滔々たる世界潮流

 

 これは日本機械学会での講演(99年2月4日)のために書いたメモの一部である。ここに記録として残しておきたい。

2種類の規制

 アメリカの航空事業に関する規制緩和を定めた Airline Deregulation Act が米国議会を通過したのは、1978年12月24日であった。20年前のクリスマス・イブのことである。この規制緩和によって最も大きな好影響を受けたのは近距離航空事業――いわゆるコミューター航空、地域航空、もしくは Regional Airline と呼ばれる事業分野である。規制緩和の実現によって、それまでは政府の保護下にあった大手エアラインを中心とする既存の航空会社によって排他的におこなわれてきた航空輸送分野に、中小の新規航空会社も参入できるようになり、近距離路線の急速な事業展開がはじまった。

 規制緩和という観点から航空の世界をながめてみると、2種類の規制が存在することに気がつく。ひとつは自然界の法則にもとづく物理的な規制であり、もうひとつは人間界の社会的、経済的な規制である。

 航空は、もともと自然界の法則にさからって空を飛ぼうというのだから、そこには自ずから制約が存在する。この制約を少しでも取り除いて、より高く、より速く、より遠くまで飛ぶために、技術的な工夫をこらしてきたのが航空発達の歴史にほかならない。言い換えれば、自然界の規制を技術の進歩によって少しずつ緩和してきたわけである。

 ただし自然の制約は、いかに技術が進歩しても無闇に外すわけにはいかない。技術のレベルを超えて制約を外してしまうと安全が損なわれる。規制緩和といっても、安全に関する規制は滅多に外すわけにはいかないといわれるゆえんである。

 しかし航空技術の進歩によって自然の制約が少なくなり、安全の範囲内で自由度が増し、航空の可能性が大きくなるにつれて、今度は人為的な規制についても減らしてゆき、もっと自由が欲しくなるのは当然の成り行きであろう。

 昔は空を飛ぶというだけで大変な冒険であった。当時は飛行機も小さく、速度は遅く、航続距離は短かかった。したがって、それを利用しようとすれば、運賃料金も高くならざるを得ない。

 そんな経済的に難かしい機材を使って航空事業を成立させるには、政府の保護育成も已むを得ないことであった。そのため勝手に航空路線を開設したり運賃を決めたりしてはならないという経済上の規制がかかるようになった。

 しかし、保護育成によってある程度の成長が達成されると、今度は自由な事業経営のために社会的、経済的な規制を外してもらいたいという要望が出てきた。それが、いわゆる規制緩和の動きである。

わが国航空法の目的

 上述のような2種類の規制を端的にあらわしているのが日本の航空法であろう。第1条(この法律の目的)には、余分な文言を除くと「この法律は……航空機の航行の安全……並びに航空機を運航して営む事業の秩序を確立し、もって航空の発達を図ることを目的とする」と書かれている。

 つまり、航空法の目的とするところは「航空の発達」である。そのためには「航行の安全」と「事業の秩序」が確保されなければならない。言い換えれば、先に述べた物理的な規制と経済的な規制を守り、その制約のもとに航空の発達をはかろうというのが、わが航空法の根本思想であった。

 

規制緩和の要因

 しかし、そのような考え方に疑問を呈したのが1970年代のアメリカである。たとえば当時、カリフォルニア州やテキサス州などの州内航空路線は連邦政府の規則が及ばないために航空会社間の競争があり、州境を越えて飛ぶ航空路線にくらべて同じ区間距離でも運賃が安かった。そこから政府の規制に疑問が生じるようになった。

 また技術の進歩によってジャンボ機のような巨人機が実現すれば、運賃はもっと安くてもいいのではないかということになる。ボーイング747が初めて就航したのは1970年1月、パンアメリカン航空のニューヨーク〜ロンドン線だが、2月にはTWAがロサンゼルス〜ニューヨーク間の国内線に投入、3月にはパンナム便が東京にも乗り入れるようになり、7月には日本航空も747の運航を開始した。こうして超大型機が急速に普及し、1975年3月には世界中で250機を超えるに至った。

 平行してマクダネル・ダグラスDC-10は1971年8月、ロッキードL-1011トライスターは1972年4月から米国内線に就航、欧州ではエアバスA300が1974年に就航し、大量輸送時代がはじまった。このため団体割引運賃が多くなり、規制緩和への圧力となっていったのである。

 さらに三つ目の要因として1973年の石油危機が上げられる。原油価格が上がり、燃料コストが上がったために、航空会社としては経営が苦しくなった。そのため航空事業の規制を担当する米民間航空委員会(CAB)は、航空便の運賃値上げと機数の制限を認めた。しかし、その効果はいっこうに上がらず、航空会社の経営は良くなるどころか、乗客が減り、利用者の不満が増大して逆効果となった。

 こうした状況から、米政府は経済的、社会的な規制はアメリカの経済発展を阻害し、インフレを昂進すると考えるようになった。また議会でも調査と検討を重ねた結果、エアラインの競争を阻害する規制をなくせば、航空運賃が下がるという結論が出された。

