<鳥のように飛ぶ>

人類の夢をかなえる個人用VTOL機

 

 2008年4月のこと、柳沢源内さんからお手紙をいただいた。かねて開発と試作にあたってこられた1人乗りの個人用ヘリコプターHー4が実用になり、ギネスブックに「世界最小の有人ヘリコプター」として認められ、登録されたというお知らせである。

 封筒の中にはギネス・ワールド・レコード証明書の写し。そこに「ゲン・コーポレーション製作のGEN H-4はローター直径わずかに4m、重量わずか70kgで、最小の有人ヘリコプターであることを証す」と書いてある。日付は証明書には記されてないが、それに添えられた文書を見ると2月1日らしい。

 このあと5月になって、源内さんは、ヘリコプターの原理をスケッチに残したレオナルド・ダ・ヴィンチの生まれ故郷、イタリアのヴィンチ村へゆき、H-4の軽快な飛行ぶりを披露した。当日はH-4とダヴィンチのスケッチを描いたワインが振舞われ、大いに歓迎されたという。

 余談ではあるが、柳沢源内さんのお名前は、平賀源内にちなんだ号ではないかと思っていた。ところが、いつぞや直接お尋ねすると、生まれたときからの本名だそうで、ちょっとびっくりした。江戸の多彩な発明家、それも日本独自のアイディアを実現した多技多能の人と同名とは、実にふさわしいお名前ではないだろうか。お父上の先見がしのばれる。

GEN H-4ヘリコプター

 さて本稿は、翼をもたぬ人類が、それでも自由に空を飛びたいという夢を実現させるための個人用または自家用ヘリコプターについて、いくつかのアイディアの跡をたどるのが目的である。

 最近は個人用ジェットが実現して、どこへでも高速移動が可能になったというが、あれは滑走路がなければ飛べない。自宅から滑走路のある飛行場までどうやってゆくのか。それを考えるとまだ不充分。自分の車と同様、航空機も直接わが家から飛び立てるようでなくてはパーソナル機といえないだろう。

 H-4ヘリコプターはその理想を追ったものである。ローター機構は同軸の二重反転式。同じ回転軸に上下2段のローターが取りつけられ、それぞれ2枚のブレードがつく。ローターは互いに反転することでトルクを打消すので、普通のヘリコプターに見られるような尾部ローターは要らない。

 操縦者は、目の前のコントロール・バーを両手で握り、これを操作してローター回転面を傾け、前後・左右に移動することができる。また、上下のローターの回転差を発生させるとホバリング旋回ができる。ブレードは複合材製である。

 動力は、これも源内さんの開発になる125ccの水平対向エンジンGEN125(10馬力)が4基。なんと世界最小のヘリコプターが4発機なのだ。

 このエンジンとトランスミッションはローターの直下にあり、そこから下へ支柱が伸びて座席がつく。座席の下には3脚がつくが、前方の脚には先端に横棒がついていて両足をかけることができる。

 目の前のコントロール・バーにはスロットル、タコメーター、エンジン・スターター、ヨウ・スイッチがついているだけで、余分なものは何もない。そのため却って操縦がしやすくなっている。

 といって、これを買った人は先ず操縦訓練を受けなければならない。けれども教官同乗の飛行はできず、最初からソロフライトになるので、確かに操縦がむずかしければ本来の開発主旨に合わぬことになろう。

H-4開発の足どり

 GENヘリコプターの開発は、まずエンジンから始まった。というよりも、もともと源内さんはエンジン技師である。その人がGEN125エンジンの開発に取りかかったのは1985年。以来5年ほどかけて出来上がったのが出力重量比では世界最高。軽くて、強力で、信頼性が高いという奇跡のようなすぐれものだった。

 しかし、わずか10馬力のエンジンでは、用途も限られる。このエンジンを何に使うかというのが次の課題で、最初はハンググライダーに取りつけた。むろん結果は良かったが、人びとの関心をひかず、やがて無線操縦の小型ヘリコプターにつけて薬剤散布や写真撮影をすることが考えられた。同軸反転ローターを持つ単発機である。

 しかし無線では思うような操縦ができない。飛んだと思っても安定しなかったり、墜落したり、なかなかうまくゆかなかった。

 そこで源内さんは思い切って有人ヘリコプターの開発に進む決心をする。原型BDH-1ができたのは1992年。エンジン2基でペイロード65kgという設計仕様だったが、必ずしも充分な出力ではなかった。

