コンコルドの安全性

 

 

 コンコルドの事故について、何も私のような素人がムキになって弁護する必要はないのだが、怪鳥だの環境破壊だのと非難だけに終っては先がないと思われるからである。事故は誰が見ても良くない。しかし、良くないことを良くないというだけでは進歩がない。

 昨日も、15歳の少年が近所の一家6人を殺傷した事件が報じられたが、コンコルドの事故に対する大新聞の論調も、むろん今の日本社会の陰鬱な気分から醸し出されたものではあるが、こんな調子では若者たちの心はすさむばかりである。怪鳥がフランス人のいうような「大きな白い鳥」に変わり、環境を破壊せずに、大勢の乗客をのせて超音速で飛べるようにするにはどうすればいいのか――そういう新しい課題に向かって、若者たちを奮い立たせるようなことを書いてもらいたい。

 そのような夢が決して実現できないことはないはずで、航空というものの本質は常に将来に向かう夢と希望と進歩である。しかも超音速旅行は過去25年間やってきたことでもあり、その改良などはちょっと手を伸ばせば届くところにある。その手を伸ばさせまいとするかのように、寄ってたかって叩くことはないだろう。

 あれはヨーロッパの話だから自分たちは無関係ということでもない。先日の本頁にも書いたように、へき地の日本にこそ超音速の旅行手段が必要なのである。欧米の製品を改良するのは、必ずしも自慢はできぬが、日本人の得意とするところではないのか。現にわが国航空宇宙技術研究所でも、相当な予算を組んで次世代超音速機の開発研究がおこなわれている。 

 話は変わるが、コンコルドの事故を伝えるイギリスの新聞に、豪華客船タイタニックを引き合いに出した記事があった。けれどもタイタニックは処女航海で沈んだのである。しかも高速にして不沈という思い上がりから氷山にぶつかった。長年にわたって慎重な運用をしてきたコンコルドとは全く異なる。

 また、飛行船ヒンデブルク号にたとえた記事も読んだ。1937年ドイツから大西洋をわたってニューヨークに近いレイクハーストに到着して、係留中に引火炎上した悲劇である。これで飛行船による旅客輸送は終わったけれども、超音速の旅客輸送は終わらせてはなるまい。

 しかし事実を踏まえておく必要はある。夢と希望だけで超音速旅行が実現するわけではない。とりわけ安全の問題は不可欠で、事故原因が何であったか。十分に究明する必要がある。

 余談ながら、御巣鷹山の日航ジャンボ機の事故も先週末、ボイスレコーダーが公表され生々しい音声がいっせいにテレビで流された。私は聞いていて、コクピット内の奮闘ぶりに涙がにじむのを禁じえなかったが、同時に事故調査の資料は10年を経過した時点で破棄されたとも報じられた。まだ疑問が残っているではないかという意見もあって、どこか釈然としない。

 この点は、1966年2月4日の全日空727の東京湾事故も同様で、原因に関する意見が対立したまま終わっていて、後味が悪い。どうも日本というのは、傲然たる官僚体制がある一方、湿った人間関係があって、冷静にして無心であるべき航空事故の解明などは最もできにくい状況にあるのではないかと思われる。

 そもそもボイスレコーダーが今になって公表されたのは何故なのか。何故もっと早く公表されなかったのか。ほかの航空事故では公表されているのか。公表するかしないかはどういう根拠で決まるのか。公表の時期はどのようにして決まるのか。遺族にもこれまで聞かされていなかったのか。聞く権限のある人とない人はどのように区別されるのか、といった疑問が次々と湧いてくる。

 このあたりのことは、むろん役所の中では決まっているのだろうが、情報公開の問題がやかましい現在、次は事故が起こったら翌日にでも公表せよといった論議が起こるのではないか。先ずはボイスレコーダー公開の基準を公開しておく必要があるかもしれない。

 

 

 

 コンコルドの事故原因については目下調査が進んでいて、滑走路に落ちていた金属の異物が引き金になったのではないかというような見方が出てきた。しかし素人が深入りしても無駄だから、ここではコンコルドの安全性について報道されているところをまとめておきたい。

 一つは、コンコルドが25年間無事故だったといっても、実際は機数が少なく、飛行回数が少なく、飛行時間も少ないから、余り威張れないという見方である。なるほどエールフランスのコンコルドについて、次のような運航実績が報じられている。

 

1987年

1995年

1996年

機数

飛行時間

3,734

3,169

3,092

飛行回数

1,118

908

871

1機あたり年間飛行時間

779

626

612

1機1日あたり飛行時間

2.01

1.72

1.68

 

