中国市場の可能性

 

 ボーイング社が中国の旅客機市場について、向こう20年間に2,400機近い需要があるだろうと予測している。これは米国の市場に次ぐ第2の巨大市場で、米国の場合は2022年までに2,800機の需要があるという。

 中国の航空市場は、もともとの出発点が遅く、かつ低かったので、成長率や倍率が高くなるのは当然だが、1992年以来10年間に市場は5倍に拡大したとボーイング社が驚いている。

 しかし中国自体の予測は、白髪三千丈の国にもかかわらず、なぜかボーイングよりも控えめで、向こう20年間の新製機需要は1,901機という。旅客輸送距離は、今の1,269億人キロが2022年には6,277人キロ――すなわち5倍になるそうである。

 では、どのような旅客機が中国へ売れるのか。ボーイング社によると下表の通りである。

機    種

機    数

単通路機(737、A320など)

1,506機

双通路中型機(7E7など)

562機

双通路大型機(747、A380など)

71機

リージョナル機

252機

合     計

2,391機

 リージョナル機は、前にもご報告したように、中国独自の双発リージョナル・ジェットARJ21(70席)の開発が計画されている。同機は最近、上海航空など中国内の航空会社3社から合わせて35機の注文を獲得、計画推進に向かってはずみがついた。就航は2008年の予定で、メーカーの航空工業公司では少なくとも300機という需要を見こんでいる。

 中国市場は今や、世界中の垂涎の的となった。自動車でもコンピューターでも携帯電話でも、あらゆる分野の企業が売りこみをはかり、工場を建てるなどのラッシュをつづけている。ヘリコプターも例外ではない。最近の本頁でご紹介したように、この10月なかば世界中のヘリコプター関係者を集めて、将来展望を踏まえた自由化と事業化をめざす国際会議が開かれるそうである。

 しかし、私の20年前のささやかな経験では、中国との取引は一筋縄ではゆかない。単に一度だけの商品の売買ならば、品物を渡して代金を貰えばそれですむけれども、航空機の運航のように自分たちもそこへ出かけていって仕事をしたり、目に見えない技術料となると、たちまちこんがらかってくる。特に航空事業は先方の政府の許認可事項が多いから、奇妙な理屈を持ち出しては許可が出ないとか、出さないといって注文をつけてくる。

 しかし、どうやら白人の場合、特に米国人の場合は、横で見ていると、余りからまれない。日本人に対しては、何かというと昔の侵略だの賠償だのと言って、むろん直接要求されることはないけれども、言葉の端々にそう言いながら、ねちねちと迫ってくる。かと思うと、同じアジア同士じゃないかとか隣国じゃないかといって、要求を通そうとする。

 このように、中国人は、上は江沢民から下は企業の交渉係に至るまで、同じセリフを語るのである。それでいて真面目に技術と取り組もうとしない。日本から持っていった何機かのヘリコプターも、1年ほどたったら日本人パイロットには飛行許可を出さないと言いだした。

 あのときの仕事は洋上長距離の石油開発支援が目的だったから、ベル212やアエロスパシアル・ピューマである。当時としては最新鋭の大型機で、それも1機や2機ではない。それらを無理矢理、サンダル履きの中国人パイロットが操縦していたと思ったら、1機落としてしまった。死亡事故である。

 欧米諸国がうまく行ったからといって、日本の企業も同じようにできるとは限らない。ボーイングの予測だって、日本には当てはまらないのではなかろうか。 

 そんなことを考えていたら先日のテレビで、日本の新幹線を中国に売りこむ話をしていた。2008年の北京オリンピックに向かって、北京から上海まで高速鉄道を敷設する計画があるらしく、それに向かってフランスやドイツの高速鉄道と日本の新幹線が競合しているらしい。先頭に立って売りこんでいるのは国土交通省だそうだが、いつの間に役所が商社になったのか。役人の商法がうまくゆくはずがない。

 テレビ番組の中で、JR東海の社長が「中国はサンプルだけを取って、運転の仕方などのノウハウを手に入れたら、あとは自分でやるつもりだ。日本としては何のメリットもない」と語っていたが、私も自分の体験に照らして、まさしくそう思う。

 新幹線の金字塔――毎日36万人もの乗客をのせて270km/hという高速で走りながら、1964年の開業以来1人の死傷者も出していないという世界に冠たる実績も、中国にもってゆけばたちまち崩れるにちがいない。しかも連中のことだから、原因は日本側の技術の欠陥などと言いだしかねない。

 中国との取引は、米国のように腕力があればともかく、その自信がないうちは慎重にすべきであろう。

 『国益会議』(PHP研究所、2003年7月7日刊)の中で、日下公人が戦前の小林一三の話をしている。昭和15年の当時「自分はロンドンやニューヨークに行っていろいろ商売をしてきた。自分のようなチンチクリンの黄色人種が相手でも、彼らは白人同士のルールを適用して、金を払ってくれる。それはひとえに、わが日本に連合艦隊があるからだ。普通に商売をするためにも、軍事力の後ろ盾がないと払うべきものも払ってくれない」

 ところが翌年の昭和16年、商工大臣になった小林はオランダへ石油を売ってくれと交渉に行くが拒否される。やむを得ず日本は戦端を開くことになり、オランダの植民地だったインドネシアを攻めて石油を確保しようとした。

 つまりオランダは米英とかたらって日本を侮った。いわゆるABCD包囲網だが、それが太平洋戦争につながった。結果としてオランダは植民地を失うことになる。相手を侮ってはいけないが、侮られてもいけない。

 いまや日本は、中国や北朝鮮にすっかり侮られている。こんな状態はお互いに良くない。長く続けば大きな危険を招くことにもなりかねないだろう。

(西川 渉、2003.9.29) 


ボーイング7E7完成予想図

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