<ボーイング訪問>

発展つづく737と夢に向かう787 

 シアトルの3大名物は、私の見たところ、ひとつがイチローである。バッターボックスの独特の立ち姿と小気味よく繰り出す安打や盗塁は、日本人のみならずアメリカ人にも人気が高い。街の一角には、6階建てビルの壁面一杯に描かれたイチローのバットを振る勇姿を見ることもできる。


シアトルの街角で見たイチローの勇姿

 名物の2番目はビル・ゲイツとマイクロソフト社。世界一のソフト長者がここで生まれ、企業の本拠を定めたことは、シアトルの経済にも大きく貢献したことは間違いない。その寄付金は図書館、奨学金、慈善事業、環境問題など、あらゆる方面に使われ、マイクロソフトの従業員数はシアトルの企業の中では第2位になる。

 では最大の人数をかかえる企業はどこか。日曜日の観光バスの中でガイドの出したクイズに素早い反応を見せたのは、同行していただいた元伊藤忠アビエーション営業部長の山野豊氏。答えはボーイングで、同社が3つ目のシアトル名物にほかならない。

 これら3大名物は、現代人の生活にも密着している。今や、仕事をするのにパソコンは欠かせないし、仕事のあとは野球を見てくつろぎ、少し遠くへ出かける旅行はボーイング機で飛ぶ。

 もうひとつ、3大名物には入らなかったけれども、シアトルにはアマゾン書店の本拠がある。小高い丘の上に建つ古城のような建物は、むかし病院だったところを買い取ったものというが、地球最大の書店にふさわしい風情である。筆者も最近はほとんどアマゾン書店で本を買う。時期が過ぎて町の書店から姿を消した本でも、遠い外国の本でも簡単に買うことができる。アマゾンの宣伝をするわけではないが、何よりも月に5,000円以上の買い物で500円、1万円以上ならば1,000円のギフト券をくれるのが嬉しい。実質1割近い割引である。(と書いたのは10月で、雑誌にもそのまま掲載されたが、11月から予告なしに突然500円は250円、1,000円は500円に下がった。ツマラン)


アマゾン書店の本拠(昔は病院だった建物)

写真撮影を認められる

 さて、ボーイング社である。航空界では連日さまざまな話題が取り上げられているので、今さら取材でもなかろうと思ったが、なにしろ、これまで40年以上も航空界に身を置きながら、ボーイングには一度も行ったことがなかった。

 ライバルのエアバスでも、昔のマクダネル・ダグラスでも、あるいはイギリスのアヴロ、ドイツのドルニエ、フランスのATR、カナダのボンバルディアなど、いろいろな工場を見て歩いた。ヘリコプター・メーカーはいうまでもない。しかし何故か、ボーイングだけはチャンスがなかったのである。いつかは巨大旅客機の組立て現場を見たいと思っていたところへ、シアトルへ行く機会ができたので、スケジュールの合間にボーイング社を入れることを思いついた。

 といっても先方の都合もあるだろうし、筆者のような門外漢を受け入れて貰えるかどうか。それに、ただ見るだけでは後に残るものがない。何とかして写真を撮らせて貰えぬかと思い、恐るおそる申し出ることにした。結果は、米国伊藤忠アビエーション船橋譲社長のご尽力によって特別に認められ、ここにご報告できることになった次第である。

 ボーイング社では、ボブ・セリング国際広報部長に応対していただいた。氏には日程調整やら写真撮影やら、こちらの勝手な申し出を受けて社内の手続きをしていただくと共に、朝早くから夕方まで分刻みの見学スケジュールをつくったり、1日がかりで何ヵ所もの施設をご案内いただいたりした。誌上を借りて厚くお礼を申し上げたい。

737ムービングライン

 10月3日早朝、シアトル市内のホテルにボーイング車の出迎えを受け、最初に訪ねたレントン工場では737の最終組立てのもようを見せて貰った。玄関には女性職員がわれわれを待っていて、壁面に貼られた工場のレイアウト図によって、旅客機の組立て工程がどのように進んでゆくかの説明があった。

