<西川修著作集>

別々紀行(2)

 

 鹿児島の学会に行くのに別府に上陸して、はるばる小倉を迂回して、さらに鹿児島本線を南下しようというのは、あまり利口な計画ではない。別府に上陸したらそのまま日豊線を南に下って宮崎から鹿児島に行くか、あるいは、豊肥線で熊本に出て、八代、鹿児島と行くのが近道である。ところが、船の別府入港時刻が遅いので、どちらの連絡もあまりよくないのである。それなら最初から別府航路を利用する考えを捨てて、高松、宇野を通り山陽線を通って、一路門司、博多、鹿児島に行く方がよい、その方が運賃もかなり安いはずである。

 この旅行計画の立案者、喜田博士が別府から上って九州を一巡してまた別府に帰るなど、妙なことを言い出した真意の程はよく分からないが、どうも別府到着が昼過ぎで、それから小倉に向かう準急の発車迄五時間ばかりの間を利用して、別府名物の河豚で一杯やろうか、などという密計が最初からあったのではないかと疑われる節がある。

 もっとも、この旅行のはじめに当って喜田博士が矢字教授に向かって「今度の旅行中は、慎んで飲まないようにしましょうと、提案したところを見ると、そういう考えは思い過ごしかも知れない。そもそも、旅行の出発の時から矢字教授が赤い顔をして現れたりしているのだから、こんな申し合わせはまあ単なる言葉のはずみか、あるいは時候の挨拶の類と考えてもよかろう。

 ところで、一方の矢字教授は割に汽車の時間を気にする方だから、夕方の準急で別府を出発して小倉にまわると、小倉でまた鹿児島行きの準急に乗り換えるのに十分しかないのが気にいらない。喜田博士は、例によって一分位のところを、危うく乗車するのがお家芸だのだから、乗り換えの待ち合わせが十分といえば、こいつは少し早く着き過ぎるなどと思うのだが、何分、矢字教授の杞憂が強くて、笑殺するわけに行かないので、一応、頭初の計画を撤回して、別府を三時過ぎに出る普通列車で門司港まで行くことに決めてある。これならば、下りの準急までに門司港で一時間の余裕があるから矢字教授も安堵できるのである。

 「二時間ありますねえ、汽車の時間まで温泉にでも入りましょうか」

 安心した矢字教授は元来非常な風呂好きであるからこう提案した。これが妙な結果になろうとは神ならぬ身の知る由もない。

 以前しばらくの間別府で暮らしたことのある喜田博士が「では、旅館の温泉ではなくて、市営温泉に入ってみましょう。別府で一番大きな市営温泉はTというのですが、その近くに知った家がありますから、そこに荷物など預けて、T温泉でゆっくり船旅の疲れを癒すことにしましょう」などと言いながら案内に立った。別府の街を南北に横断している流川通りからマーケット街を通り抜けると、喜田博士の知っているという家があった。

 うす汚い一見商人宿というような建物である。「ちょっと患者関係で知っているのですがね……」と、あまり冴えない表構えだものだから、喜田博士はしきりに弁解している。何度も何度も案内を乞りが誰も出てこない。便所の臭気が玄関に立っている両人の鼻をうつ。喜田博士は辞易しながら「この家はいつも便所の臭いがするのでね……。特にここの内湯に入っているとすぐ横が便所なのでとても臭いんですよ」などとつまらぬ説明をした。

 「しょうがないな、ここと同じ人が持っている旅館がもう一つあるからそちらに行きましょう」

 矢字教授は内心これは幸先が悪いなと思いながら、しかたなしに喜田博士について、今度は市営温泉の裏側にあるこれも前のと同じ程度に汚い旅館に入った。

 今度は便所の臭いはあまりしない。上り枢の部屋に坊主が坐って長々とお経をあげている。しかし、坊主一人のようで家人は誰もいない。その内、お経を上げながら玄関の二人に気がついたらしい。坊主が奥に向かって声をかけた。おかげで小娘が一人出て来た。喜田博士がおもむろに名刺を渡す。小娘と入れ換わって、今度は若いおかみさんが出て来て、まあ、お久し振りなどと挨拶があって、急な階段をのぼった奥の、畳の赤いガランとした部屋に通された。それでもこの部屋は上等の部類なのだろう、ちょっとした床もあって布袋さんか何かの軸がかけてある。

