ヘリコプターの特性と民間用途

 

今年夏、『日本航空宇宙学会誌』から「ヘリコプターの特性と民間用途」について書くように依頼された。ここに本頁と重複する部分を修正し、加筆して掲載しておきたい。

  

 ヘリコプターの飛行特性は、いうまでもなく垂直離着陸と空中停止ができることである。この「垂直飛行」(Vertical Flight)特性によって、ヘリコプターは航空界でも独自の世界をつくり上げ、その用途は人間の想像力の及ぶ限り無限に拡大するといわれてきた。

 しかし一方で、固定翼機にくらべて速度や航続性能が劣り、搭載量が少ないために、ヘリコプターは経済性に劣るところがある。そのため用途も、人間の想像力が小さいせいもあって、必ずしもまだ充分拡大するところまでいっていない。

 言い換えれば、ヘリコプターの用途はごく限られた範囲にとどまり、主として他に代替手段がなく、費用効果が余り問題にならぬような場合にのみ採用されるといった傾向がうかがえる。

 その典型が軍事利用だが、それは別稿に譲るとして、民間利用の分野では、たとえば農薬散布、報道取材、送電線パトロール、山岳地の物資輸送、海洋石油開発の支援など、特殊な用途に限らる。これに沿岸警備、国境警備、警察活動、防災救援、情報収集、捜索救難、消火救急など公的な活動が加わる。

 一時は世界の各都市で旅客輸送に使う試みも盛んであったが、経済性が乏しいために採算が合わず、今ではごくわずかな区間でおこなわれているに過ぎない。しかし、自家用または社用ビジネス機としては使用例も多い。日本でも景気高揚の時期には多数のビジネス・ヘリコプターが導入され、利用された。近年それが減ったのは、ビジネス利用が景気の変動に影響されるからであろう。

 人を乗せるという意味では、遊覧飛行もヘリコプター用途のひとつである。空から見るに足るような壮大な景観があれば、観光遊覧は多数の乗客を惹きつける。ニューヨーク、ナイアガラ、グランドキャニオン、ハワイなどはその典型である。日本でも高層ビルの増えた東京の景観は空から見て素晴らしく、瀬戸大橋を見る遊覧飛行も人気が高い。

 それでは以下、ヘリコプターの特性を生かした民間用途を、世界と日本をくらべながら概観してゆきたい。

 

民間ヘリコプター数

 その前に、世界と日本の民間ヘリコプター数を見ておこう。現在、世界中で飛んでいる民間ヘリコプターはどのくらいあるのだろうか。表1は1999年はじめに公表された集計である。総数で23,000機余。うち米国は約11,000機で、半分近くを占める。米国の機数はもっと少ないという異論もあるが、全体的な概況はこんなところであろう。ただし、この表にはロシアや中国など、東側地域の統計は含まれない。

 

1 世界の民間ヘリコプター数

 

機数

構成比(%)

アメリカ

11,092

47.0

カナダ

1,588

6.7

日本

975

4.1

イギリス

837

3.6

フランス

778

3.3

オーストラリア

757

3.2

ドイツ

676

2.9

ブラジル

495

2.1

南アフリカ

447

1.9

ニュージランド

437

1.9

イタリア

413

1.7

メキシコ

412

1.7

その他

4,697

19.9

合  計

23,604

100.0
[出所]1999 Rotor Roster, Air Track International Aeromarketing

 

 この表に見るように、日本では1,000機近い民間ヘリコプターが飛んでいる。一時1991年末には1,200機を超えたが、景気の低迷と共に7年間で約250機が減少した。その結果、98年末の現状は表2で見るとおりとなった。

 

2 日本の登録航空機数

 

機 数

内      訳

構成比(%)

飛行機

 1,238

――

56.6

 

回転翼機

 

  951

レシプロ単発機

190

8.7

タービン単発機

452

20.6

タービン双発機

309

14.1

合 計

 2,189

――

100.0
[出所]運輸省、19981231

 

