官 僚 と 占 領

――もしくは官僚群と占領軍――

 

 日下公人著『どんどん変わる日本』(PHP研究所、98年10月刊)の中に「この1年間でたくさんの常識が崩れた」と書いてある。

「たとえば官僚は優秀だという常識の崩壊――優秀でしかも上品だろうと思っていたが、そうではなかった。あるいは官庁が国民を守ってくれるだろうと思っていたが、そうでないこともわかった」

 三洋証券、北海道拓殖銀行、日産生命、山一證券などの例を見ても「大蔵省の中には、もう助ける力のないことを前から分かっていた人がいる。その人たちは、今にえらいことになると見抜いた。バタバタ倒れることになるが、そのときは監督責任を追及される。天下り責任を追及される。だから、これは早く自由化したほうがいい、権限は手放したほうがいい」と考えるようになった。

「公共料金は民間料金よりも安いという常識も変わった。たとえば国立大学、国立病院、公団住宅など」。また「日本開発銀行や中小企業金融公庫などは金利が安いと思われていたが、逆に高くなった」

「郵便貯金もあまり大丈夫ではない。大企業でも潰れるらしい。大銀行でも潰れるらしい」。郵便貯金の「4割はすでに不良債権になって空洞化している。国民が郵便貯金を下ろしに行って、6割返ってくれば上等である」。というのも、国民の預けたお金は官僚や政治家が無駄使いをしたり、省益・族益中心の再投資をしてきたからである。

 天下り禁止の効果も出てきた。「これまで官僚が一致団結し、ひたすら省益を追究してきた大きな理由は“天下り先の確保”だった。天下りしようと思えば、先輩にも後輩にもゴマをすらなければいけない。……絶対に背けない」。しかし天下りができないのならば「もういいや、と自分の考えを言う官僚が出てきた。……その隣の人は、“もうこれ以上大蔵省にいても楽しくない。早く辞めたい”といって、実際辞め始めている」

 吉田茂は『回想十年』(中公文庫、98年9月刊)の中に、戦後のアメリカ軍占領下の日本で「われわれ日本人の態度について、苦々しく思ったことが二つある」と書いている。

「その一つは、日本人の中に総司令部の人々に縋って、何か便宜の供与を得ようとして、過当な贈り物をしたり、豪華な饗応をしたりして、かえって先方の侮蔑を買ったり、あるいは先方をスポイルしてしまったりした事実である」。これは「外人崇拝というのか、あるいは逆に自己劣等感というのか……これからの若い国民は十分自信をもって堂々たる態度を持し、かかる愚劣な轍を再び踏むことのなきよう希望」する。

 もう一つは「いわゆる進歩主義者や過激な革新分子が……総司令部に盛んに出入りし、その偏狭な見方から、同じ日本人に関する密告や中傷をしていた形跡歴然たるものがあった」。そこから公職追放などの目に遭った人も少なくなかったはずである。

 

 ところで、アメリカ占領軍が去ったのち、日本は官僚によって占領されたという見方がある。とすれば、『回想十年』の総司令部とか進駐軍といった文字を官僚とか大蔵省という言葉に置き換えるならば、あれから50年近くたった今も、日本人の苦々しい態度はいっこうに変わっていなかったことが分かる。

 それが今どんどん変わっているというのが日下公人だが、果たして良い方へ変わっているのか。しかも天下りができなくなったから辞めるというのでは無責任そのままで、たつ鳥が後を濁したまま去って行くようなものである。占領軍の去り方はそうではなかったとして、吉田茂は次のように書いている。

「米国と日本というかつての敵国同士の間に、占領の事実を通じて打ち建てられた約7年間の関係は、近代の歴史に特筆大書されるべき成功であったといわねばならぬ。日米両国民のため、誠に幸いな結果であったと思う。アメリカ進駐軍の将兵は、かつて西欧の一詩人が歌ったごとく“敵としてこの国に来り、友としてこの国を去った”と、私は思う」

 異国人は友として去り、同国人は友のような顔をして来り、敵として去ることになりはせぬか。

(西川渉、98.11.8)

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