造物主と人間

 

 

 

 山野さんから転送されてきた天地創造のお話――その6日目のこと、神はいよいよ動物の創造にとりかかった。最初にロバがつくられた。そのロバに向かって、神が申された。「おまえはロバだ。朝から晩まで重たい荷物を背負って働くがよい。食べ物は草。知能はないが、寿命は50年にしよう」

 ロバが答えた。「そんなつらい思いをして50年も生きるのはいやです。20年以下にしてください」

 神はよかろうといって、そうなされた。次に、神は犬をつくって、こう申された。「おまえは人間の最良の友だちとなり、住まいの前で寝ずの番をするのだ。そして食卓の残り物を食べながら、30年生きるがよい」

「困ります」と犬は答えた。「犬として30年も生きるのは沢山です。半分の15年にしてください」。神は承知なされた。

 それから神は猿をつくって申された。「おまえは猿だ。木から木へ飛び移りながら、バカな道化を演じて40年生きるのだ」

「神様、40年も道化をやるなんていやです。寿命は30年にしてください」。神は承知なされた。

 最後に神は人間を造って、こう申された。「おまえは人間だ。地球上唯一の知能をもった生き物である。その知能によって、この世のあらゆる生き物を従えながら、20年間にわたって生きるのだ」

「神様」と人間は答えた。「たった20年なんて短かすぎます。ロバが断った30年と犬が断った15年と猿が断った10年間を私に下さい」。神は承知なされた。

 かくして人間は、最初の20年間は人間として生き、次の30年間は結婚してロバのように重い荷物を背負って働き、次の15年間は犬のように家の番をしながら子どもたちの食べ残しをあさり、最後の10年間は孫たちを喜ばせるために、猿のようにバカな道化を演じることになったのである。

 

 お話はここまでだが、この創世記は何千年も前のスフィンクスの謎に似たところがある。その謎とは「朝には四本足、昼には二本足、夕べには三本足の者は何か」というのであった。

 ご承知のように、答えは「人間」である。人は幼時ハイハイをして動き回る。やがて2本足で立ち上がり、老いてからは杖をついて歩くと解いたのは、後のオイディプス王であった。

 このギリシャ神話も上の新創世記も、人間の老後は情けないという見方である。

 しかし最近、どこで読んだか忘れたが、誰かが60歳台は人の一生のうちで最も恵まれた華の時代であると書いていた。つまり定年で勤務先に縛られなくなり、時間はたっぷりあって、生活にはさほど困らず、子ども達は独立して手がかからなくなり、体力や知力はまだ残っている。趣味でも旅行でも運動でも好きなことが自由にできる人生最良の時期である、と。

 無論これは一般論であって、そう何もかもうまくはいかないという人もあるが、大体はそういうことであろう。アメリカ人が定年退職を喜ぶのも同じ考え方だし、逆に日本人が定年を寂しいと思うならば、ちょうど良い励ましの言葉かもしれない。

 

 そう考えてみると、70歳代になってもまだ仕事から離れられず、80歳を超えてなお大蔵大臣をやっているのも困ったものである。本人は体力も知力もあるぞと思っているらしいが、それだけにますます国民の被害が大きくなる。テレビで見るだけでも気力、すなわちやる気があるとは思えない。茶飲み話しかできないような老人に国家の財政をまかせていいのだろうか。

 あれはボケ老人を飾りにしておいて、その陰で悪党どもが好き勝手に税金の使い道を決めている構図なのである。その点は今の首相だって同じこと。表ではバカ殿を踊らせておいて、家老以下が奥座敷で何をたくらんでいるか分かったものではない。

 そのバカ殿の踊りに幻惑されたか、野党までが一緒になって「いつ辞めるのか」などと質問する。他党の人事などどうでもいいではないか。それよりも予算委員会というのは本来、国家の経営について経済面から審議をするところであり、予算の中身や金額について是非を論議する場ではなかったのか。肝心なことはそっちのけにして、人事問題ばかりにこだわるものだから、ボケ老人を正面に立てた大蔵官僚の思うがままというのが、日本の国家構造になってしまった。

 今にして、人間の寿命を20歳にしようと考えた造物主の言うことを聞いておくべきだったと悔やまれるのである。

(小言航兵衛、2001.3.11)

 

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