 この表は運輸省の登録機数を示すもので、ヘリコプターと飛行機を合わせた総数は2,189機。うちヘリコプターは951機で全体の4割余りを占めるが、これほど比率の高い国はほかに見られない。世界の平均は4%前後であり、ヘリコプターの割合が多いイタリアやニュージランドでも15%程度であろう。その点からすれば、日本はヘリコプターが重用されている国といっていいかもしれない。

 その日本で、民間ヘリコプターはどのようなところに使われているのだろうか。全体像を把握できるような統計は見当たらないが、表3はヘリコプター会社の事業機による飛行時間である。

 

3 ヘリコプター稼働時間

 

1998年度

(時間)

1997年度

(時間)

伸び率9897

(%)

2地点間旅客輸送

916

938

97.5

人員輸送・遊覧飛行

5,972

4,839

123.4

物資輸送

18,716

29,310

63.9

薬剤散布

22,405

25,293

88.6

送電線パトロール

13,534

14,263

94.9

報道取材

10,279

11,278

91.1

操縦訓練

9,673

10,016

96.6

12,000

11,921

100.7

合    計

93,495

107,858

86.7

 

 平成10年度、日本のヘリコプター事業会社は総計40社が存在し、およそ500機のヘリコプターを運航していた。総飛行時間は約10万時間。売上高は、平成9年度の実績で約586億円であった。

 この表のほかに、ヘリコプター事業会社は中央省庁や自治体の保有する防災ヘリコプターの運航委託を受けている。その受託飛行時間が平成10年度は12,371時間、9年度は11,906時間であった。全体の1割強を占め、決して小さい数値ではない。受託機数も40機に近いものと思われる。

 

水田の薬剤散布が基盤

 表3の飛行時間に見られるように、日本のヘリコプター事業は農薬散布と物資輸送が基盤になっている。次いでテレビ局の報道取材と電力会社の送電線パトロールであろう。

 とりわけ農薬散布は1960年代、日本のヘリコプター事業がはじまったばかりの頃、その成長のきっかけとなった分野である。初めのうちは個々の顧客とヘリコプター会社が契約して散布作業をしていたが、1962年に農林水産航空協会が発足し、全国の自治体や農協などの需要者とヘリコプター会社との間を仲介して、総合的、統一的な調整をおこなうようになった。

 需要者の方から散布面積や散布時期などの要求が示され、ヘリコプター会社の方からは供給機数が提示されて、相互の調整をしながら、散布料金を決めるというやり方である。こうした空中防除は農業の近代化を進めるという大義のもと、農林省から散布料金に対する補助金も出て、不当なダンピングや暴利を排除しつつ、ヘリコプター事業の安定化に役だった。

 こうして一時は全国300万ヘクタールの水田の半分、約150万ヘクタールがヘリコプターによる農薬の洗礼を受けるようになった。これで日本経済が高度成長期にあった時代の農村の人手不足が補われ、田んぼの中の過酷な労働が減って、米の増産に次ぐ増産が実現したのである。

 ところが、当初は水銀剤も散布されていたことから『沈黙の春』といわれるような環境破壊が生じるようになり、農薬の改良がすすんだものの、最近は85万ヘクタール、ほぼ半分の需要に落ちこんだ。機数も200機前後となり、今後なお減少傾向がつづくものと見られている。

 

世界最先端の山岳工事

 こうして日本のヘリコプター事業は、ベル47を主体とする空中散布事業によって軌道に乗り、1970年代に入ると電力会社の送電線建設によって大きく拡大する。山岳地の尾根伝いに走る高圧送電線の鉄塔を建設するには鉄塔部材に加えて、土台となる生コンなど、1か所について1,000〜2,000トンもの資材を山の上に持ち上げなければならない。それを500mおきに建設してゆくには、かつては山腹の森林を切り開いて道路をつくり、ケーブルで引っ張り上げるといった工法がおこなわれていた。

