15年を足して下さい

 

 日本は世界で最も進んだ国というイメージがあるが、案に相違してヘリコプター救急システムはきわめて貧弱である。

 この国の地上救急体制はよくととのっており、1983年には215万人が救急車で運ばれた。しかし事故の現場にも救急車の中にも医師の姿を見ることはできない。したがって救急患者は病院に着くまで、ほとんど何の応急処置もほどこされない。

 自衛隊、海上保安庁、警察、消防などが保有するヘリコプターも救急のためには2次的な搬送に、それも時どき使われる程度である。そして国の保有機は小さな離島で発生した緊急患者を本土の病院へ運ぶのに使われるにすぎない。したがって、この国の1億2,000万人という大変な人口にもかかわらず、1981年の航空機の救急出動はわずかに550回であった。

 1983年にはベル206Lをもった民間会社が救急事業を目的として設立されたが、費用が高すぎて当初は利用率が低かった。日本ではこれからの分野である。

 ようやく最近になって国土庁がヘリコプター救急の実験をおこない、新しい全国的なネットワークづくりが関心をもたれるようになった。

 

 これは、1985年末のアメリカの航空専門誌が世界のヘリコプター救急の特集をしたとき、日本について書いている部分である。それが『航空情報』(1986年11月号)に紹介されているのを、昨日古雑誌をかき回していて見つけた。アメリカの航空専門誌とは、多分『ローター・アンド・ウィング』誌ではないかと思うが、ここには書いてない。

 実は紹介しているのは私自身で、すっかり忘れていた。私の記事は「人命を助けるヘリコプター」という題の8頁という長いものだが、とにかく上の引用文が15年近くも前に書かれたものとはとても思えない。1981年とか83年に15年を足して読んでも違和感のないのが不思議である。

 この15年間、われわれは世界に恥をさらしたまま、いったい何をしていたのだろうか。

(西川渉、2000.2.13)

「新防災救急篇」へ) 表紙へ戻る)