新しい需要分野の誕生(上)

――ヘリコプター救急――

 

 ヘリコプターの世界に新しい市場が生まれかかっている。日本以外の先進諸国ではとっくに生まれ、急速に育ちつつあるのだが、何故か日本ではなかなか生まれてこない。陣痛の苦しみだけが何年も続いてきた。その赤ん坊とはヘリコプターによる救急搬送システムにほかならない。

 日本でも阪神大震災の直後、誰もが人命救助にヘリコプターを使うことの必要性をとなえた。政府も医師も有識者もマスコミも、こぞって早急なるヘリコプター救急システムの構築が必要と主張した。しかし、あれから4年、ヘリコプター救急システムはいまだに実現していない。

 無論このままであってよいはずがない。人命救助という人道的な見地からはもとより、経済的に見ても大きな需要を逸する結果になる。言い換えれば、このシステムの実現は経済的な利潤追究がそのまま人道的な人命救助につながるという、まことに希有な事業分野なのである。

  

新製機の2割を占める

 具体的に見てゆこう。今後5〜10年間にヘリコプターはどのくらい製造されるだろうか。1998年2月エンジン・メーカーのアリソン社が発表した予測では、表1の通り、世界のタービン・ヘリコプターの引渡し数が1998〜2007年の10年間に民間機5,467機、軍用機3,654機、合わせて9,121機になるという。

 また米ティール・グループは、この表に示すように、向こう10年間に総数8,190機、517億ドル(約6.5兆円)相当のタービン・ヘリコプターが売れると予測する。アリソン社の予測にくらべると1,000機減で、10%余り少ないが、内訳は民間機が4,635機、軍用機が3,555機となっている。

 同じような需要予測は、アライド・シグナル社からも発表された。こちらは1998年から2002年までの5年間の民間向けタービン・ヘリコプターで、表1のように新製機は総数2,543機が引渡されると見る。

 

表1 ヘリコプターの将来に関する需要予測

5 年 間

10 年 間

民間機

民間機

軍用機

合 計

アリソン
ティール・グループ
アライドシグナル

――
――
2,543機

5,467機
4,635機
――

3,654機
3,555機
――

9,121機
8,190機
――

 

 これらの予測の中で注目すべきは、ほかならぬ救急機である。表2によって民間ヘリコプターの用途別の内訳を見ると、アライドシグナル社は新製機の需要の2割近くが救急用と予測する。機数にすれば500機に近い。またティール・グループも1〜2割が救急機と見ている。

 

表2 民間需要の用途別内訳

用途分野

アライドシグナル社

ティール・グループ

社用ビジネス
救急医療
警 察
石油開発
一般用途(ユーティリティ)

20.6%
19.0%
17.6%
2.3%
21.0%

25〜30%
10〜20%
5〜15%
10%程度
30〜35%

[注]アライドシグナル社の予測では、欧州の救急医療向け需要は33%で最大

 両者に共通しているのは、救急ヘリコプターの需要がビジネス用に次いで2番目に大きな利用分野であるということ。かつては世界的に見た民間ヘリコプターの用途は石油開発向けが圧倒的に多かった。日本では少ないけれども、海底油田の開発には、今も北海、メキシコ湾、アラビア湾などで多数のヘリコプターが沖合の掘削リグに向かって作業員の輸送をしている。

 しかし近年、原油価格が下がって石油開発が下火になり、ヘリコプターの需要も伸び悩んでいる。そんなところへ皆無に等しかった救急医療の分野が拡大してきたのである。しかもアライドシグナル社の見方によると、欧州だけの需要に限るならば、新製機の33%が救急医療用で第1位を占めるという。

 ティール・グループの予測も、民間市場の特徴は向こう10年間、横ばいの需要がつづく。けれども技術的、経済的に魅力ある新機種が出現して市場を刺激すれば多少の拡大も考えられる。特に救急ヘリコプターの需要増には希望が持てるとしている。 

 

ヘリコプターで救命率が向上

 では現在、救急ヘリコプターはどのくらい飛んでいるのか。英国の『エア・アンビュランス・ハンドブック』(1998年版)によると、表3のように専用機はおよそ600機、それに兼用機を加えると1,000機に近い。世界の民間ヘリコプターは、総数およそ23,000機、うちタービン機が18,500機だから、その5%前後に過ぎないが、今後の伸びは上に見た通りである。

 

表3 世界の地域別救急ヘリコプター数

地    域

専  用  機

 兼  用  機

北   米
西  欧
北   欧
東   欧
ア ジ ア
中  東
中 南 米
アフリカ

約357機
190
11
5
14
4
8
13

約137機
147
6
8
16
3
7
5

合 計

約602機

約329機
[出所]『エア・アンビュランス・ハンドブック・1998』

 

 