 しかし、昔ながらの工法では時間がかかり、森林伐採という環境破壊が生じることからヘリコプターが使われるようになった。そればかりでなく、ヘリコプターを使うと工期が短縮され、竣工が早くなる。したがって電力収入も早くなり、マイナスに見えるヘリコプターへの出費がプラスの収入増に転じるという効果が明らかになった。

 以来、山岳地の大規模工事は、送電線のみならず、電話回線のためのパラボラ中継施設の建設、スキー・リフトの建設、気象観測施設の建設など、さまざまな工事にヘリコプターが利用されるようになった。

 最も有名なのは富士山頂の気象レーダーの建設で、山頂に向かって資材の運搬がおこなわれた。加えて、危険な気流が渦巻く火口の縁に測候所の建物をヘリコプターで組み建てるという工法が採用された。そのもようは小説『富士山頂』(新田次郎著、文春文庫)に描かれている。

 このような山岳地の資材輸送と建設工事は、世界的に見て日本の作業技術が最も進んでおり、かつ盛んであるといってもいいであろう。使用するヘリコプターは、当初のシコルスキーS-58やS-62にはじまり、ベル204Bから214B、アエロスパシアルSA330ピューマ、ユーロコプターAS332スーパーピューマ、カマンK-MAXなど、徐々に大型化していった。

 

危険が伴う木材搬出

 このような重量物の運搬作業を外国について見ると、たとえばニューギニアのジャングル地帯における石油試掘のためのヘリリグの運搬、南米山岳地の石油パイプラインの敷設、カナダのアルミタワーを使った送電線建設、それに北米の木材搬出が目につく。

 たとえばジャングルの中の石油の試掘には、狙いをつけた場所に数千トンの井戸掘り機械を運びこまなければならない。しかも試掘は2〜3か月で終わるから、次々と移動してゆく。そのためにはジャングルを切り開いて、何百キロもの道をつけてゆく必要があるが、ヘリコプターは道路がなくても樹海の上を飛んで、一挙に分解した装置を空輸することができる。このように初めからヘリコプターで輸送できるように設計した試掘装置が「ヘリリグ」である。

 こうしてジャングルの中で石油が見つかると、今度はそれを都市部へ送り出す必要がある。そのためのパイプラインを延々と敷設することになるが、それにもヘリコプターが使われる。ヘリコプターはパイプを空輸し、順番に並べていくので1本ごとに少しずつ降ろす位置が異なる。広大なジャングルの中で、目的の位置を知るのは非常に難しい。今ならGPSを使えば簡単だろうが、かつては樹海の上に風船をあげて目印にしたり、わざわざ夜間作業をして闇の中の明かりで目的の場所を見つけるといった方法が取られた。

 木材搬出はシコルスキーS-64などの大型機を使い、重さ10トンに近い木材をヘリコプターで吊り上げる作業である。この技術は日本にも輸入され、ベル214B、ミルMi-8、スーパーピューマなどで、1980年代になって3トン前後の木材が搬出されるようになった。

 木材搬出にヘリコプターを使うことの利点は、森林を片端から伐採して行く必要がなく、多数の樹木の中から成長の程度に応じた特定の一本を選んで伐り出せることである。したがって狙いをつけた高価な木材だけを択伐できると同時に、自然環境を損なうこともない。

 ただし、立っている木材の根元を切りながら、重量の計測もできないまま、いきなり吊り上げるので、重量オーバーの危険が伴う。しかも樹木は季節によって水分の含有量が異なり、思いがけず重いことがある。そうした状態を見分けるのは、むろん樹種と季節にもとづく過去のデータだが、最後は現場作業員の長年の経験と勘によって個々の樹木の重さを感知しなければならない。

 

海洋石油開発の支援

 日本のヘリコプター事業が農薬散布と山岳地の建設資材運搬を基盤として発展してきたのに対し、欧米諸国のそれは海底油田の開発支援が基盤であった。

 石油の掘削は戦後、技術の発達にともなって海底に及ぶようになり、時代と共に遠く深い場所に広がっていった。その海上現場で働く石油技術者や掘削作業員は当初は海岸から船で往復していたが、やがてヘリコプターが使われるようになる。