 そこでエンジンを3基に増やしたBDH-2を試作、これが1995年8月6日、GENヘリコプターとして初めて人を乗せた飛行に成功する。そして飛行試験と改修を繰り返し、ローターを新しくしたBDH-3が飛んだのは同年12月10日であった。

 それでも、どうもホバリング性能が良くない。というので、エンジンを4基にして全体の設計を初めからやり直すことにした。この改良により、出力が増す一方で機体重量が減り、BDH-4の名前で1997年夏オシコシ実験航空ショーに展示した。翌98年には名前を今のH-4に改めて飛んで見せた。地上3mほどの高さで6分間のホバリングや周回飛行をしたのである。

 それから今日まで、さらに工夫と改良を重ねた結果が、冒頭のギネスブックになった。ここに「鳥のように空を飛びたい」という源内さんの理想が実現した。

 ちなみにH-4は重量75kg、速度50km/h。1機あたりの価格は360万円。キットで渡されるので、買った人は自分で組立てることになる。これまでに7機が売れたというニュースを読んだことがある。うち2機はアメリカ向け。将来に向かっては、エンジン出力を1基あたり15馬力とする構想も検討されている。

オシコシ航空ショー

 柳沢源内さんのGEN H-4が本格的な飛行を見せたのは、上述のとおりオシコシ実験航空ショーであった。

 このショーは航空愛好家にはよく知られたショーである。毎年夏、米ウィスコンシン州オシコシで1週間余にわたってつづき、何十万という愛好家がさまざまな自作機や実験機をもって世界中から集まる大会である。

 航空機はどんなものでも構わない。ここでは何でも飛ばすことができる。自作のホームビルト機でもいいし、古典機や昔の軍用機を復元して飛ばしてもよい。まさしく空への冒険心を掻き立てるショーで、エアベンチャー大会とも呼ばれる。

 なにしろアメリカでは、軍の払い下げを受けたジェット戦闘機を修復し、耐空証明を取れば、それに乗って飛ぶこともできる。今年はP-51やレパブリックF-84Cサンダージェットの姿も見られた。

 主催は米実験航空機協会(EAA)。航空機メーカーの最新の機体もここで初めて公開されることがあり、近年ではホンダジェットがそうであった。

 また、宇宙飛行士が体験を語る講演もある。あるいはワシントンから国会議員がやってきて、ジェネラル・アビエーションの実態を見ると同時に、多数の人びとの意見を聞き、ディスカッションをして戻ってゆく。やがては、それがアメリカという国の航空政策にもつながるはずである。

 そうしたオシコシ実験航空ショーは、今年も7月末から8月初めにかけて開催され、50万以上の人と1万機の自家用機が集結、自作の実験機2,500機が自慢の飛行ぶりを披露してみせた。その中のひとつが以下にご紹介する「ジェットパック」である。

1人乗りのジェットパック

 ジェットパックはH-4のようなヘリコプターではない。固定翼を持つわけでもない。ダクテッド・ファンによって垂直に離着陸する1人乗りの機体である。

 開発にあたっているのはニュージランドの発明家グレン・マーチン氏。すでに27年間を費やしてきた。しかし、そのアイディアが公表されたのはつい最近である。

 機体は左右両肩に下向きに気流を噴射するダクテッド・ファンがつき、水冷のモーターサイクル・エンジンで駆動し、垂直飛行をしようというもの。ダクトの下部にはフラップがあって、気流の向きを変向し、飛行方向を操縦する。

 これまでのところ、最大浮揚高度は地上1.8mだが、半年後には高度150mまで飛んでみせるとか。しかしエンジン停止の場合は、ヘリコプターのようなオートローテイションができないので、機体にパラシュートが仕込んであり、高度30mでも開くことができる。これが安全装置で、脚にはショックアブソーバーがつく。

 以前の実験機はこうした安全機構がなく、試験飛行中に墜落してマーチン氏自身もひどい怪我をしたことがある。しかし、いまでは充分な安全策ができたとして、オシコシでも息子の16歳になるハリソン君が、大勢の人が見守る中でお父さんの発明機に乗って飛んでみせた。

