飛ぶのが怖いか

――走るのはもっと怖い――

 

 1999年11月2日付けの『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙は「飛行の恐怖」と題して次のように書いている。

 

 航空事故は確かに悲劇である。しかし、飛行機を頻繁に利用する人は、事故が滅多に起こらないことを知っている。統計的には飛行機よりも、自動車で死ぬ人の方が毎年はるかに多い。

 だが、いったん航空事故が起こると、メディアはスケープゴートを探しはじめる。事故を起こしたのは誰か――事故の多い札付きのエアラインか、コミューター航空会社か、ディスカウント航空会社か、と。

 そこで、MITのアーノルド・ベネット教授によれば、1970年代初めからの事故を統計的に見てゆくと、航空会社の種類によって、事故の発生率に違いはない。コミューター航空の事故率も、アラスカのブッシュ飛行やエアタクシーを除けば、大手エアラインと変わらない。

 ディスカウント航空会社も、1978年の規制緩和いらい何十社も続々と誕生したが、1996年にバリュウジェットの事故が起こるまでの18年間、死亡事故は1件もなかった。

 こまかい分析をしてみると、航空運賃が下がったために、自動車を運転して行くよりも、飛行機で行こうと考える人が増えた。そのために助かった人命は年間190〜275人に上る。

 以上はアメリカの状況だが、日本でも余り変わらないであろう。したがって飛行機は安全という結論になるのだろうが、ここで言いたいのは、だから自動車は危険ということである。

 しかし、交通事故が余りに日常茶飯事になってしまって、誰も問題にしなくなった。したがって路上の死者は長年にわたって毎年1万人のままである。それを本気になって減らそうとしない。本腰をあげて立ち上がる人がいないのである。

 高速道路は自動車を走らせるためのものものであって、停めるためのものではない。だから事故が起こっても簡単に規制するわけにはいかないという議論があるが、とても人間の心をもった議論とは思えない。次善の策として、上空でホバリングしているヘリコプターからラペリングで医師を吊り降ろせばいいという人もいるが、却って危険である。

 人が生死の境にいるときに何故まっすぐ救けに行こうとしないのか。わが身に置き換えてみればすぐ分かることで、人命救助に理屈は要らない。目の前で人がおぼれていれば着の身着のままで飛び込むのが人情というもの。もっとすなおに理屈抜きに実行に移すべきである。

 ドイツの実例は、1970年にヘリコプター救急が始まって20年ほどの間に、アウトバーンの死者は3分の1に減った。いや、ウソではありません。

(西川渉、2000.4.27) 

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