 それが終わって工場に入ると、最初に4機分の胴体が並び、内部の電気配線や配管作業、コクピットでの電子機器の調整などが行なわれていた。これらの作業が完了すると、その胴体に脚と主翼が取りつけられ、巨大な工場の右側を縦に並んで進み始める。いくつもの治具や足場が組まれた中に緑色の機体が並び、遠くまで何機あるかよく見えなかったが、おそらくは4〜5機の737が並んでいるらしい。

 主翼の次は水平尾翼や垂直尾翼がつき、客席、ギャレー、トイレなどの内装がほどこされる。最後にエンジンがついて一応の完成となる。この間、機体は工場の奥から出口へ向かって、目に見えないほど少しずつ自動的に動いてゆく。速度は毎分2インチ。つまり秒速1ミリにも達しないので、じっと見ていても動いているようには見えない。車輪の前に物を置いておくと、いつの間にか近づいているのに気づかされるといった具合である。

 その動く機体に向かって、左横から所要の取りつけ部品が送り出される。トヨタの生産方式に習ったとかで、基本原理は変わらないが、自動車とは比べものにならぬほど大きく、部品数も多い。これで取りつけ部品類が無駄に貯まっていたり、遅れたりすることなく、必要なときに必要な場所へきちんと収まるような効率的なシステムになっている。

 それをボーイング社は「ムービング・ライン」と呼び、2001年から導入した。この流れ作業によって、旅客機の組立ても一挙に効率が上がり、当時の組立て日数が5日間短縮されたり、737の組立てラインが従来の3本から今の2本に減ったにもかかわらず、月産28機は変わらなかったなどの記録が残っている。現在は、たとえば2006年7〜9月の3ヵ月間に引渡された737は81機であった。月産27機である。


737最終組み立ての出発点。まだ尾翼もエンジンもついていない。

作業効率が大きく向上

 こうした流れ作業は、ご承知の通り、ヘンリー・フォードが編み出した製造方式である。1914年のことで、メーカーのみならず消費者にも大きな利益をもたらした。製造コストが下がり、製品の値段も安くなったからである。自動車工業の先駆となった有名なT型フォードはそこから生まれ、爆発的な売れゆきを見せた。

 流れ作業によって、T型車の最終組立てに要する時間は、1913年で12時間半だったものが、翌年には1時間半と大幅に短縮された。他の多くの自動車メーカーもフォードを見習うようになり、流れ作業は自動車製造のごく普通のやり方になった。車体が組立てラインの上を動いてゆく間に、計器パネル、エアコン装置、電子機器などを取りつけてゆくのである。

 ボーイング社でも、無論もっと複雑で近代的な手法により、従来の熟練工よりも高い能率で作業が進むようになった。航空機の製造が1世紀近くへだてて、ようやく自動車なみの近代化に入ったといえようか。組立て担当者が工場へ出勤してくると、必要な工具や部品が機体のそばにそろっており、それらを探し回る必要がなく、そばには技術者もいて、何か疑問や問題が起こると直ちに対応できる体制が取られている。

 ボーイング社では777の組立てについても、2006年からムービングラインを取り入れた。重さ100トンの巨体が自動誘導タグに引っ張られて動き、作業効率は3割ほど向上、顧客への引渡し時期も早くなった。おまけに777の組立てに要していたスペースが少なくてすむようになり、そのあいたところへ新しい787の製造ラインをもってくることができた。

 これまでは、777の胴体をいくつかに分けてクレーンで吊上げ、巨大な治具に固定して油圧系統、電気系統その他の装備品を取りつけ、それが終わると再びクレーンで持ち上げて、別の胴体部分と接合するといった具合に製造していた。クレーンを使っているうちは吊上げ重量に限度があるが、床面を引っ張るようになると多少重くても構わない。したがって組立て段階の早いうちに、座席や手荷物入れなどの内装を取りつけることも可能となった。

