<エールフランス>
最後の超音速定期便 最近の報道によると、コンコルドSSTはエールフランスの機体が6月14日――ということはパリ航空ショーの開会前日に会場に到着するらしい。そしてショーの終わった後は、そのままルブールジェ空港の航空博物館に収められるというから、間近に同機の飛行ぶりを見ようと思ったら、14日から会場に行っていなければならない。
もっとも、もっと新しい報道では、これが数日遅れて航空ショーの最中になるかもしれないし、場合によってはショーで公開飛行を見せてくれるかもしれないという。
コンコルドは先の本頁でも書いたように、エールフランスも英国航空も引退させることになった。定期便の乗客は、英国航空のロンドン〜ニューヨーク間が利用率5割程度、エールフランスのパリ〜ニューヨーク便などは僅か25%程度で非常に悪く、費用ばかりがかさんで引退を余儀なくされるに至ったという。
エールフランスのコンコルドSSTは早くも5月30日、パリ〜ニューヨーク間で、最後の定期飛行をした。この日午前10時38分、シャルル・ドゴール空港を飛び立つと、マッハ2の超音速で太陽を追い越し、午前8時10分ケネディ空港に到着した。所要時間は3時間32分であった。
ニューヨークからパリへの飛行は翌31日におこなわれた。出発に際してはコンコルドの傍らにやってきた消防車からフランスの三色旗にちなんで、赤、白、青の水が機体前方にアーチのように高く放水された。
ところがいよいよ出発となったとき、なんたることか、エンジン4基のうち1基が始動できず、再びゲートに牽き戻された。整備士が大汗をかいて修理した結果、機は1時間遅れで出発することができた。やはり引退の秋(とき)がきたことを示す出来事であり、最後の乗客たちも不安のうちにそのことを感じたにちがいない。
ケネディ空港でトリコロールの祝水を受けるこれがエールフランスのコンコルド最後の定期運航となった。ケネディ空港から3時間半の飛行を終わって何千人もの人びとが出迎えるドゴール空港に着陸したのは午後5時44分だった。
最後の飛行には79人の乗客と犬が1匹乗っていた。機内では機長やスチュワーデスの別れを惜しむ機内放送に感動し、涙ぐんで降りてくる乗客もいたという。また、ある女性客は「超音速の素晴らしい恐怖感を味わうために初めてコンコルドに乗りました。思い切って6,000ドルを払っただけのことはありました」と語った。「飛んでいる間中、窓の外を見つめつづけた」という乗客もいた。
これでエールフランスの27年間の超音速飛行の歴史が幕を閉じたことになる。同航空のジャンシリル・スピネッタ会長は「コンコルドは人びとの記憶の中で永久に飛び続けるだろう」と語った。
エールフランスは現在5機のコンコルドを保有する。そのうち4機は博物館へ寄贈される。寄贈先はパリ郊外のルブールジェ航空宇宙博物館、ドイツの技術博物館、ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館、そして現在博物館を建設中の南仏ツールーズのエアバス社である。コンコルドはこのツールーズで誕生した。
これらの博物館へは、次のような日程で飛んで行く予定。
ワシントンへ6月12日
ルブールジェへ6月14日
ドイツへ6月23〜24日
ツールーズへ6月27日5機目はオーバホールが終わったばかりだが、パリ・シャルル・ドゴール空港に展示される。
コンコルドは1970年代前半、当時の59億ドルをかけて開発された。就航したのは1976年1月。以来2000年7月25日に墜落事故を起こすまで1兆ユーロ余りの売り上げを上げ、150〜300万ユーロの利益を上げた。
しかし事故の後は乗客が減って、一時は70%だった座席利用率が最近は20%まで落ち込んだ。
一方、英国航空のコンコルドは長年にわたって損失を出しつづけたが、1980年代なかばから黒字に転じ、これまでに7.5億ポンドの利益を上げた。
この間、エールフランスのコンコルドに乗った旅客は120万人以上、英国航空の旅客は飛行便数が多かったこともあって250万人に達する。
10月末には英国航空のコンコルドも最後の日を迎える。
(西川 渉、2003.6.4)
(表紙へ戻る)