 間もなくつんつるてんの宿のどてらに着替えて、二人は市営温泉に出かけた。出かける前に例の若いおかみさんが「内湯に案内しましょうか」と言ったが、それは先刻の便所の臭いのする旅館の温泉である。喜田博士は承知のことだから、「いや、大きいのに入ってみたいから、T温泉の方へ行きましょう」など、言葉巧みに断った。

「それもおよろしいですわね。市営のでしたら砂湯もございますから、一度砂湯をおためしになったらよろしいわ。」

「フーム、僕も長く別府にいたが砂湯ってやつにはとうとう入らなかった。一度やってみますか」

 喜田博士は臭い内湯をのがれたうれしさでこんな御追従めいた事を言い、半ば矢字教授にも話かけながら玄関を出た。

 T温泉というのは、市営温泉のうちでも最大を誇るだけあって、広いものである。外から眺めると伽藍のおもむきがある。数段の石段を上って中に入ると土間、それに続いてむやみに広い板敷がある。浴槽は長い廊下を通ってその奥にあるから入りロからはどこにあるか分からない。昔、各地で威容を誇った武徳殿の入りロのような感じがする。土間の片側には下足預かり場、反対価に切符売り場がある。切符売り場の上に掲示板があって入浴一人五円、砂湯二十円、その他いろいろの事が書いてある。喜田博士はちょっと矢字教授の方をふり返って、冗談半分に「砂場ですか」と聞いてみた。「イヤ、普通ので結構ですな」と矢字教授が敬遠する。宿のどてらの懐にたった一枚ねじ込んできた百円札をつまみ出して、切符売り場に差し出した喜田博士は単に「ふたり」と言った。格別の指示をしなければ普通の入浴券をくれると信じていたからである。

 映画館の出札口にいるような洋服の女の子が、極めて不愛想に二枚の紙切れをくれて、それから「今こまかいのがありませんから、おつりは帰りに上げます」と言って、別に変な木の札をくれた。小判形をして手ずれて脂のためだろう飴色に光っている。これがおつりの証拠品になるものと思われた。この光沢から考えると、ほとんど常におつりの代りに一応この木の札を出すのに違いない。

 切符にこの妙な木の札、タオル石鹸のたぐいを持って両先生は上にあがったが、何分にもでかい温泉だし、凡百の風俗習慣が世の常と違っているようで、二人共多少ちゅうちょする気味で、心もとなげに男湯と書いて、指さししてある方に歩きかけた途端に、切符売り場で仲間の女としゃべっていた女の子が呼ぴとめた。

「違いますよ、こちらですよ」

 喜田博士はこの温泉には前に数回来たことがあるから、多少案内は知っている。おかしいなと思ったが、強いて他の客のことだろうと決めてまた歩き出そうとしたら、今度は下足場の蔭の方からまた呼びとめた。

「あなた方こちらですよ、こちらに来てください」ほとんど強制的である。

 見ると腕は肩から露出し、裾は膝までのじゅばんまがいのものを着た女である。女といっても若い娘ならまだしも、既に中性化したおばさんが労働に鍛えた隆々たる腕や脚をあらわして突っ立っている。

 砂湯の係のおばさんだと悟った。おかしなことになったなと思って、二人は互いに握っている紙切れをよく見ると「砂掛券」と書いてある。妙な名だがこれが砂場の切符なのだろう。あの不愛想な娘が切符を間違えてよこしたに違いない。大体釣銭をくれさえすれば間違いがすぐその場で分ったに違いないが、脂じみた木の札などくれるものだから気がつかないのである。しかし、わざわざ切符を買い換えるのもどうかと思う。砂湯に一度入ってみるのも話の種である、それに砂湯係のおばさんが待ち構えている。その期待に背くのも気の毒である。二人はちょっと妙な顔を見合わせたが、すぐに最初から砂湯に入るような顔をして、おばさんの案内に従って砂湯の浴室に入った。

 この浴室は入りロの板敷から四、五段低くなった所に脱衣場が作ってある。そしてさらに石の階段を下りると畳二枚敷ぐらいの小さな浴槽があり、それからまた五尺程も石段を下るとかなり広い砂場がある。真黒い砂がしきつめてあって、二列に両方から頭をつき合わせて寝るようになっている。全部入れれば二十人位は充分に寝られるだろう。頭の部分に小さな枕らしきものがあって、身体を横たえるべき所は黒い砂が盛り上がっている。その間を溝のように温泉が流れている。至極閑散で、たった一人しなびた爺さんが砂の上に坐っているだけである。

