キャッシュは現金ではなかった

 厚生省が、小泉純一郎大臣の号令によって、カタカナ語追放委員会を復活するらしい。公式文書に氾濫する外来語を減らして、子供やお年寄りにも分かるような日本語を使うようにしようというもの。朝日新聞(97年6月8日付)の記事ではフォローアップ、インフォームド・コンセント、サーベイランスなどの言葉が槍玉にあがっていた。

 確かに近年、公務員諸君のカタカナ病は目に余るものがある。新聞記事を読んだあと早速、手もとにあった7種類の政府白書や計画書を較べてみたが、『厚生白書』は特にひどい。

 たとえば、私の見た平成8年版(平成8年5月27日発行)の白書では、序章の1頁だけで「多様なニーズ」、「新たなニーズ」という言葉が2回ずつ出てくる。よほどニーズの好きな人か、語彙の貧弱な人が書いたのであろう。それに日本語自体も同じ1頁に「構築が必要となる」「確立が求められている」「確立が必要である」「確立が必要となっている」というように何度も同じようなこわばった言葉が繰り返されている。

 言葉の繰り返しは読者の頭を空洞にして、理解力を減退させる働きがある。したがって詩や歌のリフレインは別として、普通の文章では同じ言葉は繰り返さないのが原則。もっとも厚生省はそこを狙って、国民の読解力や思考力をなくすためにこんな作文をしたのかもしれない。

 さらに目次を見て行くと、ゴールドプラン、エンゼルプラン、ノーマライゼーションなど空疎な言葉が並んでいる。これではお年寄りも病人も、なかなか救われそうもない。

 ところで、ここで言いたいのは厚生省もさることながら、パソコン業界も是非、小泉厚相の主張を聞いて貰いたいということ。意味不明の乱脈カタカナ造語は、われわれ利用者を惑わせ、操作のミスを招き、パソコンやインターネットの普及を妨げる障害となっている。

 このことは別のところでも書いたが、ここでさらにつけ加えると次のような言葉はどうにかならぬものだろうか。

●コンテンツ
 どこかにコンテントという単数ならば「内容」という意味であり、複数のコンテンツにすれば「目次」のことだという解説が書いてあった。わざわざパソコン雑誌で英語の講義をしてもらう必要もないが、こんな解釈をいちいちつけ加えねばならぬような言葉をなぜ使うのか。

 初めから内容は「内容」、目次は「目次」といえばいいのであって、いかに飾り立てたホームページでも、内容が貧困ならば誰も見にこないのは当たり前の話。そんな当然のことを、ご大層にコンテンツだかコンテントだかコンコンチキだか、奇天烈なカタカナ用語を使って解説して貰う必要はどこにもないし、こういう用語を頻発する論議に限って、大した内容は感じられない。

とすれば、実は内容がないのに「内容」というわけにはいかないので、それでコンテンツというのかもしれない。すなわちコンテンツとは「外見はこけおどしで中味はからっぽ」という意味の「内容」なのであろう。


●インタラクティブ
 この言葉も分かりにくい。もともとの英語は「相互作用の」という形容詞だが、パソコン人たちは名詞のような使い方をしている。「双方向性」という人もいるが、まずはこれが順当なところであろう。

 インターネットの重要で面白いところは、テレビやラジオのような一方的伝達手段(メディア)ではなく、お互いにやりとりができることである。その意味では「相互性」といってもいいし、「相互の」という形容詞をもってくることもできよう。

●サムネイル
 文字通り「親指の爪」である。インターネット用語では、大きな写真を親指の爪くらいに縮小して並べた見本のことをいうらしい。この小さな見本の中からどれかを選んでクリックすると大きな写真があらわれる仕組みである。

 しかし英語の thumbnail は、何もインターネット専門の言葉ではない。昔から小さい肖像画や寸描の意味で日常的に使われていたし、私もこうした使い方は知っていた。したがって、この言葉がインターネット上の小さな見本画像の意味で使われても、英語民族は誰も違和感はないはずである。

 しかし、われわれ日本人にはちょっとひっかるものがある。改めてカタカナで「サムネイル」などと書かれると、何だか特別な意味合いがあるようで、身構えてしまうのである。実際は小さな見本画像に過ぎない。ここは「見本」とか「小画像」くらいにしておいて貰いたい。

●キャッシュ
 真の意味を知ったのはつい最近のことで、そのときは驚いた。というのは、私は長年、パソコンでいうキャッシュとはまさに
cash のことで、現金のようにポケットに入れておいて、いつでもさっと出せるような機能のことかと思いこんでいたからである。

 ところが実は cache だそうで、貯蔵庫という意味らしい。そこにデータを貯めておくから迅速な対応ができるわけで、それならばこれは「一時貯蔵」くらいの言葉にして貰いたかった。航空人としては「格納庫」でもかまわないのだが。


 ほかにも、深い考えもなしに英語をそのままカタカナにしたような用語は、コンピューター業界の至るところに見られる。このような特殊な業界用語は一部のひとりよがりの自称専門家たちにしか分からず、それだけで狭く閉ざされた社会を形成することになる。コンピューターの世界が開かれた社会として大きく発展するには、まずジャーゴンの垣根をなくす必要があろう。

 まさかコンピューター業界も、霞ヶ関業界のように垣根をめぐらして国民には「知らしむべからず」といった方向をめざしているわけではあるまい。

 そういえば、あの分かりにくい『厚生白書』は、体裁だけは多色刷りの表紙に全頁色刷りの立派なレイアウトであった。そのためかどうか、値段は2,400円もする。しかも内容は病人や老人に意味不明のカタカナ語が使ってある。そもそも「白書」とは表紙の白いことからきた言葉で、立派な多色刷りの白書はそれ自体が矛盾というほかはない。体裁よりも、「コンテンツ」ではなくて、「内容」が問題なのだ。

(西川渉、97.6.8

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