<ATR旅客機>

環境問題の解消に挑む

 

 今ターボプロップ旅客機が注目を集めている。石油価格の高騰に伴って燃料費が上がったこと、地球環境に与える航空機の影響が問題視されるようになったこと、そして景気の後退によってエアライン経営がきびしくなったことなどによるものだ。

 こうした課題について、ターボプロップ機がどこまで対応できるか。新しい時代の旅客機としてどこまで伸びてゆけるか。ATR旅客機を取り上げながら、見て行くことにしたい。

2007年実績はこれまでの最高

 ヨーロッパの航空機メーカーATR(Avions de Transport Regional)は南仏トゥールーズに本社を置き、フランス、ドイツ、スペインの資本から成るEADS社と、イタリア・フィンメカニカの傘下にあるアレニア社との合弁企業である。量産中の航空機はATR42-500と72-500。いずれも双発のリージョナル・ターボプロップ機だ。

 この2機種は、2007年中の受注数が113機であった。内訳は大きい方のATR72が97機、ATR42が16機。ほかに26機の仮注文があり、年間受注数としてはATR史上最高の記録となった。ちなみに2006年の受注数は確定63機だったから、07年はその2倍に近い。

 これでATR機の受注残高も、最高の195機に達した。また創業以来の受注数は総計950機になったが、今年中には1,000機を超えるものと期待されている。

 これら2007年の受注数113機を国別に見ると、アジア太平洋地域からの注文が59機で半分を超えた。現在ATR機が飛んでいる地域は圧倒的にヨーロッパが多いが、いずれアジアでも増えることになろう。現に2007年の引渡し数は44機だったが、そのうち半数以上の24機がアジアのエアライン向けであった。

 ただし、中国からは全く注文が出ていない。その意味するところは必ずしも悪いわけではなく、いずれ彼らが目覚めたときには大量の注文が出るだろうというのがATR社の強気の読みである。

 振り返ってみると、ATRの受注数は2003年の実績がわずか10機であった。これで命脈もつきたと思った人も多かったにちがいない。それが2005年から急増して、昨年は10倍以上の注文を獲得したのである。

 2008年の受注数はやや下がる見こみだが、需要の見通しは長期的にも悪くない。というのは燃料の値段が上がったことから、燃料効率の良いターボプロップが有利になってきたためで、ATRはターボプロップ機について、向こう10年間に1,400機の需要があると予測し、その大半を自ら獲得するとしている。

 現に同じ50〜70席クラスの競合ターボプロップ機、カナダのダッシュ8-300/8-Q400とのシェア争いは、ATR42/72が63〜65%を占めている。にもかかわらず、なぜ日本ではダッシュ8ばかりで、ATR機がないのか不思議なほどである。

 同様にアメリカ市場でもATR機は少ない。けれども昨年各地でデモ飛行をした結果、ATRに対するエアライン各社の関心が高まって、目下いくつかの契約交渉が進んでいる。

 こうした需要増に対して、ATRの生産態勢は、2007年の44機から今年は60機に増やす予定。そして2010年までには80機にする計画である。

革命の嵐に耐えて

 ATRの発足は26年前、1982年2月であった。当時の仏アエロスパシアル社と伊アエリタリア社との合弁企業として設立され、直ちに乗客48人乗りのATR42の開発に着手する。最初のATR42-300が初飛行したのは1984年8月16日で、翌85年から量産機の引渡しがはじまった。87年には出力を強化して、飛行性能を上げたATR42-320も実現する。

 これと並行して胴体を引き延ばしたATR72の開発も進み、1989年ATR72-200が完成、92年には出力増強型のATR72-210も実現した。

 その後も両機は改良を重ね、最終的に1990年代なかば-500となる。これが現在量産中の機体で、ATR42-500は1995年、ATR72-500は97年に型式証明を取得した。双方ともに前のATR機にくらべて出力が増し、最大離陸重量が大きくなり、キャビン構造の改良によって内部の騒音が減少、頭上の手荷物入れが大きくなった。またプロペラは6枚ブレードを採用して騒音が減り、燃料消費も減って直接運航費が安い。