 もっとも飛んだといっても、地上1mほどのところでホバリングをしながら、両側を2人の人が支えていたので、むろん真の飛行ではない。来年は自由飛行をしてみせるという。

 機体重量は113kg。垂直に離陸したのち、やや前傾姿勢をとれば前進飛行することになっている。速度は毎時60マイルというから、100km/hに近い。

 用途は空からの捜索や山火事への出動などが考えられるが、マーチン氏は余り固いことを考えなくとも、ジェットスキーやスノウモービルのようなレジャー用品として使ってもらいたいと語っている。価格は10万ドル(約1,000万円)くらいになるらしい。


ジェットパック

高速で飛ぶスカイカー

 同じダクテッド・ファンを使うのが「スカイカー」(skycar)である。これは何年も前から試験飛行が公開され、テレビでも放送されるなど、よく知られた4人乗りの乗物である。

 無論まだ開発の途中だが、外観は高速スポーツカーにも似ていて、胴体左右に4基のダクテッドファンがつき、尾部に固定翼がある。これが垂直に離陸するや高度5,000m付近まで上昇し、400km/h以上の高速で飛ぶというから、誰でも一度は乗ってみたいと思うにちがいない。

 発明家のポール・モラー博士の構想になるもので、開発の端緒は幼い頃、自由に飛びかうハチドリを見て、やはり鳥のように飛びたいという夢にはじまる。そして早くも中学生のときヘリコプターの設計図を描き上げた。お金がなかったので、図面だけで実機はできなかったが、製作していれば実際に飛んだはずと自信を見せる。

 そして1983年、モラー・インターナショナル社を設立してスカイカーM400の開発に乗り出した。その原理はハリアーVTOL戦闘機と同様、ダクテッド・ファンの空気流を4つのナセルから噴射して前進し、噴射流をベーンによって下向きに変向して垂直離着陸とホバリングをする。

 エンジンは「ロータパワー」と名づけるロータリー・エンジン。小さいながら最大1,200馬力の高出力で、出力重量比が大きく、燃費が少ないために航続距離は1,000km以上。総重量1トンで、ペイロードは340kg。

 操縦はきわめてやさしい。車を運転するように、あるいはそれよりも容易に飛ばすことができる。パイロットはただ、自分のゆきたい方向へ操縦桿を動かすだけ。あとは全てコンピューターがやってくれる。ライセンスがなくても操縦できるようにしたいというのがモラー氏の目標である。

 もっとも、この理想はまだ実現していない。目下開発中のソフトウェアを完成させ、それが実際に有効かつ安全であることを実証してFAAの承認を取らなければならない。ただし、それができなくても、自家用パイロットのライセンスがあればスカイカーの操縦はできる。


M400Xスカイカー

未来都市の移動手段

 スカイカーのような乗用機で飛べば、交通渋滞もなければ、赤信号もない。速度違反で捕まることもなく、移動時間は一挙に節約される。つまり、モラー博士によれば、今の乗用車はまだまだ不便であって、暫定的な乗物に過ぎない。スカイカーは人類を重力から解放し、はるかに効率の良い移動を可能にするものという。

 だが、いかに理想が実現しても安全性に疑問のある危険な乗物は使えない。スカイカーはヘリコプターのようなオートローテイションはできないけれども、機体の形状自体がシャトル宇宙船と同じような滑空体になっていて、動力を失ってもある程度の滑空ができる。

 第2にエンジン数が多い。たくさんのエンジンを搭載していれば、1基や2基が故障しても安全に飛びつづけることができる。そのためM400は8基のエンジンを持つ。エンジン・ナセルは4つで、2基ずつのロータパワーが取りつけてあり、それぞれが独立してコンピューターで制御されている。8基のうち1基だけの故障ならば、正常な垂直着陸も可能である。

 エンジンそのものも単純な構造で、可動部品が少なく、故障しにくい。しかしダクトの中に鳥の群れが飛びこんだり、燃料が切れたり、何らかの理由で動力がなくなったときは、先ず滑空降下して、最終的には機体の前後に組みこんだパラシュートを開いて降りる。

 その他の安全要素としては、エンジンとファンがナセルによって完全に保護され、周囲の人に危険を及ぼすようなことはない。またコンピューターによる自動安定システムを2重に装備している。

 こうしたスカイカーに対して、最近アメリカ国防省も関心を示すようになった。軍用機として最前線の機動力を高めるのに使えないかというもので、この研究開発に軍が乗り出せば資金的にも余裕ができるだろうし、技術的な進展も速まるであろう。