 国別の救急ヘリコプターはアメリカが断然多くて約350機、次いでドイツが50機、フランス37機、オーストリア34機、スイス17機と続く。残念ながら日本は、このハンドブックではゼロと勘定されている。事実そういっていいであろう。

 ヘリコプター救急がここまで伸びてきた背景にあるのは、アメリカ軍の戦場における負傷兵の救出実績である。近代ヘリコプターが誕生したばかりの半世紀余り前、アメリカ陸軍は早くも第2次大戦末期のフィリピンや中国戦線にヘリコプターを送りこみ、負傷兵の救出に当たらせた。その基本理念は「一兵たりとも死なせてはならない」というものである。

 そのときアメリカ軍の相手となって戦ったのはいうまでもなく日本である。当時、敗色濃い日本では死を前提とした特攻作戦が推進されていた時期で、いかに戦争とはいえ、人命に関する彼我の考え方の相違に愕然たらざるを得ない。この違いは、実は今も変わっていないのではないだろうか。

 戦後も米国内では、ヘリコプターによるさまざまな人命救助が続いた。そして1950年、朝鮮戦争がはじまるや直ちにヘリコプターが戦場へ送られた。機種はベル47とシコルスキーS-55が中心で、今から思えば鈍重なピストン機だったにもかかわらず、山岳地の多い朝鮮半島で兵員や武器弾薬、食糧などの輸送に使われ、同時に多数の人命を救助した。

 2年ほどの間にヘリコプターで救助された負傷兵は25,000〜30,000人。後方の救護施設まで護送されたが、彼らの多くが生き残ったのはヘリコプターを使うことによって、いち早く専門的な治療手当てを受けることができたばかりでなく、凹凸の激しい山道をジープで運ぶと、それだけで患者の傷を深め、容態を悪化させることにもなったからである。

 こうした経験から、ヘリコプターは朝鮮戦争後いっそうの発達を遂げ、タービン・エンジンの採用によって出力が増え、搭載量が増し、速度が向上して、航続距離が伸び、ベトナム戦争ではさらに本格的に負傷兵の救護にあたった。加えて北ベトナムの支配下に撃墜された味方航空機の乗員救出にもヘリコプターが使われるようになり、救難用ホイストをつけたヘリコプターは敵中深く、海上遠くまで飛んで、みずからの危険を冒しながら、空中脱出をしたパイロットたちを救い上げた。

 その結果、それぞれの戦場における負傷者の死亡率は、表4に示すように大きく改善された。アメリカやヨーロッパで1970年代後半から急速にヘリコプター救急体制が組み上げられてきたのは、こうした実績を踏まえてのことである。

 

表4 米軍負傷兵の死亡率 

推計者

第2次大戦
(1941〜45年)

朝鮮戦争
(1950〜53年)

ベトナム戦争
(1945〜75年)

ベル社推計
シコルスキー社推計

5.8%
4.5%

2.4%
2.5%

1.7%
1.0%

 

消防法施行令の改正

 このような欧米のヘリコプター救急の動きを、日本政府が知らなかったわけではない。今から10年前、平成元年3月20日に消防庁長官宛に提出された『消防におけるヘリコプターの活用とその整備のあり方』と題する消防審議会の答申では「国民の信頼と期待に応えていくために……消防ヘリコプターの整備を積極的に推進し、これを活用した消防活動を全国的に展開していく」という基本方針のもと、「諸外国の例にみられるように、ヘリコプターを活用して病院収容までの時間を飛躍的に短縮し、救命率を高める救急業務の実現」や「上空からの消火や人命の救助、災害状況の把握、ヘリコプターによる救急患者の搬送」が必要という認識が示された。

 具体的には「西ドイツ、スイス等救急ヘリコプター先進諸国の例から……半径50〜70km(ヘリコプター基地から救急現場におおむね15分前後で到達可能な距離)」ごとにヘリコプターを配備して、「消防活動の新たな展開を図るため、消防ヘリコプターの整備を全国的に推進する」

「この半径による活動範囲は、おおむね各都道府県の区域と一致するため、消防ヘリコプターは各都道府県に少なくとも1機以上配置されることを基本とし……今後約10年の間に新たに40〜50機を計画的に整備」することとなった。

 以来10年、消防・防災ヘリコプターは最近までに63機が全国都道府県と政令指定都市に配備されるに至った。しかし形はととのったが、上の答申にうたわれた救急患者の搬送は年間500件程度しかおこなわれていない。これはドイツやスイスの出動実績にくらべて1機分にも足りない。しかも、これらの国では医師がヘリコプターに乗って事故現場に飛び、路上で応急治療をほどこす。それによる救命率は、日本とはくらべものにならないほど高い。

 そこで自治省消防庁は、わが国の救急体制をもう一歩すすめるため、平成10年3月25日「消防法施行令」を改正した。その第44条(救急隊の編成および装備の基準)について、これまで「救急隊は、救急自動車1台および救急隊員3人以上をもって編成しなければならない」とあったところを「救急隊は、救急自動車1台および救急隊員3人以上、または回転翼航空機1機および救急隊員2人以上をもって編成しなければならない」と改めたのである。