 こうして777はムービングライン導入前の組立て日数20日間が、先ず16日に短縮された。これから1年後には15日となり、最終的には今の移動速度をさらに速めて、12日まで短縮するという。これで777の月産数も2006年末までには現状5機から7機に増える予定である。

5,000機の引渡し記録

 こうしたムービングラインによって、737の場合は、最終組立てが5日間で終わる。われわれの訪ねた日、ラインを通ってきた全日空向けの737-700がドアの前で試験飛行前の顧客検査を受けていた。この検査が終わると、機体はいよいよ工場の外へ出て、飛行試験に進む。その前に燃料を注入し、5日間にわたって燃料もれの有無など、入念な点検が行なわれる。

 工場には大きなカフェテリアが隣接している。従業員の休憩室である。入り口に737量産5,000号機の引渡し式の写真が飾ってあった。その中にギネス・ワールド・レコードからの認定証もあって、次のように記されている。

「2006年1月、ボーイング社はレントン工場において5,000機目の737を完成した。これは1965年に同機の開発が始まって以来、世界史上最も多く生産された大型ジェット輸送機の記録である。右認定する」

 この記録は2006年2月13日、737-700がサウスウェスト航空へ引渡されたときに達成されたものだが、サウスウェストは過去35年にわたって737だけを使用してきた。現在は737-300、-500、-700を使用中で、これが447機目となる。それでもなお増機がつづき、2006年末までにはさらに33機の737を受け取ることになっている。


5,000機になった737のギネス記録証明書

製造権を日本へ売却検討

 ボーイング737の開発は、今から40年余り前にはじまった。当初の設計仕様は乗客85人乗りで、航続925kmというものだった。このとき競争相手のダグラスDC-9同様、エンジンを胴体後部に装着してT型尾翼とする形状も考えられていた。フランスのシュド・カラベルに始まった後部エンジン形式は、当時の小型ジェット旅客機の常識だったが、ボーイングは後部エンジンについては727で経験し、T型尾翼は甚だしい失速におちいる傾向のあることが分かっていた。そのため間もなく、このアイディアを取りやめ、エンジンは主翼下面に取りつけることになり、客席を6席増とすることもできた。

 さらに胴体直径を広げることも可能となり、DC-9よりも広く、707にも似たキャビン幅が取れるようになった。一方、地面とのクリアランスを考えて、エンジンは直接主翼に取りつけることとした。同時に主翼の上反角を6°まで上げて、エンジンの取りつけ位置もできるだけ外側に持っていった。

 こうした開発を進めている間、ルフトハンザからキャビンをもう少し大きくして100人乗りとするよう要求が出て、ここに737-100の設計が固まった。その結果、同航空が22機を発注したのは1965年2月のことである。最初の737-100は1967年4月9日に初飛行、同年12月からルフトハンザの定期路線に就航したが、このときDC-9はすでに228機が飛んでいた。間もなくユナイテッド航空からも注文がきて、胴体を1.8m延ばすことになった。737-200(115席)の誕生である。そして当初2年間で、737量産機は総計223機が引渡された。

 ところが1970年になると、引渡し数は37機に急減した。というのも、DC-9が乗員2人で飛んでいるのに対し、737は3人のコクピット・クルーが必要とされたからである。それに追い討ちをかけるように石油危機に見舞われ、1972年の受注数は14機、引渡し数22機となり、73年も23機にとどまった。

 ボーイング社内には、このままでは赤字がかさんで、開発費の回収も難かしいという悲観的な見方が出はじめる。一方で、747の開発にも資金が食われたため、その穴埋めに737プログラムをそっくり売却してはどうかという考えまで出てきた。737の製造販売権が危うく売り飛ばされそうになった先は、日本の航空工業界である。日本ならば高額で買ってくれるだろうと見られたらしい。けれども幸か不幸か、この商談は実を結ばなかった。