 この両機は共通部分が多いことも大きな特徴で、ATR72が旅客68〜74席、ATR42が48〜50席という大小の違いがありながら、エンジンとプロペラは同型式だし、コクピットも変わらない。したがってパイロットの資格も共通で、3時間の地上訓練を受けるだけで、乗り換えることができる。また油圧系統、電気系統、前輪などの部品類も9割が共通しているので、2機種を同時に扱うときの整備技術や部品補給が楽になり、経済的でもある。

 もうひとつの特徴は、旅客機から貨物機へのクイックチェンジ・キット。これを使えば、45分間で旅客型から貨物用へ変換できる。したがって昼間は旅客機として飛び、夜間は貨物機として使うことも可能。貨物は2.8立方メートルのコンテナを最大13個搭載し、このときのペイロードは6.5トンになる。

 しかし、すぐれた特徴にもかかわらず、-500の売れゆきは初めのうち必ずしも伸びなかった。というのは90年代なかば、その完成と同じ時期に「RJ革命」のかけ声で始まったリージョナルジェットの盛況に押されたためである。しかしATRは革命の嵐に耐えて頑固に製造をつづけ、ついに2005年復活を果たすに至った。

競合機とのコスト比較

 ATR復活のきっかけは燃料費の高騰であった。航空界にとっては不幸な出来事ではあるが、ATRはその苦境を逆手に取って新たなチャンスをつかんだのである。

 地域航空路線は比較的短く、乗客も少ない。それだけに、ジェットよりターボプロップの方がコストが安くなる。乗客からすれば、ジェットの信頼性と高速性は魅力的で、高々度を飛ぶため揺れもすくない。しかし、近距離区間では目的地への到着時間にさほど大きな差が出るわけではない。しかも最近のターボプロップ機は技術的にも進歩しているので、静かで快適な乗り心地を楽しむことができる。

 そのうえターボプロップの方が運賃も安いということになれば、さほどの長旅でもない区間では、旅客もターボプロップの方を選ぶであろう。

 では、どのくらい安くなるのか。ATR社の計算では300nm(555km)の区間を年間2,000回飛ぶとして、着陸料、整備費、燃料費、乗員人件費の合計は、飛行1回あたりのコストがATR72-500の1,500ドル余に対して、ダッシュ8-Q400で24%増、リージョナルジェットは35%増になるという。特に燃料費だけを取れば、ダッシュ8に対して年間60万ドル(約6,600万円)の節約になるというのである。

 555kmといえば、日本の東京〜大阪間に相当するが、この計算はアメリカの価格水準にもとづいているので、そのまま日本に当てはまるかどうか分からない。逆に、アメリカにくらべて燃料費の高い日本では、もっと大きな差が生じるかもしれない。

 というのは、ATRとダッシュ8では、燃料消費量が異なるからで、ダッシュ8は速度性能に重点を置いたことから高出力のエンジンを装備、それだけ燃費も多いためである。といって、目的地までの飛行時間にさほど大きな違いが生じるわけではない。このもようは下表に示すとおりである。

 こうしたことから、ATR42-500は座席数48席のうち18席が埋まれば採算がとれるし、ATR72-500は68席のうち21席で採算が合うというのがATR社の計算である。

    

ATR72-500

ダッシュ8-400

エンジン

PW127F

PW150A

出  力

2,750shp×2

5,071shp×2

200nm区間

所要時間

49分

44分

消費燃料

711kg

1,056kg

300nm区間

所要時間

1時間10分

59分

消費燃料

961kg

1,413kg

次世代の-600シリーズ

 こうした現用機をさらに改良する計画が、今ATR社で進んでいる。昨年10月初めに発表された次世代機「-600シリーズ」の開発計画である。ATR42-600とATR72-600の2機種がそれで、これまでATR機を使ってきたエアラインの運航経験を反映させ、最新の技術を採り入れる。

 特に、新しいPW127Mターボプロップ・エンジンを装備して出力を強化、最大離陸重量が300kgほど増加し、ペイロードも200kg増、高温高地での離着陸性能も向上する。また現在の計器類に換えて、新しいターレス・アビオニクスを装備、5面の液晶カラーディスプレイ(LCD)を取りつけて飛行情報、エンジン計器、気象レーダーなどを表示する。これには衝突防止装置や地形警報装置も含まれる。