 それというのも、海上の現場で怪我人や急病人が出た場合、船では陸上の病院へ送りこむのに時間がかかって応急の間に合わない。そこでヘリコプターを借り上げ、掘削現場に近い沿岸基地で待機させるようになり、どうせ待機しているのならというので緊急患者ばかりでなく、通常の人員輸送にも使う考えが出てきた。

 たしかに石油開発に伴う莫大な費用にくらべると、ヘリコプターの運航費はさほど大きなものではない。そこで現場作業員の交替輸送に使われるようになり、大量の人員が定期的にヘリコプターで飛ぶようになった。これは実質的な定期旅客輸送であり、しかも定期便に乗る旅客は石油会社の従業員で、いわば需要の確保された特定少数の乗客を対象とする定期運航である。

 そうなると顧客の石油会社からすれば安全は至上命題である。また気象条件の変化にも対応できる定時性を確保しなければならない。たとえば海上のせまいプラットフォームから人をのせて離陸する際、万一エンジンの一つが停まっても安全を確保するにはどうするかというので、双発ヘリコプターにおけるFAAのカテゴリーA、日本でいう輸送TA級の耐空類別が生まれ、さらに気象条件の悪い中で洋上長距離を飛ぶための計器飛行が試みられるようになった。

 こうして世界のヘリコプター界は、経済的にも技術的にも、石油開発を基盤として発展してきた。主要な舞台はメキシコ湾、アラビア湾、北海であった。やがて北大西洋、東南アジア海域、アフリカ沿岸にも拡大したが、日本では残念ながら大陸棚の石油埋蔵量が少なく、海底油田への飛行はごくわずかにおこなわれているに過ぎない。したがって欧米のように海底油田の開発支援がヘリコプター事業の基盤となることはなかった。

 

80年代以前のヘリコプター旅客輸送

 石油開発が特定の人びとを対象とする旅客輸送であるとすれば、一方で一般旅客を対象とする旅客輸送もおこなわれてきた。

 それは早くも1950年代なかば、アメリカの大都市ではじまる。特にニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスでは政府の補助金が出て、機材も当初のシコルスキーS-55(9席)からS-58(12席)を経て、双発タービン機のS-61(25席)やバートル107(25席)へ発展した。欧州でもサベナ・ベルギー航空がS-58を使ってブリュッセルからパリ、ドイツ、オランダへの定期路線を開設したが、1960年代なかばには欧米ともに補助金が出なくなり、事業も消滅した。

 1980年代には比較的小型のヘリコプターを利用した旅客輸送が各地で試みられた。ニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ボストン、パリ、ロンドン、トロントなどで、使用機はベル206、222、ユーロコプターAS350、355、365、ウェストランド30など。しかし大半は長続きせず、ほとんど90年代なかばまでに事業中止に追いこまれた。

 これには、ヘリコプターのローター回転に伴う騒音が大きいことから、都心部の便利なところにヘリポートを設置できないといった問題も影響している。

 

現在のヘリコプター定期路線

 90年代末期の現在、世界中を見わたして定期的な旅客便が飛んでいるのは、わずかに表4に示すような事例であろう。このうち日本の2例は生活路線として自治体の補助金によって支えられているが、外国の事例はいずれも独自の運営である。

 

表4 ヘリコプター旅客輸送の現状

会 社 名

区     間

区間距離

(km)

機   材

運航開始年

BHI

ペンザンス〜シリー

60

S-61N(30)

1964

ヘリジェット

バンクーバー

   〜ビクトリア

100

S-76(12)

1986

ヘリコプターサービス

マルモ/ヘルシンボリ

〜コペンハーゲン

3040

 

S-76C+

(12)

1985

エアモナコ

モナコ〜ニース

15

AS350B(5)

