<ベル・ヘリコプター>

UH-1引退

 ベルUH-1単発タービン・ヘリコプターは、ベトナム戦争以来50年の戦績を残して、去る10月、正式に米陸軍の実戦配備から退役した。

 UH-1は1956年に原型1号機が製造された。実戦配備は59年。当時はHU-1と呼ばれ、そこからヒューイの愛称が生まれた。

 生産数は15,000機を超え、半分以上がベトナム戦争に投入された。戦場では敵攻撃の中で頑健な信頼性と多用性を発揮して、幅広く活躍した。

 UH-1はベトナム戦争のシンボルでもある。というのも、このヘリコプターはジャングルの中の兵員移動に使われたばかりでなく、上空からの援護射撃や数え切れないほどの負傷兵の救護にあたったからで、その退役に際して、米陸軍の高官は「ヒューイは単なるマシーンではない。それは、わが身の一部であり、わが命でもある。ヒューイのローター回転音はわれわれの心臓の鼓動のようにも聞こえる」と語っている。

 このUH-1ヘリコプターの誕生について、今から15年ほど前、1995年に出たベル社の社史「Bell Helicopter Story」は、以下のように書いた。

 ……1950年代なかば、米陸軍はヘリコプターが朝鮮戦線の負傷兵救出に有効だったことを考え、もっと大型のターピン機を救急搬送機として使うことにした。これが後のUH-1である。

 開発はエンジンからはじまり、まずライカミングXT53エンジンに資金が投じられた。それからヘリコプターの望ましい設計仕様を定めた。総重量3,600kg前後でキャビン内部に担架4人分の搭載ができること、半径185kmの進出距離を速度185km/hで往復できること、高度1,800mで地面効果外のホバリングができること、といった条件である。

 この程度の要求性能はむろん今では何でもない。しかし当時としては画期的な飛行能力であった。この開発競争には、多くのヘリコプター・メーカーが設計案を提出、最後にベルHU-1とカマンH-43が残った。

 審査の結果は、どちらも優劣をつけ難い状況にあった。しかし左右両肩から双ローターを張り出したH-43は、すでに米空軍が使っているので実績もあり、もし陸軍が同じものを採用すれば、製造機数が増えて1機あたりの単価は割安になると思われた。

 だが結局、実務段階では最終判定を下せないまま、陸軍長官の判断を仰ぐことになった。長官は技術上のこまごました説明を聞いてしばらく目を閉じていたが、やがて目をあけると説明をした係官にたずねた。

「ベルといえば、朝鮮戦争でアメリカの息子たちを救ってくれた、あの小さいバブル・キャノピーのヘリコプター・メーカーじゃないのか」

 係官がそうですと答えると、「で、カマンは何をしてくれたのかね」。朝鮮戦争の当時、カマン・ヘリコプターはまだ存在していない。「じゃあ、どうしても1機種を選ぶとすれば、朝鮮でわれわれを救ってくれた方を選ぶほかはあるまい」

 この一言で、ヒューイに命が吹きこまれた。

 1955年2月、ベル社に対して3機の試作が発注された。これを米陸軍はXH-40と呼び、ベル社の方はモデル204と名づけた。

 初飛行したのは1956年10月20日である。

[関連頁]

 ヘリコプターの歴史――ヒューイ・シリーズの足跡(1979)

(西川 渉、2009.11.24)

 

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