技術革新の採り入れ

 1970年代は石油危機と景気停滞に見舞われながらも、エンジンやアビオニクスの技術が大きく進歩した時期でもある。これらの技術を踏まえて、ボーイングは1981年、737-300の開発に踏み切る。従来の737-100/-200のJT8Dエンジンに替えて、新しいCFM56エンジンを搭載したもので、その後の-400、-500も同シリーズのエンジンを採用した。

 そして1992年、737の転機が訪れる。それまで長年にわたってボーイング機だけを使ってきたユナイテッド航空が、ライバルのエアバスA320を100機発注したのである。ボーイングの提案した737-400が競争に敗れたのであった。

 ボーイングは直ちに設計室に立ち戻った。そこから737-Xが生まれる。新しい737-Xは従来の737の特徴――簡潔で信頼性が高く、派生型どうしの共通性が高くて運航費が安いといった利点を保ちながら、エンジンを改め、主翼を大きくし、座席数を増やし、速度を上げ、航続距離を伸ばし、騒音を下げ、大気汚染を減らすといった新しい特性を備えていた。

 だからといって全く別の機種に変わったわけではない。ここで胴体直径を大きくしたり、操縦系統を改めたりすれば新機種になってしまい、開発試験を初めからやり直す必要が生じてコストがはね上がる。飽くまでも737の派生型という範囲で技術革新を採り入れ、737旧型機との共通性も忘れなかった。そのことが737の堅実な発展を促すことになる。

 そのような737-Xの開発が本格化したのは1993年6月、サウスウェスト航空から63機の注文を獲得したときで、この計画はのちに737-700となり、客席数は149席に増えた。

 旧来の737と異なる特徴は、巡航速度がマッハ0.78と速くなり、巡航高度も12,500mまで上がった。最大離陸重量も増加したが、離着陸速度は逆に下がった。エンジンはCFM56-7で、従来のエンジンよりも燃料効率が7%ほど良くなり、燃料搭載量は28%増の20,800kg。垂直尾翼の高さは1.4m高くなり、方向舵が改良された。主翼のフラップも新しくなって、スポイラーが増えた。主脚や前輪も改良された。コクピットの電子機器類の進歩はいうまでもない。逆に部品数は33%減になり、製造日数の短縮につながった。

新世代機の誕生と発展

 こうして737-Xは737NG(New Generation:新世代機)と呼ばれることになり、1993年11月のボーイング役員会で先ず737-700の開発が決議された。翌94年9月ファーンボロ航空ショーでは737-800の開発着手が発表され、1995年3月にはスカンジナビア航空から35機の注文を受けた737-600の開発がはじまった。97年11月には737-900も開発に入る。

 737-700がレントン空港で初飛行したのは1997年2月9日。同年7月31日には737-800も初飛行した。そして12月には737-700が新世代の1号機としてサウスウェスト航空へ引渡された。-800も翌年4月に就航する。

 1998年1月22日737-600が初飛行する。2000年9月26日には主翼両端にウィングレットをつけた737-800が飛んだ。最近では2005年夏737-900ER長距離機の開発が決まり、2006年9月1日初飛行した。2007年初めまでに型式証明を取り、4月からインドネシアのライオンエアの定期路線に就航する予定である。2006年初めには737-700ERも、全日空の発注によって開発が決まった。

 かくして737は、2006年2月量産5,000機を記録したのち、7月には737NGの2,000号機が完成して、今なお新たな発展を続けている。将来計画の中には短距離離着陸の性能向上も含まれ、ブラジルのゴル航空はリオデジャネイロのサントス・デュモン空港の1,465mの滑走路から-800や-900ERを飛ばすことにしている。また737-800の航続距離を伸ばす-800ERXの開発研究も進行中で、客席をビジネスクラスだけの64席とし、燃料タンクを増設して8,300kmの航続性能をもたせる構想である。

