ザ・フライング・ホスピタル

――人道的理想の実現――

 

 去る6月のパリ航空ショーに特異な航空機が展示された。外見は何でもないロッキード・トライスターだが、胴体に大きく「ザ・フライング・ホスピタル」の文字が読める。そしてタラップの下には内部を見ようとする人びとの長蛇の列。これこそは世界の医療困窮地域に奉仕するための病院機であった。

 

最新設備をもつ移動病院

 フライング・ホスピタルはタラップの下から見上げるとさすがに大きい。全長53.95m、主翼スパン47.24m。ついでに、ここで再確認をしておくと、巡航速度はマッハ0.84で890km/hに相当し、航続距離6,300km、航続時間8時間、巡航高度は10,500mである。かつては日本のエアラインでも多数が飛んでいたから、われわれにもお馴染みの機体である。

 まずは内部を見てみよう。最前方の入口からキャビンに入ると、座席がずらりと並んでいる。正面にはテレビ・スクリーンもあって、普通の旅客機と変わりがない。座席はビジネス・クラス用の大きなもので、これが67席。空飛ぶ病院機として世界各地へ移動するときの医療スタッフのすわる場所である。

 地上では患者や付き添い人の待合い室としても使われる。また後方の手術室との間にはテレビ・システムがつながっているから、訪問先の医師や医学生の教室として手術のもようを前方のスクリーンに映し出し、映像を見ながら説明を聞くこともできる。

 ここを通り抜けて後方へ入ってゆくと、歯科医院で見るような椅子が2つ窓際に並んでいる。ここで歯の治療はもとより、眼科や耳鼻咽喉科の治療もできる。白内障の手術、眼球手術、角膜移植、鼓膜治療、悪性腫瘍の切除、下顎骨治療などである。

 その向かい側にあるのは、多数の引き出しから成るロッカールーム。医療器具や医薬品が収納してあり、引き出しは色分けされていて、収納物品がどの部屋で使う器具か一目で分かるようになっている。

 この治療室からさらに奥へ進むと、機体中央部のナース・ステーションをはさんで、左右に診察室がある。右舷の大きい方の診察室は各種の特殊な診察や検査をおこなうと共に、簡単な部分麻酔による手術などもできる。また左舷の診察室は、緊急状態でやってきた患者の症状を診断するトリアージや小児科の診療と簡単な手術のために使われる。

 ナース・ステーションは、後方の準備快復室が一目で見わたせる位置にあって、患者全員の容態について監視の目がゆき届くようになっている。ナース・ステーションの上の方には計器パネルがあり、電力、医療用ガス(酸素、エア、酸化窒素)、真空システムなどの状態が監視できる。

 準備快復室は比較的大きな部屋で、手術を待つ患者や、手術が終わった患者が麻酔からさめて正常な状態になるまで休息する。一時に12人の患者が横になれるベッドが設けてある。

 

階下デッキの小ドアから乗降

 本機の誇る手術室は、機体後方4分の1くらいの広さを取り、3台の手術台が置かれている。その周囲には最新の医療機器が取りつけられ、それぞれが異なった装備になっていて、手術の内容に応じた台を使うことができる。

 ただしパリでは見学者を中へ入れるため、医療器具の多くが取り外され、一時的にルブールジェ空港の倉庫にしまってあった。したがって機内はガランとしているように見えたが、本来ならばさまざまな治療器具がところせましと置いてあって、その間で医師や看護婦が立ち働いているのであろう。

 手術台のわきには照明装置のほか、医療用ガスの出口が引いてあり、ここから酸素、酸化窒素、エア、真空、電気を取り出すことができる。ほかにも必要な器具を別の場所からもってくることができる。

 手術室の左舷外側は窓沿いの通路になっている。したがって医療スタッフは、機体前方の診察室やナース・ステーションと後方消毒室やトイレとの間を、手術室を通らずに行き来することができる。

 この通路を抜けた最後部には消毒室がある。医療器具類はここで超音波消毒をおこない、低温の消毒液の中に浸す。また包装して高圧スチーム消毒装置の中に入れる。消毒室の背後は手洗いになっている。

