ヘリコプター初物語

 〜First Attempts(3)〜

 

 

史上初のシングルローター形式

 オランダの技師、A.G.フォン・バウムハウエルは主ローターから発生するトルクを打ち消すために、機体後方で垂直に回転する尾部ローターを取りつけた。この構造は今日、最も普通に見られるものだが、1930年につくられた同機は史上初のシングル・ローター・ヘリコプターであった。エンジンは200hp。初飛行で2mほど飛び上がり、ホバリングをしながら、ほぼ完全に方向安定を保つことができたが、その直後に墜落して壊れてしまった。

 もっともシングル・ローター機の特許は、これより先、アメリカ人のエミール・ベルライナーが1918年に取っている。バウムハウエル機と同じ年、1930年10月8日、イタリア人コリジョン、ダスカニオのヘリコプターが3種類の世界記録をつくった。高度18m、距離1,078m、滞空時間8分40秒というものである。このヘリコプターは2枚ブレードのローターが上下につく同軸反転式であったが、ブレードのフェザリングができるようになっていた。 

初めてのタンデム・ローター形式

 ベルギーでは、やはり1930年からニコラス・フローラインがヘリコプターの研究を開始した。それは胴体の前後にローターをつけた史上初のタンデム・ローター機である。ただし今のタンデム機と違うのは、二つのローターの回転方向が同じ向きで、回転軸をわずかに傾けることによってトルクを打ち消すようになっていた。初飛行は1933年4月。同年末ごろには高度6.7mまで上昇し、そこに8分間とどまっていた。

再びルイ・レゲー

 ヘリコプターの初飛行から20年余り、ルイ・ブレゲーが再び登場する。「ジャイロプレーン」と呼ぶ同軸反転式の小型機が初めて飛んだのは、1935年6月26日。そして12月22日には107km/hという公式速度記録をつくった。また1936年9月26日に高度157m、11月24日に周回コースでの飛行距離44mの記録を出した。

 これらの成功に気を良くして、ブレゲーは当時、巨大な旅客用ヘリコプターの建造を提案した。それで大西洋を渡ろうという大胆な発想であった。。(つづく

(西川渉、『航空ジャーナル』別冊「ヘリコプターの世界」掲載、1986年2月刊)

 

【追記】

 ニコラス・フロラインはロシア生まれの技師でベルギーに移住、ベルギー国立航空技術研究所で1927年以来研究をつづけ、まず理論的な考えを進めたのち、模型による風洞試験などを経て、史上初めてのタンデム・ローター・ヘリコプターを試作した。

 これは4枚ブレードのローター2つを、金属管でつくった胴体の前後に取りつけたもの。エンジンはヒスパノ・シーザ180馬力が1基。同機は、しかし、長い間トラブルつづきでうまく飛べず、とうとう地上テスト中に壊れてしまった。

 しかし再び、国の研究資金を得て2号機をつくった。総重量は1号機よりも軽くて950kg、エンジンはルナール200馬力と出力を増した。4枚ブレードのローターは直径が7.2m。回転方向は同じだが、回転軸を傾けて、トルクを打ち消すようにした。安定と操縦はブレードのピッチ角の変更によっておこなった。


(史上初のタンデム・ローター機)

 

 このヘリコプターは1933年4月に飛びはじめ、同年10月25日5〜6mまで上昇し、空中に8分40秒間とどまった。文献によっては9分58秒の滞空時間で、非公式の世界記録ともいう。また10分弱と書いたものもある。しかし、その後も作業はなかなか進展せず、1934年には3号機をつくって高度17.4mで、距離1,083mを飛んだが、研究開発はそこまでで終わったらしい。(99.9.15)

 

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