<空飛ぶ救命室④>
ヘリコプターの天敵

 
    アメリカのハイウェイを走っていると、頭上の電線にバスケットボールのような大きな球が取りつけてあるのを見ることがある。いうまでもなく、低空飛行をする航空機に対する危険標識だ。
 しかし日本では、こんな光景は見たことがない。一体どうなっているのだろうか。
 
 


(2018年7月号)


危険標識の危険な実態
 
    航空障害に関しては、日本の法律にも当然しっかりした定めがある。たとえば地上60m以上の煙突、鉄塔などには障害灯をつけなければならない。また、電線などの架空線については赤と白、もしくは黄赤と白の直径0.5m以上の球形の標識を交互に45mおきに取りつけることになっている。
 ところが別の取り決めもあるらしく、電線の場合は、それを支える鉄塔の最頂部に航空障害灯があれば代替とみなして球形の標識はつけなくていいとか、鉄塔が樹木などにかくれていなければだんだら色を塗っておけばそれでもよいという。つまり電線という障碍物そのものは放置したままで、遠くの鉄塔に灯火をつけたり色を塗ったりするだけですますことができるというのだ。まことに危険な考え方といわざるを得ない。
 かつて日本では1960年代から90年代にかけて、ヘリコプターによる水田の農薬散布が盛んにおこなわれた。その結果、下表に示すように電線との衝突事故が多発し、たくさんの犠牲者が出た。
 田んぼの上を低く飛ぶヘリコプターの高度と、あぜ道に沿って張りめぐらされた電線がほぼ同じ高さだから、これではぶつからぬ方が不思議というもの。ベテラン・パイロットも電線を避けるのが難しく、死んだ人の中には筆者の知人も少なくない。ただし今世紀に入って幸か不幸か、農薬散布に無人ヘリコプターが使われるようになり、有人機の電線衝突はほとんどなくなった。
 とはいえ2010年代になっても、電線との衝突事故(ワイヤ・ストライク)が2件発生し、合わせて7人が死亡している。ひとつは山の中の物資輸送をしていたスーパーピューマが荷吊り場から離昇した途端、すぐそばの送電線に触れて墜落、2人が死亡したもの。もうひとつは海上保安庁のベル412EP中型機(15席)が香川県沖の瀬戸内海上空に張り渡された送電線に衝突、乗っていた5人が死亡した事故である。
 とりわけ海上保安庁の事故は、航空法に規定された障害標識――赤白の球が電線に取りつけてあれば容易に視認できたはず。あたら5人の命をなくすこともなかったにちがいない。しかし恐らくは多数の球を取りつける作業が面倒で費用がかかるといった理由から、この電線を支える鉄塔に航空障害灯を取りつけるだけで済ませてしまった。けれども運航する方は、1キロ以上も離れた別々の島にある鉄塔の間に電線が張り渡されているとは思いもよらず、実際に運輸安全委員会の調査飛行でも鉄塔は樹木や島陰にかくれて見えたり見えなかったりする状況にあった。
 あるいは飛行前に、そこに電線のあることを確認しておくべきだという理屈もあろう。が、そんな屁理屈だけで安全の保持はできない。その前に作業が面倒だとか費用がかかるとか、そんなことでは事故が起こるのは当然のことである。

 
 


 障害物の撤去とレーザー探知
 
    では、こんな時どうすればいいのか。危険標識のない障害物を探知し、回避する方法を具体化しつつあるのがスイスのREGAである。赤十字傘下のREGAは救急と救助を専門とするだけに、アルプスの山岳地を低空で飛ぶことが多い。そのため2001年以来、山の中に放置したまま使わなくなった電線、索道、スキーリフトなどの障害物を撤去する運動を続けている。これには他のヘリコプター会社や軍も協力し、スイス航空局も賛同して、最初の3~4年間に200ヵ所以上、最近までに450ヵ所ほどの障害物が撤去された。
 そして目下、障害物回避の本命としてREGAとイタリアのヘリコプター・メーカー、レオナルド社との間で開発が進んでいるのがレーザーによる障碍物探知警報装置である。すでにテスト飛行も始まっており、機体前方を連続的にスキャンしながら遠く2km先までの細いケーブルや柱などの障碍物を探知して警報音を発する。同時にコクピットのディスプレイ上に位置を表示する。これをREGAは2021年から3機を導入する全天候型のAW169救急ヘリコプターに装備する予定。
 
 
レーザーで前方の電線を探知する


 無電柱化の目的と効果
 
    そこで日本だが、このほどようやく国土交通省の無電柱化計画が発表された。これで各地の電線が減ってゆけば、低空飛行の多いドクターヘリの安全も高まることになろう。
 たとえば2016年8月に起こった神奈川県ドクターヘリのハード・ランディングも、患者を乗せた救急車との合流地点に着陸する際、直前に高い電線を越えなければならなかった。そのため降下の角度が深くなり、パワーセットリングに陥ったのである。幸い死傷者はなかったけれども、機体は大破し、大惨事を招くかもしれない事態であった。
 もとより電線は直接の事故原因ではない。けれども、あそこに電線がなければ、なんでもない救急飛行に終わっていたはず。そう思いながら無電柱化計画を読むと、まずは2020年度までの3年間に東京都心部の幹線道路の電柱をなくすというのが目標らしい。それによって災害時の交通障害を減らすとか、景観を良くして観光振興をはかるというのが目的で、ヘリコプターなどはてんから考慮されていない。もともと電線や電柱がヘリコプターの「天敵」といった考え方がないからだろうし、東京都にも何故かドクターヘリが存在しないからであろう。
 しかし本誌6月号でも述べたように、東京都では救急患者が病院に収容され、医師の治療が始まるまでに50分以上の時間を要している。一方で大都市ロンドンでは8分以内の治療開始を目標に市内の至るところに救急ヘリコプターが着陸する。それができるのは無電柱化100%という飛行環境があるからだ。
 電柱や電線がなくなって困るのは、犬とカラスくらいではないだろうか。
 
  (西川 渉、月刊「航空情報」2018年7月号掲載

 
 



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