 フライング・ホスピタルの設備は、これだけにとどまらない。航空ショーで、私は普通の旅客機と同じ最前部左舷の入口から入ったが、小さな飛行場には、こんな大きなタラップはない。そこで本機は階下の貨物室に当たる部分に部屋があり、そこから外へ向かってタラップつきのドアが開くようになっている。診療を受けようとする患者は、まずここから入ってくるのである。

 地上設備のないところで巨大な航空機から乗降するには、このように胴体の低い位置にタラップ兼用のドアがついていなければならない。ところが、そんなうまい条件に合う機体は少なく、この出入口のついたトライスターも生産250機のうち4機しか製造されず、今も飛行できるのは2機だけである。そのうちの1機はニューヨークの不動産王といわれたドナルド・トランプが持っていて、別の1機が入手できたのである。

 この入口から機内に入った患者は受付で名前や症状を登録する。治療を終わった患者もここで今後の指示を受ける。受付の隣には薬局があって、ここで薬を受け取る。

 受付の奥は厨房になっている。医療スタッフの昼食はここで調理し、メインデッキ前方の座席で食べる。飛行中の食事もここで調理される。

 階下デッキ後方には電源室がある。医療用の電気システムに必要な電源は地上電源(GAPU)とディーゼル発電機から供給される。その横には浄水装置(図中N)があって、外部の水源から引いてきた水を浄化する。浄化の手段はミクロン・フィルターとブロマイン(臭素)カートリッジである。  

 最後はシステム室である。ここにある酸素発生システムは毎分70リットルの90%酸素をつくることができる。酸化窒素は容積50,000リットルの高圧ボンベ6本から取り出す。医療用の空気システムは、8個の空気圧縮機と容積120ガロンのアキュムレーター(蓄積容器)によって、50psiの圧縮率で毎分120リッターずつ供給することができる。医療用バキューム・システムは2つのバキューム・ポンプを使って水銀柱300mmの真空状態を作り出す。

 

僻地へ病院をもってゆく 

 このようなフライング・ホスピタルは、誰が何のために飛ばしているのだろうか。所有者は、アメリカのオペレーション・ブレッシング・インターナショナル(OBI)と呼ばれる宗教団体である。1978年に設立されたOBIの目的は、生活の苦しい身体障害者に対し、クリスチャン放送網(CBN)のテレビ番組を通じて視聴者から寄贈された衣服、医療器具、車などを提供しようというものであった。

 1986年には、さらに本格的な救援活動をするために非営利団体を設立、国際的な活動に取り組むようになった。これにより多数の発展途上国の飢餓救済と疾病医療のために医療チームを派遣するようになった。

 しかし、それらの国へ派遣されたボランティアの医師たちは、しばしば挫折感を抱いて戻ってきた。というのは、そういう国では設備が乏しく、清浄な水がないために簡単な手術さえもできないことが多かったからである。たとえば口蓋破裂、白内障、緑内障、彎曲足といった病気は、手のほどこせないまま放置せざるを得なかった。

 こうして徐々に、医療チームの派遣だけでは不充分であることがはっきりしてきた。医師と医療器具だけではなく、途上国へは病院そのものをもってゆく必要があるという考えが強くなってきたのである。

 病院のような施設をどうすれば遠い僻地へもってゆくことができるか。OBIの創設者パット・ロバートソン師があれこれと考えていたとき、大型航空機に病院設備を搭載してはどうかという示唆を出したのは、米エバグリーン・インターナショナル航空のデル・スミス会長であった。以来ロバートソン師は多くの人と話し合い、途上国の医療施設の不備を補うには、大型の飛行機しかないという結論に達した。

 そこで、目的に適う飛行機を探すことになり、いくつかの候補機の中から、元パシフィック・サウスウェスト航空の所有機で飛行時間の比較的少ないロッキード・トライスターが選定された。この機体は製造番号1064のL-1011-50である。1970年代初めに製造され、エアライン3社で定期旅客輸送に使われたのち、アリゾナ州キングマンで防錆処理をほどこされて格納されていた。