 なお、モラーインターナショナル社は、スカイカーに先だって1〜2人乗りのM200を開発中。円盤のような形をしていて、やはりロータパワー・エンジン8基を搭載、地上3m以下の地面効果内の高度を飛ぶのでパイロット・ライセンスは不要。

 すでに200回以上の試験飛行をしていて、近い将来の近代的な建物が並ぶ未来都市の移動手段をめざしている。価格は9万ドルの予定。


ファーンボロで見たXホーク

ビルの谷間を飛ぶ

 次もスカイカーと同じような形状の乗物である。イスラエルのアーバン・エアロノーティックス社(アーバンエアロ)が開発中の「Xホーク」だが、ベル社が協力することになり、2006年夏のファーンボロ航空ショーで両社の共同計画として大々的に公表された。

 名づけて「Xホーク・ファンクラフト」。機体の中にファン、というよりも小さなローターを内蔵して垂直離着陸を可能とし、尾部の左右両側に推進用のダクテッド・ファンをそなえ、高速で飛行する。

 2006年のファーンボロ航空ショーで、筆者もこのモックアップを見たが、黒い塗装で予想外に大きく、しかも高いところに飾ってあったので、細部はよく分からなかった。ベル社と一緒になって米陸軍の採用をねらっていたから、余りこまかい構造を見せたくなかったのかもしれない。しかしパンフレットには乗用機や救急機といった用途が強調してあり、実現すれば面白いものができそうだ。

 アーバンエアロはイスラエル人のラフィ・ヨエリ博士が小型VTOL機の開発をめざして設立した企業である。博士は25年以上にわたって、航空機の設計と開発にたずさわってきた。その経験を生かして都市の中を自由に飛びまわり、救急救助、警察活動、エアタクシーなどに使える理想的なVTOL機をつくろうというのである。

 そのためローターを機体内部に収容し、ダクテッド・ファン、フライ・バイ・ワイヤ操縦装置、自動安定システム、複合材、騒音軽減などの最新技術を駆使している。

 といっても何か非現実的な考えをもってくるのではなく、基本的な発想は1960年代、米パイアセッキ社が陸軍のために計画し、実験飛行までした「空飛ぶジープ」にある。これも2つのダクテッド・ファンを使って浮上する構造だったが、当時の技術では操縦性が不充分で、ペイロードも少なかった。

 しかし今ならば、複雑な操縦技術をコンピューターによって処理し、フライ・バイ・ワイヤによって作動させることが可能となった。また機体は複合材製として軽くするし、エンジンも60年代のピストンに替えて軽量強力なタービン・エンジンを採用する。そしてダクトの入口と出口には多数のベーン(小羽根)を階段状につけて、その作動により垂直飛行と前進飛行はもとより、横進飛行も可能となる。ベーンによる操縦操作は、ヘリコプターのローターにおける複雑なサイクリック操作に代るもの。これで機体の価格や整備費も削減される。

警備、救急からゲリラ戦まで

 アーバンエアロは、こうしたXホーク開発の前段階として、目下「パンダ」と呼ぶ実験機の試験飛行を進めている。バッテリー駆動の無人機で、長さ1.5m、幅0.8m。胴体の中に2つのローターがあって、直径0.5m。それぞれが別個の動力を持っている。総重量は最大22kg、ペイロード1.5kg、航続時間は30〜40分。

 すでに2008年夏までに、ホバリングや低速飛行を含む一連の基礎試験を終え、きわめて安定した飛行特性を示したという。現在は次の段階として、前進飛行を開始した。

 これらのデータにより、アーバンエアロは次の試験機「エアミュール」の製造に着手した。機体は複合材製で、2009年に初飛行の予定。(後注:すでに初期段階の試験飛行を終わっている)

 機内の2つのローターは直径1.8m。可変ピッチの5枚ブレードがつき、2基のターボメカ・アリエル1D1ターボシャフト・エンジン(400shp)を装備する。

 これらの試験段階を経て、むろん無人機そのものも実用に供される可能性はあるが、いずれはXホークが登場してくるだろう。

 Xホークの設計はすべて、最終的のFAAに基準に合致するようおこなわれている。エンジンやローターも「パワード・リフト」機の安全基準に合わせる。そのうえで型式証明を取得し、高層ビルが立ち並ぶ都市の中を自由に飛び回ることになろう。