規制緩和法の成立まで

 ときを同じくして1975年、CAB自らも航空事業は競争すべきであり、もはや政府が事業の規制をしたり、運賃を定めるべきではないという考え方を公表した。そして1977年、アルフレッド・カーンがCAB委員長になるや、一挙に路線と運賃の自由化を推進する方針を打ち出した。

 1977年9月、議会は先ず貨物航空会社に対して、貨物運賃の自由化を承認した。また1年以内に新しい貨物航空会社の参入も認めることとした。これで貨物航空会社は従来のように「需要と公共的な利便性」を証明する必要がなくなった。

 そして翌1978年、ついに旅客輸送に関しても規制緩和がおこなわれる。米国内線の路線開設、発着時刻、運賃が自由化された。ただし何もかもいっぺんに自由化されたわけではなく、4年間で徐々に規制緩和を進めることになり、1982年末が目標となった。

 こうしてアメリカ航空界は規制緩和法の成立から4年間で完全に生まれ変わった。6年後の1985年1月1日にはCABも解散した。その経過は次表に示す通りである。

1975年

CABが航空事業の競争促進を結論とする報告書を作成

1977年

アルフレッド・カーンCAB委員長が路線開設と運賃の自由化方針

1977年

議会が貨物航空の運賃自由化を議決

1978年

航空事業の規制緩和法成立

1982年末

規制緩和法の実施完了

1985年1月1日

日没法によってCABも解散

 ただし連邦政府として、どうしても規制を外せない許認可事項もあり、それらは運輸省に引き継がれた。その規制内容は国際線の規制、合併の規制、エッセンシャル・エア・サービスの実施、安全に関する規制などである。

規制緩和の効果と影響

 こうして規制緩和から20年、米航空界で何が起こったか。大きくは次のようになるであろう。

@

新しい航空会社の誕生

A

競争の激化

B

ディスカウント運賃の増加

C

ハブ・アンド・スポーク・システムの本格化

D

乗客数の増加

E

コンピューター予約システムの出現

F

コード・シェアリングの発生

 それから20年、規制緩和の結果はどうなったか。米政府の政策に影響をもつといわれるヘリテージ財団は1998年4月、その効果に関する調査結果を公表している。その内容と今後の規制のあり方については本頁「規制緩和の意義(3)」に掲載してある。

日本も規制緩和へ

 日本の航空界も今ようやく、規制緩和の時代を迎えようとしている。アメリカに遅れること20年、欧州先進諸国に遅れること10年とでもいえようか。かつては日本国憲法にも匹敵する厳しい「航空憲法」があり、航空政策はその原則にのっとって「安全」と「業界の秩序」を維持しながら、特定の定期航空会社の育成に専念してきた。

 そのため航空法101条(免許基準)の審査基準には「事業の開始によって当該路線における航空輸送力が航空輸送需要に対し、著しく供給過剰にならないこと」という規定があり、第105条(運賃および料金の認可)には「他の航空運送事業者との間に、不当な競争をひき起こすこととなるおそれがないものであること」といった時代錯誤の条項が生き続けてきたほどである。

 こうした条項が時代錯誤であることは、法律改正をしないまま、その規定を生かしたままで、運賃半額を標榜するスカイマーク・エアラインズやエアドゥが誕生し、東京〜福岡、東京〜札幌といった幹線に乗り入れるようになったことでも明らかだろう。航空憲法以来の縛りが今やっとのことで解かれはじめたのである。

 かくて定期航空が今日のようなレベルにまで育ってしまえば、これ以上の保護育成は利用者にとって害悪をもたらすということになり、平成10年4月9日、運輸政策審議会航空部会が「国内航空分野における需給調整規制廃止に向けて必要となる環境整備方策等の在り方」について運輸大臣宛に答申を出した。

 その基本となる考え方は、「市場原理と自己責任の原則」の導入である。具体的には航空会社の路線設定は原則自由とし、その実施後は路線毎の免許制から安全面の審査を中心とした事業毎の許可制とする。また運賃は、現在の幅運賃制度を含む認可制から、より自由な事前届出制にする。これにより航空会社間の競争が促進され、もって「安全かつ低廉で利便性の高い航空輸送サービスの提供」をはかることとするというものであった。

 それを受けて目下、航空法改正案が運輸省で練られている。その中で、第1条は、究極の目的を「公共の福祉を増進すること」とし、「事業の秩序を確立すること」を「事業の適性かつ合理的な運営を確保して利用者利便の増進をはかること」に変更するらしい。これで業界の秩序よりも利用者の利便性が優先することになった。

 航空法の改正は今国会に上程され、来年2月頃からの施行を目標としているらしい。むろん既存の航空会社からすれば、こうした動きには大いに不満があり、不安もあるであろう。いわゆる「航空ビッグバン」の結果は金融ビッグバンのような事態を招くかもしれない。しかし供給者よりも利用者優先という世界的な潮流は、今や滔々として日本にも流れこんできたのである。

(西川渉、99.2.7) 

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