救急車に代わるもの

 

 5月22日付けの『朝日新聞』夕刊に、東京消防庁は昨年春から救急車が出払ったのちに救急要請が出たときは、消防車を出動させるという記事があった。救急救命士などの救急隊員が消防車で駆けつけ、救急車の到着まで応急処置をするというのである。

 その結果、今年3月末までの1年間の実績は、救急要請が総数582,400件。そのうち救急車の代わりに消防車が出たのが97,300件。うち救命効果のあったものは335件だったという。

 たとえば消防車で駆けつけた救急隊員が、その場で心臓マッサージを続け、患者の意識が戻ったという。救急車が到着したのは11分後であった。また喉に餅が詰まった人の人工呼吸をして蘇生させたが、救急車はその後、おくれて到着した。

 私は、これは非常に良いことだと思う。本頁にも何度か書いているように、救急患者の生死は応急手当を着手した時間によって決まる。手遅れになってしまっては、如何なる名医も手のほどこしようがないし、如何に最新の医療施設でも何の役にも立たない。そのためには救急隊員でも医師でも看護婦でも、早く患者のもとへ行かなければならない。

 ところが、そんなときの移動手段は救急車というのが常識らしい。だからこそ上のような新聞記事になるのだが、実はそうである必要は全くない。むしろ救急車を使う方が間違いではないのか。救急車は大きくて重いから、事故現場に行く途中で渋滞に巻きこまれたら動きが取れなくなる。せまい路地にも入ってゆけない。そんな不便なものを使って、救急隊員や医師が走る方がおかしい。救急車は患者の搬送が目的で、医師の搬送が目的ではないのである。

 そこで、救急車の代わりに消防車を使うくらいならば、その考えをさらに進めて、小さくてスピードの出る普通の乗用車で走ってはどうか。その乗用車の後部に必要最小限の医療器具や医薬品を積んでおけば、これはもう立派なドクターカーである。

 さらに乗用車ではなくて、バイクをつかってもいいだろう。車では行けないようなせまいところや、山道のけわしいところでもバイクならば走れる。バイクだって、ちょっとしたものを積むことはできるし、リュックに入れて背中にかついで走ってもよいだろう。

 こういう移動手段で救急隊員や医師が走り、いち早く現場に着いて応急手当をしているところへ、あとから救急車がやってくる。その方が救命効果は上がるであろう。

 そのうえ、普通の乗用車ならば、消防車や救急車にくらべて10分の1以下の値段で購入できる。購入予算も安くてすむだろう。逆に、消防車の購入台数を1台でも2台でも減らして、その分だけ乗用車やバイクを買い、いっぺんに10か所とか20か所の消防署に配置しておく。救急隊員も大げさな消防車よりも手軽に出動できるであろう。ガソリン代だって、乗用車の方がよっぽど安いにちがいない。

 上の記事にあったように、この1年間の119番通報は582,400回。これを365日で割ると1日1,600回である。そのうち火事はどのくらいか。おそらく20回程度であろう。今や119番通報の99%は救急要請なのである。

 したがって救急車は常に大忙しだが、消防車は遊んでいる時間が多い。それならば、消防車を減らして救急車を増やしたらどうかと思うが、なかなかそうもゆかぬらしい。理由のひとつは、救急車はほとんど1件1台で間に合う。けれども消防車はいったん火災が発生すると、たいてい3台とか5台とか、大挙して出動しなければならない。つまり、一時に大量に必要だから、普段は遊んでいるように見えても、やはり多数の配備が必要なのである。

 とすれば、消防車ばかりでなく救急車の購入も減らしてはどうか。東京都が消防車や救急車を毎年何台ずつ購入しているかは知らぬが、限られた予算の中で最大の効率を上げるためには、これら大型重装備の車両の代わりに、現在すでに必要最小限のものはそろっていることを前提として、たとえば来年度は消防車や救急車の購入台数をいくらかでも減らし、その分だけ乗用車やバイクを買い入れる。とすれば、消防車や救急車の10倍くらいの台数が買えるだろう。それに乗って救急隊員が走り回れば、消防車を使うよりもさらに救命効果が上がり、経済効果も良くなるはずである。

 そうなれば、これはもう救急車の代わりではない。救急車や消防車では真似のできない独自の任務がそこに生まれるのである。

(西川渉、2001.5.28)

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