 さらに2012年以降の就航をめざす737RS(Replacement Study)の研究も行なわれている。左右6列、90〜100人乗りの座席配置で、787の開発技術を採り入れ、全複合材の胴体になるという。

エバレット工場の747

 ところで現在、ボーイング737は如何なる瞬間も1,250機が空中にあり、5分間のあいだに65機以上が離着陸を繰り返している。1968年の就航以来、737で飛んだ旅客数は延べ120億人を超え、飛行時間は2億9,600万時間。1機で33,790年間を飛びつづけたことになる。また737は、ボーイング機の3分の1、世界の大型ジェット旅客機の中では4分の1を占める。

 そんな話を聞きながら、われわれはレントン工場を後にして、エバレット工場へ向かった。ここには現在747と777の最終組立てラインがあり、787の生産ラインが準備中である。

 ボーイング747は現在、747-400の製造が月産2機以下で行なわれている。いずれも貨物機ばかりで、その製造も2009年には終了する。747がパンアメリカン航空の定期路線に就航したのは1970年初めだった。以来35年間、最近までの生産数は1,377機になる。そのうち第2世代の747-400は、初号機が1989年初めノースウェスト航空の定期路線に就航して以来653機が製造されている。747旧型機にくらべて主翼スパンが4.9m大きくなり、先端にはウィングレットもついた。

 その後を引き継ぐ747-8は主翼スパンがさらに4.1m大きくなって68.5mとなる。また胴体も5.6m引き延ばされて76.4mとなり、3クラスの標準座席数は-400の416席から467席に増える。今のところは747-8F貨物型が日本貨物航空やカーゴラックスから注文を受け、2009年9月に就航する。旅客型の747-8Iインターコンチネンタルは2010年の就航をめざし、エアバスA380の対抗馬として開発が続いている。注文はまだないが、エミレーツ航空がA380の引渡し遅延を補うため、発注を検討中とも伝えられる。


組立て中の747貨物機

製造準備に入った787

 さて現在、ボーイング最大の話題は787ドリームライナーである。まだコンピューターの中で飛んでいるだけだが、エバレット工場では製造準備が進んでいた。かつて777の最終組み立てが行なわれていた場所をあけて、そこに787のムービング・ラインを設けるというのである。

 床面には縦に1本、長い白線が引かれ、その両側にこまごました箱や棚や柵や衝立(ついたて)を置いて、それぞれの位置決めが行なわれているところだった。いずれはここに日本やイタリアなど外部のメーカーで製作された機体が、特殊な747LCF大型貨物輸送機で運ばれ、流れ作業で組立てられてゆくことになる。月産数は当初4機からはじまり、2010年には10機、その後は14機以上になる計画という。

 787の開発は2004年4月、経済効率を強調した7E7の呼称ではじまった。2005年1月には787ドリームライナーと呼ばれることになる。基本コンセプトは長距離用中型旅客機で、燃料効率が高く、すぐれた費用効果をもつ。技術的にも機体重量の半分が複合材で、主翼と胴体は全複合材製にするなど思い切った飛躍をめざしている。すでに主翼中央部は、この夏から富士重工業で製造がはじまった。

 派生型は、787-8(223席)を基準として、近距離用787-3(296席)、長距離用787-9(259席)、ストレッチ型787-10(290席)などが計画されている。原型機の初飛行は2007年8月、量産機の引渡し開始は翌年5月の予定で、1号機は全日空が受領する。去る10月末までの受注数は、予約注文も含めて455機に上る。そのうち日本からは全日空が50機、日本航空が30機を発注している。


787のムービングラインを準備中のエバレット工場

リクライニング論議

 エバレット工場では、787の実物の代わりにキャビンのモックアップを見ることができた。中に入ると、ファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラスの客席が並んでいる。ファーストクラス席はさすがに豪華だが、自分の乗るときのことを考えると、エコノミー席の前後ピッチの方が気になる。これがせまいと窮屈なのはもとより、前席がリクライニングで倒れてくると背もたれが鼻先へ迫ってくるし、足を組むこともできない。

