新しい需要分野の誕生(下)

――ヘリコプター計器飛行――

 

 

暗闇の中の救急飛行

 前号でヘリコプターによる救急業務が新しい需要を喚起することについて書いたが、今回はその続きからはじめたい。

 救急飛行は決して、なまやさしいものではない。パイロットはいつ何時とびこんでくるかもしれない緊急コールを待って常に待機をつづけ、昼夜を問わず事故現場に飛ばなくてはならない。しかも現場は、パイロットにとって初めてのところが多く、どんな障害物が周辺にひそんでいるかもしれない。まして夜間の場合は障害物の判定が難しい。

 むろん気象条件の良くないときは初めから離陸を断念する。けれども瀕死の重傷者が苦しんでいることを思えば、ときに無理をしたくなることもある。ひどい悪天候の場合はあきらめがつくが、しばらくは天気がもちそうだというようなときは判断に迷う。そして思い切って飛び出したのち、意外に早く天候が悪化したときが恐ろしい。

 天候の悪化は、必ずしも前方から雲の壁がせまってくるようにして起こるわけではない。とりわけ夜間の場合は、いつの間にか暗闇の中に包みこまれるようにして自機の周囲が何も見えなくなってしまうのだ。

 そうなるとパイロットは地上の灯火を求め、雲を抜け出ようとして高度を下げてゆく。特に事故現場に向かっていたり、病院へ戻る途中の救急ヘリコプターの場合は、どうしても高度を下げたくなる。

 しかし、これは最も危険な行為である。最近の調査によると、1987〜93年の間にアメリカで起こった救急ヘリコプターの死亡事故は、その半数が有視界飛行中の天候急変によるものであった。しかも夜間の救急出動は全出動数の37%であったのに、死亡事故の72%が夜間に起こっているのである。

 日本でも暗闇の中で灯火を探して高度を下げ、山腹にぶつかった例は少なくない。しかし、天候の急変に遭遇した場合は、一定のルールがある。それを米国では「4つのC」と呼んでいる。基本的には目的地への飛行を断念することだが、そのうえでヘリコプターを正確に操縦(control)し、安全な高度まで上昇(climb)し、障害物のない方向(course)へ旋回し、最後に無線で支援を呼ば(call)なくてはならない。

 しかし、このような4つのCを実行に移すのは、決して容易ではない。特に救急飛行の場合は、一刻も早く重症患者を救出し、病院へ送り届けなければならないから、本来の出動目的がなかなか断念できない。

天候急変に伴う死亡事故

 同じような現象は、かつてカナダの運輸安全委員会が1976〜85年の10年間に起こった国内のジェネラル・アビエーション機の事故原因を分析した結果でも示されている。この調査結果は1990年、大部の報告書となって公表されたが、その一部は表1の通りである。

 

表1 天候悪化によるカナダ国内の一般航空事故

事 故

事故件数

死亡事故

対 比

死亡者数

重症者数

全ての事故

5,994件

761件

12.7%

1,618人

1,031人

天候悪化による事故

352件

177件

50.3%

418人

115人

対 比

5.9%

23.3%

――

25.8%

10.2%

[出所]カナダ運輸省安全委員会(CTSB)、1990年11月

 

 この表によると、10年間のあいだにカナダで発生したジェネラル・アビエーションの事故は5,994件であった。これはヘリコプターばかりでなく軽飛行機を含む事故の総数で、大型旅客機など定期便の事故は含まれていない。

 このうち天候悪化に起因する事故――厳密には有視界気象状態で飛んでいて天候が悪化したことによる事故は352件、5.9%であった。一見して少ないように見えるかもしれない。

 しかし死亡事故だけを取り出して見ると、その総数が761件、うち天候悪化に起因するものが177件で23.3%を占める。同じように死亡者の人数も全体では1,618人だが、そのうち418人、25.8%が天候悪化に起因する事故の死亡者であった。

 見方を変えて、事故総数5,944件のうち死亡事故は761件で、その割合は12.7%である。ところが天候悪化による事故は352件、うち死亡事故は177件で、ほぼ半数が死者を出している。

 つまり天候悪化による事故は、いったん起こると死亡事故になりやすい。したがって死亡事故の中に占める天候悪化の事故は割合が大きい。結果としてジェネラル・アビエーションの事故による死亡者は、4人に1人が天候悪化に起因するのである。

 こうした事態を防ぐにはどうすればいいか。結論は航空機と乗員の双方が計器飛行の準備をととのえることである。アメリカの救急飛行でも、最近はパイロットの募集に際して計器飛行資格が求められるようになった。そのうえ定期運送用操縦士の資格が望ましいというところも多い。現在では、救急飛行にたずさわるパイロットのほぼ全員が計器飛行の資格を持っている。だからといって日常的に計器飛行をおこなうわけではない。万一の天候悪化にそなえるためである。