 どんな順序で入るべきものかまるきり見当がつかないから、そろそろ着物を脱いで、まず砂湯の上にある小浴槽に浸った。砂湯のおばさんは既に二人を初心者であると見破っているようである。浴槽で暖まる暇もなく、「ここに来て下さい」と砂場からどなった。見るとモッコのような形をした金属製の道具で長い柄のついたやつを毘沙門突きにして砂場に立ちはだかり、二人の下りてくるのを待っている。やむなく矢字教授から下りて行く。おぱさんは砂を人型に堀り凹まして「さあ寝なさい」と厳命した。しかたがないから砂の穴の中に仰臥する。どうも落ち着かないのでモソモソさせている内に枕が横の方に飛んでしまった。バアさんが何かブツブツ怒っている。矢字教授は運を天にまかせてもう勤かないことにした。

 バアさんは例のモッコ型の道具で矢字教授の腹、胸、脚などの上に遠慮なく土を盛り上げた。生き埋めにされたようではなはだ愉快でない。この砂の乗せ方にも一定の順序があるらしい。腕を少し外の方に置かせてわきの下に泥を押し込んだり、肩を少し持ち上げてその下に砂を突きこむのが一定の方式のようであるが、股の間にも一定量の砂を押し込む。そうしている間に首だけ出して完全に砂の中に埋められてしまった。水を含んだ砂の重みがずっしりとこたえてくる。はじめは、少し冷たいようだった砂が温かみを増し、その内に熱くなって汗が出てくる。

 人を生き埋めにしたバアさんはこれで落着いたという様子で、「これで身体がすっかり軽くなるからなあ」とか「疲れが取れますぜ」などと宣伝を始めた。

 寝ている方はしかし、段々と苦しくなってくる。額から顔に汗が吹き出したきた。するはバアさんは心得たもので用意してあるバケツの中から鼠色に変色した雑巾みたいな布切れを取り出し、クルクルと顔中をなでまわしてくれた。雑巾の水が多少ロの中にも流れ込む。汗が出る度にバアさんは熱心にこれを繰り返す。矢字教授はこれに最も閉口したが何しろ完全に自由は奪われているのだからどうにもならない。

 五分ほどだつと砂を全部取りのけてもう一度やり直す。今度は温泉の流れている所の砂を適当に混ぜて前より熱くする。はじめは温度の低いのに入れ、なれたところで温度を高くするのだそうである。矢字教授は二度目の熱い砂が脇腹に触れた時、馬鹿にヒリヒリしたので、後でみたら赤く熱傷になっていた。

 今度は温度が高いだけに一層苦しいようである。この砂の重みの下でひどく苦しくなったら堀出してくれるのかどうか不安になってきた。起きる時は一体どうするのかと聞いてみたらバアさんは至極無造作に手を出せばすぐ起きられると答えた。早速言われた通り手を出して起上がったら「もう出なさったか」といかにも不甲斐なげな顔付きをした。

 今度は身体中の黒砂を洗い落とさなければならぬ。これもバアさんの指揮に従って例の小さい浴槽の下に立たされる。バアさんは浴槽の傍に立って、上から湯をかけて砂を流す。これもバアさんの命令通り、腹とか腿とかこすらなければならぬ。手を拡げさせられたり、脚を聞かせられたり、最後にタオルを脚下の湯溜りでよくすすがされた上で、初めて上にあがって小温泉に浴することを許される。しかし、それもゆっくりしていられない。やはりバアさんが待構えていて強制的に背中を流してくれるのだ。

 これでやっと終わった。二人とも全くグッタリとなった。浴槽の中で脚をのばして、やっと解放された気持ちで天井を見上げると、高窓の所に犬が気持ちよさそうに寝そべっている。驚いてよく考えてみたら、この砂湯のある所は地下二間くらい堀下げてあるのである。それで道路に寝ている犬が高窓の所に見えたのであった。

 旅館に帰って、赤くなった畳の上に長くなった両先生は疲れ果てて三時の汽車に乗る元気を失ってしまっていた。身体中がまるでもみ苦茶になったような心持ちである。

「これはもう駄目ですね、ゆっくり休んでやはり準急で小倉に行こうじゃありませんか。そしてそれまでの間、疲れ直しに河豚で軽く一杯やりましょう」

 これは潜在意識的に河豚のさしみを願望していたらしい喜田博士の提案であった。そしてこの度は矢字教授も一言の反対もなく、この提案にしたがったのである。

(南斗星、大塚薬報、1952年)

【関連頁】

   別々紀行(1)(2011.9.1)

 

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