<救急飛行の安全(2)>

カナダ30年間死亡無事故

 

 アメリカの運輸安全委員会(NTSB)は今年2月上旬、ヘリコプター救急(HEMS)の安全確保に関する公聴会を開催した。近年アメリカの救急飛行に事故が多発しているためで、公聴会の開会にあたりロバート・サムウォルト議長は「最近のHEMS事故は許容範囲を超えている。もはや放置することはできない。この公聴会によってヘリコプター救急の実態を明らかにし、安全性向上をはかりたい」と語った。

 最初に登壇したシカゴ大学救急医療ネットワークのアイラ・ブルーメン教授は 最近10年間のHEMS事故は146件、うち50件が死亡事故だったと陳述した。これらの事故機に乗っていた乗員と患者は合わせて430人で、その3割にあたる131人が死亡した。うち運航クルーと医療スタッフを合わせた乗員が111人。この死亡率は遠洋漁船の乗組員、森林作業員、鉄鋼労働者など、危険とされる職業にくらべても高い。

 ただし患者の死亡は少なく、病院の中で起こる医療事故にくらべても遙かに低い結果となっている。

「HEMS事業は人命を救うためで、実際にも多数の人を救っているが、一方で多くの人命が奪われるのは悲しい事実だ」というのがブルーメン教授の述懐である。

 なぜ、そんなことになったのか。参考人のひとりは競争の激化を理由の一つにあげた。アメリカの救急ヘリコプターは今世紀に入って倍増した。1970年代の開始以来、堅実な成長をしてきたが、2000年になってメディケアとメディケイドの制度に、ヘリコプター救急に対する給付金が取り入れられた。途端に、当時は400機に満たなかった救急ヘリコプターが、今や2倍以上の830機に急増したのである。

 しかも増加分の多くが、私的な利益追求型の小企業である。つまり2000年以前の救急ヘリコプターは、ほとんどが病院を拠点とする非営利法人の運航であった。そこへ大量の新規参入企業が営利を求めて流れこみ、必要以上に、需要を上回る機材を持ちこみ、競争を激化させ、混乱を生み出した。その結果が事故の多発をもたらしたのだ、と。

 たとえば同じ地域に2〜3社のヘリコプター救急プログラムが重複して存在し、救急本部からの出動要請に対して、1社が天候悪化を理由に断っても、別の1社が無謀な飛行をして事故に至るといった事例もあるほど。

 一方でアメリカは自由経済、自由競争を国是としており、新規参入を規制するのはなかなか難しい。したがって、こうした混乱をなくすには州政府と連邦政府との間でよく調整し、何らかの形で秩序の回復に努める必要があるというのが、この参考人の主張であった。

 以下、4日間にわたって40人の参考人が陳述し、救急飛行の安全についてさまざまな問題が論議されたが、ここに詳しくご紹介する紙幅はない。ただひとつだけ、アメリカ人を驚かせたカナディアン・ヘリコプター社(CHC)のシルヴェイン・セギン副社長によるカナダの実状は注目すべきであろう。

 カナダのヘリコプター救急が始まったのは1977年。現在は4社が20機の救急機を飛ばしている。広大な国土からすれば少ないように見えるが、カナダの全人口3,300万人の6割以上に当たる2,100万人をカバーする。飛行の内容も現場救急や病院間搬送はもとより、夜間飛行や計器飛行も日常的におこなう。

 こうして発足から30年間、23万時間を飛んで死亡事故は一度も起こしていない。この安全記録の背景にあるのは何か。ひとつはパイロット2人が乗組むように定められている点がアメリカと異なる。また気象の制限もアメリカよりきびしく、有視界気象条件は雲高300m、視程5km。夜間は視程8kmで、それ以下のときは計器飛行で飛ばなければならない。

 パイロットの飛行経験は2,000時間以上、州によっては3,000時間以上で、多発機の機長として1,000時間以上、搭乗機種の機長として100時間以上という条件のほかに、計器飛行の資格が要求される。

 使用機は高速の大型機。これまでの主力はシコルスキーS-76が14機とBK117が5機だったが、今年からアグスタウェストランドAW139の運航が始まった。今後なお現用機に代わって13機の導入が予定されている。ちなみに、日本のドクターヘリに多いBK117の標準座席数10席に対し、S-76は12席、AW139は15席という大きさである。

 費用は政府が負担する。もともとカナダは公的医療保険制度が確立していて、病院も9割以上が非営利の施設である。したがってヘリコプターの運航費も州政府が見積もり合わせをするものの、運航に際してはアメリカのような競争はない。


カナダ救急機の運航基準を示すスライド
(双発機、計器飛行装備、パイロット2人乗務、
定期操縦免許、計器飛行証明、運航管理本部など)

 カナダの救急ヘリコプターの安全記録は、飛行の内容からしても見事というほかはない。アメリカの救急機の乗員が最も危険な職業といわれる一方、カナダのヘリコプター救急は30年間まだ一度も死者が出ていないのだ。

 この両国に対し、日本のドクターヘリはカナダに近い運航基準で飛んでいるといっていいかもしれない。操縦士2名の代わりに整備士が同乗し、旅客輸送に準ずる運航規程が適用されている。

 けれども夜間飛行や計器飛行をしているわけではないし、歴史も浅い。そのうえ先般は洋上飛行中にエンジンの片発が停止したり、大きな鳥がぶつかってくるなど、思いがけない事象も発生している。

 事故対策に特効薬はない。アメリカの自由に対し、カナダの規律というように割り切ることはできないが、NTSB公聴会のさまざまな論議は、ドクターヘリの安全にとって大いに参考となるであろう。 

(西川 渉、「日本航空医療学会ニュースNo.6」、2009年5月25日付掲載)

[関連頁]

   救急飛行の安全(1)米NTSBが事故対策聴聞会(2009.6.9)

表紙へ戻る