 さらに通信および航法装置も改善され、キャビン内部の照明や機体外部の航法および衝突防止用の灯火には発光ダイオードが使われる。客席にはエンターテインメント装置もつく。同時に機内の快適性、航空機としての信頼性を高め、1席あたりのコストはリージョナル機の中では最も低いところをめざす。また短距離離着陸性能も改善し、着陸は雲高15mまでのカテゴリーVA進入が可能となる。そして機体設計は構造の単純化をめざし、整備作業もやりやすく手間がかからぬようにするという。

 新しい-600はRNP進入もできるようになる。RNPとはRequired Navigatin Performanceの略で、航空機の航法精度を高めることにより、空港に向かう進入経路を短縮すると共に、今のように階段状に高度を下げてはしばらく同じ高度で飛び、また高度を下げてはその高度を維持するといった方式ではなく、エンジン出力を絞ったまま、ゆるい坂道を降りるようにまっすぐ降下する。これで燃料節約量は大きくなり、騒音は少なくてすむ。さらに空港周辺の空域の混雑も減るはずで、そうなれば上空で着陸の順番を待って待機する機体も減るであろう。

 こうして、新しい-600は現用機とは大きく異なるものとなり、2010年後半には実用化の予定である。

航空機による環境汚染

 さて、次世代ATR機の燃料消費が少ないということは、単に運航コストが安くなるという利点だけではない。もっと重要なのは、地球環境に対する影響の問題である。これからの航空機は、環境問題を無視しては飛べない時代が到来しつつある。

 とりわけヨーロッパでは、この問題が徹底的に追及されており、たとえば昨年夏、ロンドン・ヒースロウ空港で滑走路増設反対のデモが行なわれた。しかし、この運動は騒音や安全を問題とするものではなく、環境汚染が対象であった。空港周辺に集まった人びとの主張は、なんと飛行機に乗るのをやめようというのである。

 その主張によると、ヒースロウ空港の乗降客は2010年までに25%ほど増加する。これは格安航空の普及によるところが大きく、二酸化炭素(CO2)を含む排出ガスは2〜3%増加する。この環境悪化を防ぐ方法はただひとつ、みんなが飛行機に乗らないことである。現にヨーロッパの企業の中には社員の出張を抑えて、用があるときはテレビ会議をするところも出てきた。

 航空旅行者を減らすには燃料税を高くして航空運賃を上げ、団体客の観光旅行をやめさせるのが最善の策にほかならない。しかるにエアラインは、国際線の場合、燃料税を払っていない。環境悪化については何のつぐないもしていないという意見もある。

 これまでは世界中どの国も観光旅行を奨励し、観光客を呼びこむ努力をしてきた。日本も、それが国策になっているほどである。しかし最早、そんな政策は時代遅れになってきた。もし政策を続けるとすれば、環境に影響しないような方法を取らなくてはならないのである。

 では、航空機による環境への影響はどのくらいあるのだろうか。IPCC(International Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)が1999年に出した報告書「航空と地球大気」によれば、人類が発生する二酸化酸素(CO2)の中で、航空機による排出量は2%を占めるという。無論CO2ばかりではなく、窒素酸化物(NOX)や煤煙、水蒸気などによる大気汚染も問題で、今のような石油燃料を使うエンジンでは、これらの有害物質をなくすのは非常に難しい。

 そこから、観光旅行の奨励どころか、飛行機に乗ることすらやめるべきだという考え方が出てきたのである。航空人としては無論、放ってはおけないだろう。

汚染物質の排出制限

 最初の反論は、IATA(国際航空運送協会)を中心とするエアライン側の言い分で、観光客、ビジネス客、そして貨物の航空運送によって、航空事業は世界中のGDPの8%を生み出しているというもの。たしかにそうではあろうが、だからといって地球温暖化をもたらすような有害物質をまき散らしていいという理屈は成り立たない。

 そこで航空機メーカーの言い分が出てくる。すなわち最近の航空機は昔にくらべてエネルギーの消費が少なく、CO2の排出量が減った。たとえば40年前の航空機にくらべると、燃料効率は3割ほど向上している。今後はさらに、エアライン自体、運航費が安くて経済的な航空機を購入しようとするので、メーカーの方もそれに応じられるような航空機の開発に努力するというもの。