 エールフランスは6機のコンコルドを保有していたが、1機は部品取りのための予備機になっていたらしい。したがって稼働機は上表の通り5機で、それぞれが年間600〜700時間しか飛んでいなかった。普通の旅客機の5分の1程度であろうか。速度が2倍だから時間はその分少なくてよいといえるかもしれぬが、それにしても少ない。

 もう一つ、飛行時間の少ない理由は、整備の手間がかかるために地上時間が長くなるからであろう。飛行1時間あたりの整備工数は亜音速機の3倍といわれる。それだけ稼ぎは少なくなり、コストは割高にならざるを得ない。なにしろ機体が高熱を帯びて飛んでいて、そのために胴体が25cmほど延びたり縮んだりするというから、飛行後の整備点検も大変であろう。

 

 このような少ない機数で、少ない飛び方をしていた航空機がいったん事故を起こすとどうなるか。統計的には、世界で最も安全といわれたコンコルドだが、一転して最も危険な航空機ということになった。

 コンコルドは過去25年間に80,000回の飛行をしてきた。そこに1回の死亡事故が起こったから、100万回あたりの事故率は12.5件ということになる。ほかの旅客機はどうか。たとえばボーイング727は1965年以来7,200万回近く飛んで46件の死亡事故を起こしている。したがって事故率は100万回あたり0.64件で、これらの数値をまとめると下表のようになる。

 

事故率

死亡事故

飛行回数

コンコルド

12.5件/100万回

1件

80,000回

727

0.64

46

7,200万回

DC-9

0.72

42

――

英国航空

0.32

――

――

エールフランス

1.19

――

――

デルタ航空

0.30

――

――

ユナイテッド航空

0.50

――

――

 

 もうひとつ別の基準で事故率を計算する方法もある。死亡者が出なくても、機体が大破して2度と使えなくなるような全損事故である。ボーイング社の集計では、コンコルドの全損事故は、むろん今回が初めてだが、飛行100万回あたりの事故率が11.64件になるという。これは昔の第1世代のジェット旅客機よりもわずかに良い程度で、たとえばコメット、カラベル、トライデント、VC-10などの平均は15.51件であった。

 余談ながら、私はこの中でカラベル、トライデント、VC-10に乗ったことがある。別に事故はなかったけれども、むかし中国民航のトライデントで広州から香港へ向かって離陸滑走中、轟音を上げていた3基のエンジン音が不意に変わった。1発が停ったらしく、機長がうまくRTO(離陸中止)の操作をして、機は滑走路上で停止。やがて、のろのろともとのターミナル前に戻り、整備士が集まって点検がはじまった。

 そのとき突然、前の方にすわっていたアメリカ人らしい白人女性2人が大声で何かわめきながら キャビンを通り抜け、後方の出口から出ていった。きっと「こんな怖い飛行機には乗ってられないわ」とでも言ったのだろうが、ほかには誰も出ていく人はいなかった。私もここで騒いでは日本人の沽券にかかわると思っておとなしく席についたまま待った。1時間ほどして、何をどうしたのか知らぬが、飛行機は動きだした。その晩、香港でささやかな祝杯を上げたことはいうまでもない。

 さて、こうした第1世代機に対して、ボーイング737の場合は古いものから新しいものまでいくつもの派生型が存在するが、100万回あたり1.25件、0.43件、あるいはゼロ件となっている。現在飛んでいる旅客機の中では、MD-11が最も悪くて100万回あたり6.54件、707が6.51件、DC-8が5.91件である。ただしMD-11は比較的新しいので、まだ飛行回数が100万回に達してなく、計算結果だけで最悪というのは語弊があろう。

 それに新しい機材は、それを扱う乗員や整備の不慣れからトラブルが多くなりがち。年月がたつにつれて取扱い者の学習曲線が上がり、トラブルは少なくなる。しかも、これまで5件の全損事故はほとんどが貨物機の事故であった。また707やDC-8の数字が悪いのは、現在ほとんどが第3世界で飛んでいて、そういうところではどうしても事故が多くなる傾向にある。そういう状況が数字に反映しているのかもしれない。

 

 コンコルドの安全性については多くの人が今回の事故によって不安をもった。英国航空は翌日からすぐに運航を再開したが、TIME誌によれば事故の翌朝、再開第1便の乗客は予約78人だったのに対し実際の搭乗者は49人だったという。また1週間後の乗客は33人だったが、この1週間のあいだに最も多かった便には82人が乗っていたという報道もある。

 この中には、事故直後の今が確率的には最も安全という考えから、事故と同時に予約を入れてきた人もいるとか。いずれにせよ欧米は今バカンスのシーズンで、超音速で忙しく飛びまわるビジネス・エリートも少なくなる季節である。

 ともかく、もっと安全で、もっと安い超音速機の開発が望まれる。それには日本人が貢献できる余地も充分にあるのではないだろうか。

(西川渉、2000.8.16)

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