<救急飛行>

『フライトナース安全の指針』を読む

その1

 アメリカの搬送看護師協会(ASTNA: Air & Surface Transport Nurses Association)は2006年8月、『フライトナース安全の指針』(Transport Nurse Safety in the Transport Environment)と題する40頁ほどの冊子(Position Paper)を公刊した。航空機または救急車で患者搬送にあたるナースの安全上の注意点について基本的な指針を示したものである。

 全体の構成は、患者搬送に当たるナースの安全に関する課題12項目を取り上げ、それぞれの問題点と対処の方法を示している。これを日本のヘリコプター救急の安全という観点から見るならば、ドクターヘリに従事する看護師ばかりでなく、救急救命士はもとより、医師その他の関係者にも大いに参考になるはずで、ここにその要点を読んでゆきたい。

 本書の第1頁は、2005年9月29日ワシントン州の救急ヘリコプターの事故で殉職したフライトナース、エリン・リード看護師への追悼と遺族への感謝の言葉である。これで本書を開く人の誰もが、特にフライトナースの場合は身につまされるはずで、残りの頁を読みとばすわけにはいかなくなるであろう。

 実は、この事故は、筆者が昨秋訪問したシアトルのエアリフト・ノースウェスト社で、その1年前に起こったものである。事故機はアグスタA109マークU双発ヘリコプター。パイロットと2人のフライトナースが乗っていて、3人とも死亡した。市内のハーバービュウ病院へ患者を送り届けたのち、夜の9時4分に屋上ヘリポートを離陸、本拠地のアーリントン空港へ戻る途中だった。飛行経路は北へ向かって70キロ余りを海岸沿いに飛ぶことになる。

 その飛行中、エアリフトの運航管理者は9時14分にヘリコプターと無線交信をした。そして10分後、再び無線で呼びかけたが、もはや応答はなかった。同じ頃、ヘリコプターが飛んでいたと思われる地域の住民から911番に電話が入る。「ヘリコプターの飛ぶ音が聞こえた。何かヘンな音だと思ったら、大きな爆発音に変わった」という緊急通報であった。

 付近の天候は霧がかかり、時折り強い突風も吹いていた。4時間後、沿岸警備隊の巡視艇が海岸から1キロほど離れた海上でヘリコプターの残骸を見つける。しかし、そのときから1年が経過した昨年秋、同社を訪ねた時点ではまだ事故原因がはっきりせず、米運輸安全委員会(NTSB)の調査がつづいていた。

 搬送ナース協会(ASTNA)の安全指針の冒頭に、なぜリード看護師への追悼が掲げられているのか。詳しいことは何も書いてないが、おそらくは遺族がASTNAへ寄付金を贈り、それがこの文書作成費の一部になったからではないかなどと想像する。ただリード看護師は、フライトナースの仕事に非常に熱心で、誰が見ても意欲に満ちた人だったらしい。仕事の上で最も満足を感じるのはどんなことかと訊かれて、「瀕死の患者さんと一緒に病院へ到着したとき、患者さんの存命を確認して、自分が少しでも役に立っていることを感じること」だったという答えが印象的である。

安全の課題12項目

 さて、この冊子「フライトナース安全の指針」は、ナースにとって航空医療は近年きわめて重要な仕事になってきたとしている。しかるに、この仕事は上述のような危険を伴う。そこでフライトナースは次のような心構えをもって仕事をするよう求められている。

「クルー・メンバーの行為は他のメンバーの安全に影響し、飛行そのものにも影響する。各メンバーは自らの安全に注意すると同時に他のメンバーの安全と飛行の安全にも気をつけなければならない」

 そのことを前提として、次のような12項目の課題を取り上げる。

 これらの項目をひとつずつ読みながら、要点をご紹介してゆきたい。

十分な休息

 アメリカのヘリコプター救急は通常、24時間対応である。したがって深夜勤務も多く、生活の質が損なわれるばかりでなく、身体的、精神的疲労が重なって安全上も悪い影響が出る。こうしたシフト勤務の問題には完全な解決策はないが、勤務時間帯をできるだけずらしてゆくことが望ましい。