1990

亜太航空

香港〜マカオ

70

S-76C+

(12)

1990

東邦航空

伊豆6島間

2185

AS365N

(9)

1993

カワサキ

神戸〜但馬

100120

BK117(8)

1994

 この表の中でペンザンス〜シリー線は1964年5月にはじまった定期運航で、現在おこなわれているヘリコプター路線の中では最も古い。英国西南端のペンザンスから沖合約60kmのシリー諸島まで、最初から今もシコルスキーS-61N大型双発タービン機(30席)が飛んでいる。

 初期の運航はBEA(英欧航空)、のちに合併により英国航空ヘリコプター事業部となり、現在は独立して英国国際ヘリコプター(BHI)が実施中。早いうちからデッカを使った計器飛行がおこなわれて、利用者の信頼を高めた。過去30年間の乗客数は総計250万人に上る。

 バンクーバー〜ビクトリア間のヘリコプター定期便はヘリジェット社により12年以上にわたって続いている。運航区間は、バンクーバー市内に近い海岸に設置された浮体式ヘリポートからビクトリアシティまでの海上100kmの路線が中心。便によってはバンクーバー国際空港にも寄港し、最近はビクトリアから米シアトルへも路線を延ばした。

 これも計器飛行を実施しており、雨の日の雲中飛行も可能。そのため就航率に対する信頼性も高く、利用者が絶えない理由のひとつとなっている。乗客は行政の中心になっている州都ビクトリアシティと、経済活動の中心になっている商業都市バンクーバーとの間を往来するビジネスマンや公務員が多い。

 スェーデン南端のヘルシンボリを拠点とするヘリコプターサービスは、マルモおよびヘルシンボリの2地点から海峡を越えてデンマーク・コペンハーゲン空港へ飛ぶヘリコプター路線。乗り継ぎのためのビジネス路線で、飛行時間はヘルシンボリ線が片道20分、マルモ線が5分である。コペンハーゲン空港では長距離の欧州圏内路線や国際線など、エアライン17社に接続している。したがって乗継ぎ客は、ヘリコプター運賃が割引きまたは無料になる。

 モナコ〜ニース線は、地中海のコートダジュールを飛ぶヘリコプター定期便。運航は1年中おこなわれているが、夏のシーズンには1日30往復以上になり、乗客数は年間およそ9万人に達する。運航会社はヘリ・エア・モナコ。使用機はエキュレイユ(旅客5席)とドーファン(9席)。運賃は片道385フラン。往復では700フランである。ほかに、この地域ではニース〜サントロペ間、サントロペ〜カンヌ間にもヘリコプター便が飛んでいる。

 香港〜マカオ線は亜太航空(East Asia Airlines)のヘリコプター定期運航。1990年にはじまった当初は日本のロイヤル航空も運航を支援し、2機のベル222双発タービン機(旅客9席)を送りこみ、日本人パイロットの手で飛んでいたが、現在は香港の有力企業が運営し、使用機も3機のシコルスキーS-76C+に変わった。発着するヘリポートは香港、マカオともに船のフェリーターミナル屋上。片道の所要時間は16分で、飛行便数は1日およそ26往復。

 

新しい用途の発見 

 ヘリコプターの用途は、およそ以上のように発展してきたが、これを整理するとどうなるだろうか。

 今から20年余り前、ヘリコプター会社で仕事をしていた頃、社内でよく事業の来し方行く末について議論をした。その論議の一員だった畏友宮田豊昭氏(現DMBパイロットスクール顧問)は「ヘリコプター・ジャパン」(99年7月号)誌上で「発達の方向」と題し、「市場は使用事業から不定期事業へ、飛ぶ空は僻地から都会へ、顧客は特定少数から不特定多数へ、機体は小型機から大型機へ」進むだろうという当時の見方を紹介している。

 事実そのような道筋をたどって発展してきたヘリコプターの用途だが、ここにきて一種のゆき詰まりに立ち至った。その袋小路からどのようにして脱け出すのかというのが宮田氏の提起する問題である。