 しかし、さらに最近は病院ヘリポートにDGPSを設け、視程の悪いときは計器進入で患者搬送に当たる病院も出てきた。GPS(グローバル・ポジショニング・システム)による計器飛行は日本でも議論が多いが、アメリカでは着実に実行に移されつつある。

 たとえばテネシー州チャタヌガのエルランガー病院では、「ライフ・フォース」と呼ぶ救急ヘリコプター・チームが2機のベル412で救急患者搬送をしている。運航は1988年12月に開始、1994年7月に米国初のGPSアプローチの承認を受け、病院の屋上ヘリポートへ計器着陸が可能となった。

 これで救急患者の救命率が上がるというわけだが、GPSの設置から最初の1年半の間に救われた人の中で、もしもGPS進入ができなければ命を喪くしたと思われる人は34人であった。ちなみにライフ・フォースの2機のヘリコプターによる搬送患者数は年間およそ1,500人である。

人員輸送分野の拡大に期待

 さて、本稿はヘリコプターの需要を如何にして高めるかが主題であった。結論は、上に見てきたように安全性を高めることが重要な要件のひとつであろう。ほかにも経済性と静粛性が重要だが、ここではひとまず置いておくこととしたい。

 ヘリコプターの安全性を高めるには、機材それ自体の信頼性を高め、故障の発生を減らすと同時に、一方では飛行環境の安全性を高めるなければならない。その後者の問題が、これまで述べてきたことである。

 ヘリコプターの飛行環境は、それ自体、決して安心できるようなものではない。上に見てきた救急飛行はもとより、日本の薬剤散布や山岳地の物資輸送にしても、劣悪な条件の中で飛行しなければならない。せまい地形や障害物の多い中で、超低空飛行を強いられるのである。

 そうした悪条件を一挙に減らすことはできなくても、せめて飛行条件の良い作業分野を広げて行きたいというのが需要の拡大を求める運航者の願いである。その一つが人員輸送だが、だからといって今すぐ定期的な旅客輸送の路線開設を求めるわけではない。

 実は、これまで述べてきた救急飛行も一種の人員輸送であった。また欧米で過去何十年にわたっておこなわれ、ヘリコプター事業の基盤となってきた海洋石油開発の支援飛行も人員輸送である。前者は病院との間に、後者は石油会社との間に、ヘリコプターの固定チャーター契約を結んで四六時中待機し、交通事故が起こったり、石油プラットフォーム上での事故が起こったりしたときは直ちに飛んで、怪我人を搬送する。それ以外のときも、病院間の患者搬送や陸上基地と海上プラットフォームとの間で作業員の輸送に当たる。

 契約形態も作業内容もほぼ同様といえるであろう。日本でもテレビ取材や送電線パトロールが、同じ部類に入るかもしれない。放送局や電力会社との間に固定契約を結び、四六時中待機をしていて、事件が起こったり、落雷のために送電線が故障したようなときは、直ちにカメラマンや電気工事の技術者をのせて現場に飛ぶ。

 このような緊急飛行のほかに、送電線パトロールの場合は定期的なパトロールもおこなわれる。年に何回か時期を定めて、電力会社のパトマンをのせ、山の中を尾根伝いに走る高圧送電線に沿って飛行を繰り返すのだ。その先にあるのが、企業の定期的な社内連絡便であり、最終的には一般市民が利用できるようなエアタクシーや定期旅客便といってよいであろう。

安全確保のための計器飛行

 人員輸送には何よりも安全が大切であり、安全であれば需要も増加する。その安全を保つ手段のひとつは、計器飛行である。普通の飛行機の場合は、大型機による幹線航空はもとより、小型機によるコミューター航空でも、計器飛行はごく日常的におこなわれている。しかるにヘリコプターではなかなか実現しない。その理由のひとつは、今の空域、管制、計器飛行に関するシステムがヘリコプターの特性を生かすものになっていないためである。

 たとえば1943年に実現したILS、1949年のVOR、1950年代のATCレーダーといった技術は全て固定翼機のために開発されたものであり、今の航空交通管制は、それらを使っておこなわれている。一方、計器飛行の可能なヘリコプターが実現したのは1964年のことであった。したがって、これら固定翼機のための技術は、ヘリコプターの三次元的な垂直飛行能力や柔軟性を考慮したものではなく、同じ方式で管制をしようとすると無駄な遅れを生じたり、空域の混雑を招くことになる。

 すなわちヘリコプターに適した航空管制システムが存在しないために、現状では不必要なコストがかさみ、安全面でも問題が残ったまま。具体的には表2のとおりで、ヘリコプターにとって計器飛行は実用的ではないということになってしまった。