 たとえば8時間交替ならば、昼間勤務の次は夕方勤務、その次は深夜勤務とする。また12時間勤務ならば昼間勤務と夜間勤務を交互におこなう。NASAの研究でも、十分な休息を取ることと仕事の能力との間には明確な関係のあることが分かっている。具体的には、休息が不十分になると、注意力が散漫で機敏な動作ができなくなり、判断力も低下する。そのため米連邦航空規則(FAR: Federal Aviation Regulation)は、パイロットに関して就業時間の上限を定めると共に、24時間ごとに少なくとも10時間の休息をとるよう定めている。

 しかし医療クルーはFARの対象外なので、飛行の安全に関係するといいながら、実際は24時間の連続勤務すら行なうことがある。仕事の合間に多少の休息をするにしても、決して十分ではない。ところが疲労は、なかなか自覚しにくいもので、大抵の場合は何か大きな失敗をして初めて気がつくことが多い。

 このような問題に対して、ASTNAは次のような指針を示す。

クルー間の協調を促すAMRM

 フライトナースは、飛行の安全に重要かつ積極的な役割を有する。飛行の安全が運航クルーだけのものではないという考え方から、近年は運航クルーと医療クルーとの協調態勢が重視されるようになり、これまで航空界で行なわれてきたCRM(Crew Resource Management)が航空医療にも採り入れられるようになった。これを AMRM(Air Medical Resource Management)と呼ぶ。

 救急飛行は、さまざまな分野の関係者全員が同じ考えのもとに同じ業務を一体となって遂行しなければならない。そのためには就業前のブリーフィング、出動前のブリーフィング、帰投後のデブリーフィング、飛行前の機体点検、出動前のチェックリストによる点検などが必要になる。

 就業前ブリーフィングは、これから始まる仕事中に予想される気象条件、航空局から発せられるNOTAM(航空情報)、機体の整備予定、担当地域の道路の閉鎖や渋滞などの状況を全員に知らせるものである。出動前ブリーフィングはこれから飛ぼうとする任務の内容や飛行経路、予定時間、気象状況、目標地点、着陸場所、患者容態などを相互に知らせ合う。

 飛行前点検はパイロットの責務である。しかし医療クルーも医療器具の電源や固定状態などを点検する。帰投後のデブリーフィングは、主に記録の記入だが、安全に関係すると思われる問題についてはクルー間で話し合い、運航会社内および病院に報告する。こうしたことがその後の安全性を高めることになる。最終的には航空局その他の関係機関へも通報することになるかもしれない。

 以上のようなことからASTNA協会からフライトナースへの安全勧告は次の通りである。

ローター回転中の患者の乗降

 ヘリコプターのローターが回転したまま患者を乗せることを「ホット・ローディング」(Hot loading)といい、降ろすことを「ホット・アンローディング」(Hot unloading)という。このようなローター回転中のストレッチャー積み降し作業は、万一の場合を考えると望ましくない。機体の周囲を動き回る関係者が、主ローターや尾部ローターに触れて大けがをしないとも限らないからである。

 加えて、ローターやエンジンが回っているときは騒音が激しいので、機体の周りでストレッチャーの上げ下ろしをしているスタッフの間で声が通らず、意思の疎通がむずかしい。さらにローターの吹き下ろし気流(ダウンオォッシュ)が患者にあたって、症状を悪化させる結果にもなる。

 一方で、時間的にはホット・ローディングの方が迅速に離陸できるかもしれない。したがってホット・ローディングの是非は、患者の容態と時間との関係をどう判断するかによる。

 ヘリコプターの再始動に要する時間は、機種によって異なるが、30秒ないし2分程度である。ホット・ローディングを行なうに当たってはこの時間差と危険との度合いを考え合わせ、慎重に判断しなければならない。

 以上により、ASTNAは次のように勧告している。

(西川 渉、『ヘリコプタージャパン』2007年1月号掲載、2004.4.10)