<小言航兵衛>

矜持と恥と

 

 新しい国土交通相と自民党幹事長は、若くて清新なところは良いが、就任早々から誰それは嘘つきだとか、すぐ解任するぞという発言が多かったのは、はしゃぎ過ぎではないかと危惧するところがあった。身の栄達によって心躍り、よし何事か為さずにはいられない昂揚ぶりも解らぬではないが、案の定道路公団総裁が強烈な抵抗を示すに至った。

 これを政府自民党の混乱とか指導力のなさというのがマスコミの指摘である。野党などは、もっと混乱せよとほくそ笑んでいる。しかし、いうまでもないことながら、総裁の方は指導力のなさを見せつけるためでもなければ、混乱を引き起こそうというのでもないだろう。

 つまりは漢(おとこ)の矜持である。マスコミの中には、2千何百万の退職金を棒に振ってまで解任の道を選ぶのかと下司(げす)の解釈をするものがあるが、矜持の前には金銭など問題ではない。金が欲しけりゃ、こちらからくれてやるというのが抵抗の気構えにちがいない。

 そこで、総裁の言い分を聴く聴聞会なるものが開かれることになった。当然、大臣が聴くのかと思ったら、出てきたのは役人である。しかもこれが、この間まで部下だった後輩というのだから、お話にならない。

 果して攻守所を変え、政府が総裁に問い質すのではなく、総裁側が政府を問い質すことになってしまった。おまけに昼休みには総裁が、主宰者の政策統括官の肩を叩いて「君も将来があるんだから、慎重にやれよ」などと激励だか注意だかを与える始末で、どちらが主宰者か分からなくなった。まるで被告人が検事か裁判官の肩を叩いて諭すようなものである。

 さらに途中では、同席していた役所の幹部が大声で説教される場面もあったとか。こんな茶番で醜態をさらし、もの嗤いになったのは国土交通省の方だが、マスコミの方は何故か余り嗤おうとせず、役所と一緒になって総裁を何とかして悪者に仕立て上げるのに懸命である。

 就任早々からあれだけ強気の発言をしていた大臣が、なぜ自ら聴聞しないのか。何日か前の5時間にわたる2人だけの会談で、こりごりしたからだろうか。とにかく今回の聴聞会は名目だけの公開で、ナンセンスに終わった。もっとも、こんなていたらくでは、テレビ公開など、やるわけにはいかなかったであろう。

 真に国のあり方を懸念するのであれば、議員諸公が聴聞すべきであった。政治問題を行政手続きで便宜的に片づけようとしたところに間違いがあったのだ。

 公団総裁の矜持とは逆に、恥をかいても金銭にこだわるのが、最近の風潮である。その最たるものが北海道のなんとかいう代議士だが、逮捕されても議員の地位にしがみつき、しがみついたま牢屋につながれて史上最長の拘留記録をつくった。文字通り恥の上塗りで、もとより恥など感じよう筈もなかろうが、悪い記録を後世に残すこととなった。

 そして来月の総選挙に向かっては、立候補を断念したという。理由は病気だそうだが、なに本当は立候補しても当選がおぼつかないからである。おまけに選挙ともなれば金がかかるから、それも惜しかろう。

 そのうえ、わざわざ記者会見を開き、背景に金屏風を持ってきて「政治家の病気を公表するのは重いことです」などという。自分で自分の言葉を重いとはどういう了見か。何をほざくかと言うだけのことである。こんな男は政界に寄生して利権をあさるだけの政治屋にすぎない。マスコミもいちいち政治屋のたわごとなど、報じることはなかろうにと思う。

 以上、航兵衛の怒りを整理すれば次のとおりである。

  1. 今の日本は、人間の矜持がすたれてしまった。
  2. したがって世の中の風潮は、恥を知らぬ拝金主義が大手を振って闊歩するようになった。
  3. 道路公団総裁の聴聞会は何の意味もなかった。むしろ国土交通省の醜態をさらしただけに終わった。
  4. これを意味あらしめるためには、大臣みずから公開の場で聴き手に立ち、堂々の議論をすべきであった。
  5. 今さらいうまでもないが、マスコミの矛先は見当違いが多すぎる。見識のなさを自ら露呈しているだけだ。

(小言航兵衛、2003.10.20)

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