 法規の上では、ヘリコプターも正式に救急手段であることが認められた。今後は救急車と同じように、また10年前の消防審議会の答申のように、ヘリコプターも日常的な救急活動に使われるものと期待してよいであろう。 

 

救急ヘリコプターの必要特性

 こうして日本でも、救急ヘリコプターの需要が欧米なみに伸びてゆく環境がととのった。しかし60機を超える消防・防災ヘリコプターは情報収集、消火活動、緊急輸送など、救急以外の任務にも忙しいことは現状が示す通りである。

 一方、救急任務は一刻を争って出動する必要があり、機内には医療器具や患者搬送用のストレッチャーをそなえなければならず、どうしても専用機が必要になる。もし消防審議会が答申したような配備をするならば、改めて50機の救急専用機をそろえなければならないであろう。

 その場合、ヘリコプター救急に適した機材はどういうものか。路上のせまい事故現場や病院の屋上にも着陸できるよう、機体外形や主ローター直径はできるだけ小さく、尾部ローターはむき出しではない方がいいかもしれない。それでいてキャビン内部は大きく、患者を寝かせたストレッチャーの搭載が可能で、その積み卸しも容易にできるように床面が低く、ドアが大きく開くものが望ましい。

 キャビン内部には医師、看護婦、または救急救命士が同乗する。そのうえで機内でも多少の手当が続けられるようなスペースが要る。それに医療スタッフもヘルメットを着用するから、天井は高い方がいいだろう。そしてヘリコプターの飛行特性は、高速であると同時に振動や騒音の少ないものでなければならない。

 また救急機には酸素ボンベ、人工呼吸器、点滴、除細動器、生命維持モニターなどの医療器具を取りつけなければならない。それには機体の一部を改造する必要も出てくる。搭載器具も病院で使っているものをそのまま持ってくるわけにはいかない。重量や大きさはできるだけ小さく、気圧の低下や振動にも耐えられる必要がある。強い電磁波を発して航空機の計器類に影響を与えるようなものも好ましくないし、無線機は航空用のものだけでは不充分。消防機関に加えて病院や警察とも通話のできるような設備をととのえる必要がある。

  

講演会場での屈辱感

 このような特性を必要とする救急ヘリコプターの普及に伴って、いま諸外国では救急機のための特殊装備品の開発と製造、ならびに機体の改修に当たる企業が増えている。その専門の展示会も各地で盛んになってきた。

 98年10月下旬、米アルバカーキで開催された航空医療搬送展(AMTC:エア・メディカル・トランスポート・コンファランス)には筆者も出かけて行ったが、ベル、シコルスキー、ユーロコプター、アグスタ、セスナ、ピラタス、ビーチといった航空機メーカーを初め、関連機器のメーカーや運航会社など、総数90社が参加した。

 そのうえ危機管理のあり方、ヘリコプター計器飛行、病院ヘリポート、心臓治療の最近動向、未熟児の搬送方法、フライトナースとパラメディックの協力体制、国際医療搬送の現況、カナダ北極圏からの搬送経験、航空医療における法的課題など、さまざまな講演や研究発表が7つの会場に分かれて1回1時間ずつ、3日間に91回もおこなわれた。

 参会者はおよそ2千人。医師、看護婦、パラメディック(救急救命士)、パイロット、整備士、病院管理者、通信士、軍関係者、そして病院や航空会社の経営者たちが一堂に会し、航空機による救急医療関連の情報や知識を交換した。

 このとき私は、災害医療を専門とする大学教授の「連邦政府の防災対策」という講演を聴いた。その中で講師は「コーベ地震が起こった最初の3日間、日本政府は非常に静か(ヴェリー・クァイアト)だった。それに対してロサンゼルス・ノースリッジ地震では連邦政府が数分以内に反応した。この国でも大きな災害は起こるが、幸いなことにコーベほど多数の人を殺した(キル)ことはない。私の住んでいる町にはコーベという日本料理屋があるが、前を通るたびに日本政府ののろまな反応(ダル・レスポンス)を思い出す」といって聴衆を笑わせた。

 私は思わず首を縮め、とっさに抗議の意味をこめて部屋を出て行こうかと考えた。100人ほどの聴衆の中で日本人の私が講師の目に映っていたかどうかは分からぬが、適切な危機管理もできない日本からはこういうところに参加する資格がなかったのかもしれない。

 われわれは、これ以上世界に恥をさらしてはならない。また二度と、コーベのような醜態を繰り返してならないのは勿論、防災と救急に関する世界の先進体制から決して取り残されてはならないであろう。

(「新しい需要分野の誕生(下)」へつづく)

 

(西川渉、『航空と宇宙』<日本航空宇宙工業会会報>98年12月号掲載)

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