正しい気管内挿管法

 人間呼吸をしなければ死に至る。当たり前である。生きるか死ぬかの「いきる」という言葉も息に通じる。ところが意識を失うと呼吸困難におちいる。舌根や喉頭蓋が落ちこんで、気道がふさがれるからである。睡眠中のいびきも、その所為と考えられる。

 これが、交通事故などの大怪我によって意識不明になったときは、いびきくらいではすまない。自分の舌で気道をふさぎ呼吸停止の状態になってしまう。ほかにも吐いた異物が気管に詰まったり、声門が痙攣したり、いろいろな原因で呼吸ができなくなる。

 したがって呼吸のための「気道確保」は救急蘇生法における最優先の基本事項である。そのために救急現場ではどのような処置がなされるか。先ず口の中に吐物や異物があればこれを取り除く。次いで頭を後方へそらせたり、下顎を前へ押し出す。これで気管が開くはずだが、それでも駄目ならば気管の中へチューブを挿入する。それが出来ないときは喉を切り開いてチューブを入れる。教科書には、これらの救急処置が「気道開通法」「気管内挿管」「緊急気管切開」などの言葉で説明してある。 

 さて最近、救急救命士の気管内挿管が問題になっている。秋田県の救急現場で気管内挿管を救急救命士がおこなったところ、間違って食道に入ったため患者が死亡したのが発端である。

 なるほど気管内挿管は医療行為である。医師以外のものがおこなうことはできない。医師法第17条(非医師の医業禁止)には「医師でなければ、医業をなしてはならない」と書いてある。したがって気管内挿管が医業であるとすれば、これができるのは医師だけということになる。

 もっとも、医業の中でも患者に対して比較的影響の小さい行為については、「診療の補助」として看護婦などが行うことができるとされている。われわれも病院へ行くと、よく看護婦さんに注射をされたり、血を抜かれたりする。

 また救急救命士法第44条(特定行為等の制限)には「救急救命士は、医師の具体的な指示を受けなければ、厚生労働省令で定める救急救命処置を行ってはならない」と書いてある。「厚生労働省令で定める救急救命処置」とは、

(1)除細動
(2)静脈路確保のための輸液
(3)器具による気道確保

の3つの処置だそうである。

 これを「特定3行為」というらしいが、上述のように「医師の具体的な指示を受けなければ……」と書いてあるところから、逆に指示を受ければやっていいことになる。

 

 そこで12月15日付「朝日新聞」(夕刊)には「救命士の気管内挿管、青森・下北でも5〜11月で5人」という見出しが見える。下北消防本部の調べでは半年ほどの間に5人の患者がそれぞれ救急救命士から気管内挿管を受けたという話である。いずれも医師の指示のもとに挿管処置を施したというもので違法でも何でもない。何故そんなことが新聞の大きな見出しになるのか分からない。

 ただし「救命士らは『研修で習っていて、技術的にはできると思い、助けたい一心でやった』などと話している」と書いてある。悪事を働いた犯人が言い訳をしているような書き方で、なるほどそれが狙いだったのかと思われる。

 さらに読んでいくと「同本部の何某次長は『医師法違反になるので厳重に注意した。気管内挿管のチューブを救急車に常備することもやめた』と話している」とか。

 私は、この次長さんは思い違いをしているのではないかと思う。医師の指示を受けて処置したのだから医師法違反にはならないはずである。したがって「厳重に注意」するのもおかしい。むしろ救急救命士の「助けたい一心」をほめるべきで、こんな上司がいたら部下はやる気をなくすであろう。

 そのうえ、仮に法律違反だとしても、目の前で瀕死の患者さんが苦しんでいれば、誰でも何とかしたいと思うであろう。ましてや救命救助を本務とする救急隊員である。人命救助は法に優先することだってあるのだ。

 さらに次長さんは、挿管用のチューブは常備しないという。これは今後、医師の指示があってもやらないということで、救急業務という消防機関の職務上の義務を放棄したことになる。それこそ法律違反ではないのだろうか。

 今後、青森県むつ市など8市町村の皆さんは、意識をなくすような救急事態におちいって窒息に至ったときは命が助からぬものと覚悟した方がいいかもしれない。

 

 朝日ほどひどくはないが、『毎日新聞』(12月14日付)にも似たような記事がある。「気管内挿管――長岡でも5年間で383人」という見出しで、こちらは新潟県長岡市の話である。「約5年間に383人に対して気管内挿管していたことが、県の調べなどで分かった。長岡市消防本部は『医師の直接的指導を受けて行っていた』と話している」というもの。

「同本部の何樫次長によると、97年1月から今年11月末までに、搬送した心肺停止患者1,070人のうち383人に気管内挿管を実施した」。けれども「何樫次長は『その際、無線や電話で医師の了解を得ていた。病院でも気管内挿管の実習を受けた。医師の救命への熱意で指導があったと考えている』と説明した」

 なんだかしどろもどろの弁解をしているような書き方だが、医師の指示や指導があれば気管内挿管をしてもいいという点では、長岡の次長さんの方が正しい。現に長岡市だけで、これだけ沢山の人が処置を受けているのだ。そのことから見ても、新聞記者に何をいわれたか知らぬが、あわててチューブを隠すようなむつ市の次長さんは困ったものである。

 新聞やマスコミはどういう意図をもって、この問題を書いているのだろうか。朝日新聞の関連記事は秋田で問題が起こって以来3つ目ではないかと思うが、救急救命士による気管内挿管は法律違反と言わんばかりである。「悪法も法」とはいうけれど、その悪法を改めようとは思わないのだろうか。

 この問題は、すでに何年か前から関係省庁や医師会、学会の間で取り上げられ、制度すなわち法規の改正も論じられてきた。しかし、いっこうに改められないし、一方では悪法の故に命を落としている人もいるのである。

 冒頭に書いたように、気道確保は救急医療における最も基本的な最も重要な応急処置である。しかも救急現場では待ったなしで実施しなければならない。しかるに現場に出ていく救急救命士にやらせないとすれば、あとは医師が救急車に乗って現場へ出ていくほかはないではないか。

 しかし実態は、医師が病院の中で待っているだけであり、やむを得ず現場の救命士は電話や無線で医師を呼び出し、患者の容態を説明して指示を仰ぐ。そのうえで気道確保の処置をすることになるが、一刻を争う救急業務で瀕死の患者を目の前にしながら、遠くの医師に連絡をとるなどという制度は、大きな矛盾であり、間違いである。

 医師が出ていかないのであれば、救急救命士が独自の判断で処置できるような制度にすべきであろう。そのためには教育訓練の時間を増やし、技能の向上をはからなければならないのは当然のこと。これについても「メディカル・コントロール」という表現で論議が繰り返されているが、いつになったら実行に移されるのか。

 アメリカでは、ほとんど救急現場へ医師がでてゆかない。その代わり高度の訓練と経験を積んだパラメディックやナースが出ていき、必要に応じて気管切開もおこないつつ挿管をする。彼らは救急処置に関しては普通の医師よりも高く実践的な技能を持っている。

 欧州ではドイツ、フランス、スイスなど、医師が現場へ出て行く。そのために救急車、ドクターカー、医師専用のスピードカー、そしてヘリコプターなどが使われる。

 日本の救急体制はアメリカ方式でもなければヨーロッパ方式でもない。世界に例のない独自の医師会重視・患者無視の日本方式である。それが今後もつづくとすれば、日本人に生まれた不幸を嘆くほかはあるまい。

(西川渉、2001.12.18)

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