<アート・バックウォルド>

ライト兄弟の航空事業

 今年1月、アメリカのコラムニスト、アート・バックウォルド氏が亡くなった。81歳だったそうである。

 この人の本が日本で出たのは1980年末で、「だれがコロンブスを発見したか」(文藝春秋社)という傑作選1が最初だった。永井淳の訳もうまく、余りの面白さに私は夢中になり、続巻の刊行が非常に待ち遠しかった。最後の傑作選5「コンピューターが故障です」は1990年刊だったから、10年間にわたって楽しんだことになる。その後も、バックウォルドは書き続けたはずで、それが何故日本語にならなかったのか。まことに残念である。

 私は、もっと読みたいと思って、いつぞやアメリカ旅行の途中、本屋で探し出したが、この種のユーモアは原著のままでは到底歯が立たないと分かって諦めた。しかし、いよいよ死んだと知ったので、アマゾン書店を通じて比較的最近の「ブッシュを囃す」(Beating Around the Bush、2005)を取り寄せた。ブッシュ政権を皮肉ったユーモアが詰まっているようだが、時間ばかりかかって、やっぱり歯が立たない。

 その中から、無理に航空関連のものを取り出したのが以下の話である。歯が立たないだけに正確な翻訳ではなく、私なりの解釈を日本語に書き直したもので、僭越ながらオチも私が考えた。

 書かれたのは、おそらく2003年暮れ、ライト兄弟の初飛行100周年というのでアメリカ中が騒いでいた頃。その一方でエアライン業界の調子が悪く、赤字と倒産が続いていた状態を、バックウォルドらしい発想で描いている。

 念のために、バックウォルドは本書に「ジョージ・ブッシュ大統領、ドナルド・ラムズフェルド、コンドリーザ・ライス、アーノルド・シュワルツネッガー、ウラジミール・プーチン、サダム・フセイン、オサマ・ビン・ラデン、トニー・ブレア、チャールス皇太子などの人物が登場するが、その言動は全て自分の想像から生まれたフィクション」と断っている。

 ライト兄弟は1903年12月17日、ノースカロライナ州キティホークの砂山で人類史上初めての動力飛行に成功した。最初に飛んだ弟のオービルは12秒のあいだ空中にとどまった。次いで兄のウィルバーが59秒間で852フィートの飛行をなしとげた。

 その2週間後、兄弟は航空会社を立ち上げた。路線はデイトンとアクロンの間だったが、半月もたたずに倒産に追い込まれた。

 オービルが言う。「こんなに乗客が少ないとは思わなかった。みんな空を飛ぶのが怖いらしいね」

 ウィルバー「割引運賃やマイレージ・サービスや飲物のサービスもしたんだが、破産法第11条(チャプター・イレブン)の適用を受けることになってしまった」

 オービル「建て直しの方策はただひとつ、社員のリストラだ。でも、われわれ2人しかいないので、どっちか辞めなければならんぞ」

 ウィルバー「それなら僕が会社に残るよ。だって852フィートを飛んだ僕の方が飛行経験が長いからね」

「しかし」とオービルが反論した。「僕の方が先に飛んだんだよ。それだけ経験も豊富だぜ」

 2人の論争に決着がつかなくなって、第2の方策が考え出された。彼らの分析では、そもそもデイトン〜アクロン間の路線開設が間違っていたというのである。

 オービル「デイトンの人は誰もアクロンへ行きたがらないし、アクロンの人はデイトンなんぞへ行くものかと思ってる」

 ウィルバー「じゃあ、デイトンからクリーブランドへ飛ぶことにしよう」

 オービル「しかし、政府の援助も必要だな。政府が何もしてくれなきゃ、将来エアラインはみんな破産するし、航空事業なんて永久に成り立たないよ」

 ウィルバー「やっぱり、飛行機よりも自転車の方が役に立つね」

【関連頁】

    規制緩和の意義(1998.10.4)

(西川 渉、2007.5.22)

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