は「マッカーサー自身がマッカーサー・メモなる憲法草案を渡して、1週間くらいでつくらせた。日本側にはそれを翻訳するだけの自由しかなかった」。そのことが明らかになったのは、30年後に公開されたアメリカ政府の公文書の中にマッカーサー・メモが含まれていたからだ。しかし、この厳たる事実について、マッカーサーは自叙伝の中で日本人がつくったと「マッカな大嘘」を書いている。それは「占領軍が被占領国の憲法などをつくってはならないという国際法」に違反していたからである。

 しかも問題の第9条――武力放棄に関する条項は、当時アメリカの植民地であったフィリピンが将来独立することを想定して、やはりアメリカがつくった憲法案と同じものであった。

 これらのことを知っている関係者は一切口をつぐんだまま死んでゆき、報道機関は知ってか知らずでか全く逆の報道をつづけて、ついに日本人の頭の中からきれいに戦争中の記憶を洗い流してしまった。そのマインド・コントロールの結果は「靖国神社もオウムも創価学会も同じレベルであると決めつけて平然としていられる」ようになり、今もシナや朝鮮への謝罪を続け、南京大虐殺と従軍慰安婦を信じ、ついに官僚腐敗大国におちいったのである。こんな絶望的な国では、子供だってナイフを振りまわさずにはいられないであろう。

 そういえば日本の「航空法」も、昭和27年の航空再開当時のアメリカの航空法の翻訳である。以来、本家の航空法は次々と改正されたが、日本側のそれは、これまた金科玉条、旧態依然たるままであることを想起しないわけにはいかない。

(西川渉、週刊『WING』紙、98年1月28日付掲載)

 

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