 特に787は長距離飛行を売り物にしているので、せまい座席では長時間の苦痛を強いられる。いっそリクライニング装置をなくしたらどうかと言ったところ、新しい席は背もたれが薄いので、さほど窮屈ではないはずという答えが返ってきた。実際は32インチのピッチでも、従来の34インチに相当するという。

 左右の座席幅も問題で、これが狭いと肩をすぼめてすわりながら、隣席との間で肘掛けの取り合いをしなければならない。787の標準は左右9列だそうである。

 もっともメーカーが立派なモデルをつくっても、最終的に座席配置を決めるのはエアラインである。エコノミー席だからといって、ギュウ詰めにするのは勘弁して貰いたいものである。なお筆者は、エコノミー席の一案として、リクライニングの代わりに、お尻をのせる座面を前方に滑らせ、それで多少とも身体が斜めになるようにする方法を提案したい。今もあるかどうか、昔の国鉄がそんな座席を使っていた。それに、リクライニングがなくとも、腰のところに枕を当てれば身体は楽になる。どうしても、のけぞりたい人は高い料金を払ってファースト席へ移るべきで、安い運賃でふんぞり返って坐りたいなどは心得違いであろう。


787のキャビン・モックアップ――頭上の手荷物入れには大きなバッグが3個入る

快適な乗り心地をめざす

 ボーイング787は、窓も大きい。縦に伸ばして視界を広げ、体をかがめなくとも遠くの水平線を見ることができる。窓わくの高さは747の1.5倍、エアバスA330/A340の1.8倍だそうである。それに日よけのプラスティック・シェードがない。スイッチひとつで、窓ガラスを透明から半透明にして、最後は真っ暗にすることもできる。この間の切換えは5段階。乗客が個々に操作するほか、乗員が全窓いっせいに暗くしたり明るくしたりすることもできる。窓はトイレにもつく。昔のデカンショ節にあったように、ゴビの砂漠に虹が立つのを見ることができるかもしれない。

 キャビン内部の湿度と与圧も高くなる。10,000m前後の高空を飛ぶジェット旅客機の機内は、通常2,400mの標高に相当する気圧に保たれる。高山病とはいわなくても、体内のガスは3割ほど膨張する。上昇や降下の際に耳が詰まったり痛くなったりすることで体験する通りである。この与圧を、787は標高1,800m相当まで高めるという。それができるのも胴体が全複合材製だからで、金属製では真似ができない。まことに有難いことで、少しでも楽にして貰いたいと思う。

 さらに787の機内は湿度も高くなる。通常10,000mの高度では湿度10%以下である。これを14%程度に上げる。湿度や気圧が低いと身体の水分はどんどん蒸発する。したがって脱水症のようになり、喉が渇くから水を飲まなければならない。ところが筆者のような飲兵衛はついビールだのワインだのと、アルコール類を注文することになる。これでは酔いの回りも速くなって、ますます脱水状態になる。キャビンの与圧と湿度は、無意識のうちに身体に影響するので、これを高めることは乗客の快適性を上げると同時に、「エコノミー症候群」をなくすことにもつながるであろう。

 もうひとつ、ボーイングのお得意はキャビン内の空気の清浄化である。何種類もの高精密フィルターを使って機内のほこりや細菌を取り除くので、キャビンの中は世界中で最も清浄な空気で満たされるという。多少の風邪引きなどは、787に乗るだけで治るかもしれない。

 こうした787ドリームライナーは初飛行まで1年を切った。2008年夏には日本でも飛びはじめるというから、その日を楽しみに待つことにしよう。


大きな窓と清浄な空気、それに与圧と湿度も上げるという。

【関連頁】

   ボーイング工場を見る(2006.10.7)

(西川 渉、「航空ファン」2007年1月号掲載、2006.12.13)

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