 新しいボーイング787がその一例だが、胴体を複合材でつくることによって機体の自重を減らし、燃料効率を高める結果となっている。さらに787ならば、比較的少数の乗客を乗せて直接目的地へ飛行する。ハブ・アンド・スポーク・システムのように乗客が遠回りをして目的地へ飛ぶ必要はなくなる。その分だけ1人あたりの燃料消費は少なくなる。

 一方エアバスA380などは、遙かに多くの乗客を乗せて、ハブからハブへ飛ぶ。従来の旅客機にくらべて乗客数が多い分だけ、これも1人あたりの燃料消費は少なくなる。

 空港当局の課題も大きい。たとえば滑走路とターミナルとの間は旅客機を牽引車で引っ張ることにして、できるだけエンジンを使わないようにする。また上述のRNP進入で見たように、空港周辺の航空管制を効率化して、誘導路で長々と離陸の順番を待ったり、上空で着陸の順番を待ちながら旋回をつづけるようなことはなくす必要がある。

 最終的には大気汚染を生じないような代替エネルギーの開発に向かうべきだろうが、その前にヨーロッパではEU当局が域内に乗り入れてくる航空会社ごとに排出量を割当てる法律を検討している。この割当てを超えたエアラインは欧州への乗り入れができなくなるかもしれない。そこで「排出量取引」の制度を定め、排出規制の限度に達したエアラインは、まだ割当て限度までに余裕のあるエアラインに金を払って排出権を分けて貰う。ヨーロッパ委員会は少なくとも欧州諸国の航空会社間では、この取引制度を2011年から始めるための計画を進めている。いずれは、この制度が欧州へ乗入れてくる世界中の航空会社へも適用されるようになり、最終的には同じ制度が世界中で行なわれるようになるかもしれない。

航空界に課された難問

 そこでATRターボプロップ機に話を戻すと、区間距離550km、速度550km/h、つまり東京〜大阪間に相当する1時間程度の飛行であれば、同じ70席クラスのジェット機はターボプロップ機の約1.5倍の燃料を消費する。したがってATR72-500の1席あたりのCO2排出量はジェット機の3分の2ですむし、競合相手のダッシュ8-Q400にくらべても25%減となる。

 実はATR72-500は車よりもCO2の排出量が少ない。これはATRの計算によるもので、ヨーロッパ製の自動車に2人が乗って370kmの区間を走る場合、CO2の排出量は旅客55人が乗ったATR72に対して、下表のとおり1人1kmあたり17%増になるという。

       

ATR72-500

欧州製自動車

搭乗者数

55人

2人

1人あたり燃料消費量

14.4リッター

17.4リッター

1人1km当りCO2排出量

95g

112g(+17%)

 またターボプロップ機は、ジェット機にくらべて比較的低い高度を飛ぶので、上空大気やオゾン層に対する影響も少ない。

 新しいATR-600シリーズは、こうした環境問題をさらに改善するため、機体の空力効率を6%高め、燃料消費をエンジンそのもので10%減らし、プロップファンとしては30%減とする。電子機器に要する電力も4%減、構造部材などの重量は10%減らす。こうしたことで、CO2排出量は20〜38%減、窒素酸化物は45〜55%減、機外騒音は3〜4デシベル減を目標として設計が進んでいる。さらに今の-500に対して離着陸距離を短くし、RNP進入のような急角度の素早い進入着陸もできるようにする。

 航空界に対して、環境問題は今後ますます重く大きくのしかかってくるであろう。といって航空機が公共交通輸送の一翼を担っている限り、これを極端に減らしたり止めたりすることはできない。とすれば、この矛盾した問題を解消することが航空界に突きつけられた課題といえよう。

 そこでATRは宣言する。「今、ATRターボプロップ機は、少なくとも近距離航空輸送に関する限り、そうした環境問題を解消し、経済的にも貢献する道を拓きつつあります。ATRの技術革新は決して終わることはないのです」

(西川 渉、月刊『エアワールド』誌2008年7月号掲載)

【関連頁】

 飛躍のときを迎えたATR(2005.2.1) 

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