 本来ならば、いよいよ今ヘリコプターが都市交通機関となり、不特定多数の旅客を対象として、大型機による定期運航を実行に移す段階になるはずだった。しかし、それが実現できないのは、こと志に反して未だ経済性、安全性、定時性、そして騒音などの問題が解決していないからであろう。

 たしかにヘリコプターの騒音を引き下げ、操縦性を改善し、全天候能力を賦与して安全性を高めようという研究は、日本を含む各国でおこなわれている。しかし現在、必ずしも見通しが立ったわけではない。

 そこでアメリカは、石油開発を舞台として発展してきたヘリコプター利用の行く手について、不特定多数の旅客を対象とする定期便の運航はティルトローター機に引き渡す方向へ向かいはじめた。現に、かつては世界で最も盛んだった米国内のヘリコプター定期便が今では全く中断してしまった。ひとつだけシアトルで飛んでいるかに見えるが、これもカナダから乗り入れてくるヘリジェット便である。

 その代りにアメリカは、石油開発の先につづく需要分野として、救急搬送という新たな事業を見つけた。これも石油開発と同じく病院という特定顧客との間で固定契約を結び、緊急事態の発生にそなえて四六時中ヘリコプターを待機させる。そして海上と路上の違いはあるが、そこで発生した救急患者を搬送するのが任務のはじまりである。

 

ヘリコプター救急の特性

 ヘリコプター救急は人命救助が目的である。したがって代替手段がない緊急時には経済性に劣るという欠点もさほど大きな問題にはならない。しかも石油開発でつちかってきた技術――たとえば向上いちじるしい速度性能も生かすことができる。

 というので、アメリカでは1980年代に入ってヘリコプター救急が急速に伸びはじめ、現在では表5のように、全米で約350機の専用機が飛んでいる。欧州ではそれより早く、1970年代初めドイツではじまり、多くの国に広がった。

 

表5 主要国の救急ヘリコプター

国   名

機      数

専 用 機

兼 用 機

アメリカ

350

100

ドイツ

43

17

オーストリア

34

――

フランス

28

24

イギリス

22

46

イタリア

19

18

スイス

17

23

スペイン

17

8

南アフリカ

11

1

ニュージーランド

8

4

カナダ

7

37

オーストラリア

6

2

フィンランド

6

5

スウェーデン

5

1

日本

その他

29

43

合   計

602

329

      [出所]英AIR AMBULANCE HANDBOOK, 1998年8月

 

 先進国の中で、ひとり日本だけが取り残された形で、日本の救急機はゼロとなっている。異論もあるかもしれぬが、1998年夏現在イギリスから見た日本にはヘリコプター救急システムがなかったのである。

 欧米諸国のヘリコプター救急については、本頁でもしばしば書いているので、多くを繰り返す必要はないが、たとえばアメリカ、カナダ、フランス、スイス、オーストラリア、北欧などでは、専用ヘリコプターが1日24時間、1年365日、いつでも出動できるような体制を取っていて、夜間飛行も辞さない。そのうえアメリカの場合は100か所ほどの病院ヘリポートがディファレンシャルGPSを設置して、気象条件の良くないときでも計器進入を可能にしている。ただしドイツやイギリスは原則として日中の待機のみで、夜間飛行はしていない。

 そして、これらのヘリコプターは全て病院ヘリポートに待機していて、消防本部などの指令センターにかかってきた緊急電話に応じて一刻を争って出て行く。それには救急専門医、パラメディック、フライトナースが乗りこみ、応急手当に必要な治療器具や装置も搭載している。言い換えれば救急ヘリコプターの基本任務は、こうした医療スタッフを患者のもとへ送り届け、その場で治療に当たることであって、患者搬送は二の次である。

 その出動回数は年間平均で1機1,000回前後に達する。ドイツでは1998年の実績が表6の通り、51機で6万回近い出動をした。1機当たりの平均は年間1,100回を超え、搬送した患者数も1,000人余りだし、1機で2,000回を超える出動をした機体もある。