 そのためヘリコプターは所定の空域外を管制を受けずに飛ぼうとして、却って不安全な状態に落ちこむ結果となっている。特に気象条件の良くない中で、こうした飛行をすれば安全性は著しく損なわれるであろう。

 

 表2 ヘリコプターの飛行特性から見た今の航空交通管制の問題点

@航空管制を受けると遠回りの経路を飛ばなくてはならない

A非精密および精密進入の最低基準がヘリコプターには過大に過ぎる

BGPSによる精密進入方式がない

C代替地および目的地の気象情報が不充分

D低高度を飛行中の通信および監視機能が限定されている

E限られた空域の中でヘリコプターと飛行機の相互干渉を最小限にする飛行方式がない   

Fヘリポートやヴァーティポートの設計基準が厳し過ぎる

 しかし、こうした状況は飛行方式の変更と技術の進歩によって解消できるはずだ。とくに迅速で安価で信頼できるGPSを利用すれば、ヘリコプターにも適した航法、管制、進入などの計器飛行システムが実現できるはず。というので、アメリカでは空域を再編成し、その中でヘリコプターの領域も確保しようという考えが出てきた。

 低高度の航空路を設定するという方策はそのひとつである。固定翼機との接触を避けるために、飛行機の飛ばない低空域を利用して、そこにヘリコプター用の計器飛行ルートをつくるというのである。これにはGPSのほかに、データリンクで地上との間を結んで、レーダーではできなかった低空の飛行監視と管制をおこなう。

 そのための実験は、1996年のアトランタ・オリンピックでFAAと学界と業界の共同作業によっておこなわれた。約50機のヘリコプターが参加して、17日間に1,500時間を飛び、実用性の高いことを実証したのである。

FAAへの提言と回答

 こうした背景のもと、国際ヘリコプター協会(HAI)とアメリカン・ヘリコプター協会(AHS)の代表がFAAのジェーン・ガ−ベイ長官と会談し、提言を申し入れたのは1998年7月のことであった。

 提言の内容は、FAA、NASA、国防省および民間ヘリコプター業界から成るプロジェクト・チームをつくり、ヘリコプターとティルトローター機を含むロータークラフトが安全かつ効率的に飛行できるような空中および地上のインフラ整備を推進する。そしてロータークラフトと固定翼機が共存しつつ、ロータークラフトの飛行能力を最大限に生かせるような航空交通管制システムを確立するというのが、最終目標になっている。

 この目標が実現すれば、ヘリコプターの安全性が増すばかりでなく、運航効率が高くなると同時に、限られた空域の中で固定翼機との相互干渉が最小限に抑えられる。のみならずヘリコプターやティルトローター機が近距離の定期運航に使われ、大型ジェット旅客機の補足手段となって空港混雑の解消にも役立ち、航空輸送システムのいっそうの安全性と効率化をもたらす、というのが民間ヘリコプター業界の提言であった。

 それに対して、FAAは『垂直飛行5か年計画』を用意し、表3のような7項目の方策を実行する考えを示した。その要点は、ヘリコプターおよびティルトローター機による垂直飛行を眞正面からとらえ、その運航を航空システムの中の重要な要素として認識し、本格的に取り組んでいくという基本姿勢を示したものである。これでロータークラフトの安全性が増し、用途が広がり、需要が増加していくことは間違いない。

 

 表3 FAA『垂直飛行5か年計画』(1998年7月)

@米国の空域システムにおける垂直飛行の基本概念を明確にする

A衛星航法要領を反映させるために、ヘリコプターの飛行方式を見直す

B搭載用のアビオニクスの基準を明確にする

Cターミナル空域とエンルートにおける垂直飛行要領を明確にする

D搭載用アビオニクスの評価試験をおこない、運用手順を明確にする

Eヘリポートの設置要件を明確にする

F垂直飛行プロジェクトを支援する

 繰り返しになるが、ヘリコプターの需要分野の中で、これから新世紀に向かって拡大が期待されるのは、救急飛行から定期旅客便までを含む幅広い人員輸送の分野であろう。しかし、そのためには何よりも安全性の確保が重要である。その手段のひとつが、ここに述べてきた計器飛行にほかならない。

 折から新しい衛星航法技術(GPS)が開発され、実用段階に至った。しかも幸いなことに、その使用機器は小さくて、軽くて、安いという特徴を持っているからヘリコプターには最適である。わが運輸省も1年前、平成10年1月1日からGPSを補助的に計器飛行に使用することを承認した。次は米国同様、この測位技術にもとづく管制技術も実施に移されるであろう。さらに固定翼機とは異なるロータークラフト専用の管制航法システムと計器飛行システムが実現し、ヘリコプターの安全性が確保されることとなろう。

 ヘリコプターの新しい需要は、そこから大きく広がるに違いない。

(西川渉、『航空と宇宙』<日本航空宇宙工業会会報>99年1月号掲載)

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