 消防機としては、建物の外壁面にピタリとくっついてホバリングできるので、高層ビルの火災に際しては逃げ遅れた人を直接窓から救い出す。また救急機としては人の混雑したところでも患者のすぐそばに着陸して患者の救護ができる。さらに騒音が少ないので、日常的な乗用機やエアタクシーとして使うことも可能。

 これを軍用機として提案しているのは、都市の中のテロ対策やゲリラ戦である。特殊部隊を乗せてビルの間を飛び回り、高層ビルの高いところでも窓から直接攻撃するなり、乗りこんでゆくことができる。

 また、戦場での陸軍の機動力を高めるために、兵員移動にも使える。さらに負傷兵の救護にも使えるはずで、ストレッチャーに寝かせた兵員2人の搭載が可能。


Xホーク

自家用分野に目を向けよ

 最後にジョージア工科大学のダニエル・シュラギ教授の構想を紹介しておこう。2002年秋、日本でおこなわれた講演だったが、ヘリコプターを手頃なコストで無理なく使えるような個人的、日常的な交通手段にするにはどうすればいいかという課題について考えたものである。

 教授の話は先ず「自家用分野に目を向けよ」という呼びかけからはじまる。大メーカーは複雑で高価な先端技術にばかり目を向けるが、自家用機にはなかなか注目しない。この点は、上のこれまでに見てきた開発計画が全て個人的な熱意にはじまって、小さな企業でおこなわれていることでもよく分かる。

 しかしヘリコプターを自家用機として使うという考えは、ヘリコプターの将来にとって非常に重要である。というのは、このことによってヘリコプターが一般化し、広く普及しなければ、いつまでたっても特殊な邪魔者扱いされるばかりで、コストも下がらない。

そこでヘリコプターの製造費、運航費、整備費を下げるには、どのような設計をすべきか。ここでは損傷許容設計、HUMS装備、アクティブ防振装置、費用便益比、オーナーシップ・コスト、ライフサイクル・コスト分析、価格決定までの経済分析など専門的な話には深入りしないが、結論としてヘリコプターが個人的な乗物(PAV:Personal Air Vehicle)となるためには空を飛び、道路を走るという二つの能力を持つ必要がある。

 その具体例として、シュラギ教授は当時のMD500ヘリコプターを取り上げる。既存の機材を利用して開発費を半分くらいですませるためである。そして主ローターを新しい自動トリム・ローターに取り換え、ローターブレーキをつけ、トランスミッションを改良する。さらにコスト削減のために、タービン・エンジンをピストン・エンジンに改める。

 そのうえでスキッド脚を車と同様の4輪に換えて地上走行ができるようにする。また主ローターとテールブームを折りたたみ可能とし、ヘッドライト、尾灯、クラクション、ワイパーなどをつけ、もう少し快適にしたければエアコンもつける。

 こうした改造にあたっては可能な限り部品数を減らし、製造に手間がかからないようにすることが不可欠の条件である。

古くて新しい課題

 シュラギ教授によれば、PAVが道路も走れるようにするのは、離着陸のためにはちょっとした広場が必要だからだ。その広場に多数のPAVを駐機しておくわけにはゆかない。やはり、わが家の車庫か格納庫に入れておき、そこから近所のヘリポートまで走って行って離陸するためである。だからといってハイウェイを高速で走ったり、遠くまでドライブするような機能は要らない。

 飛行性能もエアタクシーや自家用機であれば、都市圏内の近距離を飛ぶだけで、高速、長航続の飛行能力をもたせる必要はなく、したがって機体価格も安くなる。またローターシステムなどの構造を単純化し、最終的には大量生産によって今のヘリコプターの半分程度にまで価格を引き下げる。運航費も、今の3分の2くらいまで下げなければ、市場は受け入れてくれないだろう。

 さらに騒音はどうしても減らさなくてはならない。これにはローターの慣性を大きくして回転数を減らし、ブレードの先端速度を落とす。さらに高速飛行能力をなくすなどの工夫をする。こうして考えてゆくと別図のようなPAVができ上がる。

 シュラギ教授の講演はここまでだが、鳥のように自由に空を飛びたいという気持は、人類の古くからの願望であり、いまだに実現していない。ということは、ヘリコプター関係者には最も古くて最も新しい課題にほかならない。

 その見果てぬ夢が今ようやく実現しようとしている。ここまで果敢に挑戦してきた先人たちの努力に、改めて敬意を表したい。

(西川 渉、ヘリワールド2009掲載、2010.1.16)

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