 

表6 ドイツ救急ヘリコプターの出動実績

 

1998

1997

1996

出動回数

(前年比)

59,918

103.8%)

57,699

107.3%)

53,776

搬送患者数

(前年比)

53,317

104.5%)

50,995

――

拠点数

51か所

51か所

50か所

年間1機平均

 出動回数

1,175

1,131

1,073

 搬送患者数

1,045

1,000

――

 ちなみに日本には約60機の消防・防災ヘリコプターが存在するが、平成9年度の出動実績は表7の通り、救助と救急を合わせておよそ950回であった。この出動回数は法律の改正などによって今後増える傾向にあるが、自衛隊機による離島患者の500回余の搬送を加えても欧米の1〜2機分の活動に過ぎない。日本のヘリコプター救急は、このように量的に少ないばかりでなく、質的にも離島の急病人や山岳地の遭難者に限られていて、救急車同様の日常的な活動にはなっていない。

 

  表7 全国消防・防災ヘリコプターの災害活動状況

年次

災 害 活 動 区 分

火 災

救 助

救 急

その他

平4

371 (5)

77  (0)

194 (11)

37 (19)

679 (35)

平5

497 (7)

109 (12)

187  (8)

66  (1)

859 (28)

平6

573 (65)

140  (3)

251 (18)

120 (58)

1084 (144)

平7

703 (40)

209 (30)

349 (40)

155 (454)

1416 (564)

平8

734(113)

373  (6)

410 (18)

109 (180)

1626 (317)

平9

697(108)

470 (12)

475 (35)

248 (68)

1890 (223)

[注] )内は他都道府県への応援件数で外数。

 

新たな用途を開くには

 日本の現状は、消防・防災ヘリコプターが災害時の情報収集や消火、物資輸送など、消防本来の任務を負っているため、どうかすると救急は二の次になりやすい。したがって、いよいよ出るとなると、改めて部内の承認を取ったり、機体装備を救急用に変更したり、病院や運輸省との連絡調整をしたり、さまざまな手続きが必要になる。これでは欧米のように2〜3分で出て行くわけにはいかない。

 おまけに出動基準もむずかしい。怪我人の意識レベルや呼吸、脈拍、刺傷や骨折の部位など、こまかい基準がある。ドイツでは素人でも判定できるよう、救急車では時間がかかる、意識がない、複数の重傷者がいるという3点だけが判断基準で、このいずれかに該当すれば直ちにヘリコプターが出動する。

 そうなると、たとえばヘリコプターが現場に降りてみたら大した怪我ではなかったというようなケースも出てくる。しかし、そういう無駄と思われる出動も、彼らは問題にしない。これを「空振り」というならば、ロンドンHEMSでは2割余の空振りがある。ドイツの「フェイルド・ミッションは15〜18%」とも聞いた。しかし、その程度の空振りは、実効ある出動のためには止むを得ないというのが一般的な考え方である。

 これは日本の話だが、いつぞや防災ヘリコプターで搬送してきた患者が意外に元気だったために、税金の無駄遣いと書いた新聞があった。しかし、この非難はおかしい。無駄遣いを心配する余り格納庫に入れたままのヘリコプターの方がよほど無駄であろうし、また空振りを恐れて、実際に必要な出動が見送られるとすれば、さらに大きな問題であろう。現に患者の容態が大したことではないと言うので、ヘリコプターの出動を見送ったところ、後になって容態が急変し、取り返しのつかないことになった実例もある。

 以上のような、諸外国のヘリコプター救急の特徴に照らして、わが国のヘリコプター救急はいかにあるべきか。実状に適した理想のシステムを一刻も早く実現する必要がある。そこから、また新たなヘリコプターの用途が開け、次の発展がはじまるであろう。

(西川渉、『日本航空宇宙学会誌』99年10月号掲載に加筆)

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