 それがOBIの眼にとまったのである。その時点での累計飛行時間は22,000時間、飛行回数は8,000回でしかなかった。旅客機としては異例に少ない飛行実績で、この機体を見つけるまでに探した旅客機は、平均63,000時間、43,000回の飛行をしていた。

 中古機としての買い入れ価格は400万ドル。OBIは、その改造をロッキード・マーチン社へ1,450万ドルで依頼し、医療設備の内装をエア・メソッド社へ委託した。

 

機体側面には貨物ホイスト

 旅客機から病院機への改造はロッキード・マーチン社のツーソンにある機体改修整備工場で、FARパート25(輸送用飛行機)の基準にしたがっておこなわれた。それに平行して、医療設備の内装を担当したのはデンバーに本社を置くエア・メソッド社。機内の床面積は220uで、この中に全ての必要条件を詰めこまなければならなかった。しかも床面は常に容易に清潔にできること。また医薬品や医療機器の貯蔵スペースが充分で、人の移動が円滑にできなければならない。

 医療設備も単に普通の病院に据えつけるようなわけにはいかなかった。飛行機の耐空性と安全性を損なわないために、たとえば機内の隔壁はFAAの内装基準にしたがわねばならず、医療器具も飛行中の荷重に耐えられるよう、メーカーに依頼して強度を増すように作り直してもらったものもあった。

 こうして1996年3月、地上作業が終了し、同月末から試験飛行に入った。それから一連の評価試験をしたのち、FAAの補足型式証明(STC)が交付され、1年半をかけたフライング・ホスピタルが完成した。完成までの費用は、機体の購入費を含めて総額2,500万ドル。そのすべてが寄付金でまかなわれたのである。

 最初のミッションは同年6月、エルサルバドルにおける10日間の診療であった。こんなとき、現地にはあらかじめ何人かのスタッフが飛んで、フライング・ホスピタルを受け入れる準備をととのえる。現地政府や病院との調整連絡に当り、協力を依頼するのである。

 やがて、僻地の飛行場に巨大な航空機が飛来する。空港施設が何にもないようなところでも、機体側面に貨物ホイストがついていて、これで先ず床下貨物室に積んできたコンテナ8個を吊り降ろし、その中のディーゼル発電機、エア・コンプレッサー、地上電源などを取り出して作動させる。地上電源は本機が病院活動をしている間中まわりつづける。

 つづいて手術室の空調設備と酸素供給設備に電源を入れ、試運転をする。コンピューター制御の空調設備は別のコンテナに入っていて、それで50,000リッターの亜酸化窒素などを制御する。さらに浄水装置を作動させ、機内の150ガロン・タンクに水を満たす。

 

無償のボランティア活動

 こうして準備がととのい、医療スタッフがそろったところで、機体の側面下方についたドアを開き、病院として開院する。この状態になるまでの所要時間は、着陸してから約4時間である。

 待ちかねた多数の患者がタラップを上ってくる。小さなドアから機内に入った患者は先ず受付で名前と症状を登録する。それから階段を上がってメインデッキの診察室に行き、病状に応じた治療を受ける。開院の時間は原則として1日10時間。手術は1日最大30人まで可能である。

 治療や手術の内容は、内科、外科、整形外科、眼科、耳鼻咽喉科、小児科、産科、泌尿器科などで、外傷治療、整形手術、開腹手術、白内障および緑内障治療、口腔および上顎顔面手術、耳鼻咽喉のプラスティック手術などをおこなう。

 このための医療スタッフは、エルサルバドルへの飛行の場合、米国内26州から参加したボランティアの医師や看護婦、それに現地の医師や看護婦50人も協力して、総数12,000人の患者を治療した。日頃はほとんど医療の恩恵を受けられない人びとである。

 しかもフライング・ホスピタルがアメリカへ去ったのちも、何人かが残って手術後の看護や現地の医療スタッフの教育に当たった。

 その後8月に入ると、フライング・ホスピタルはパナマへ飛んだ。9月にはウクライナのキエフ郊外の空港で、およそ7,000人の人びとが無料の治療を受けた。このとき参加した医療チームは医師、看護婦、その他のスタッフを合わせて総勢150人。アメリカ人のほかカナダ人、エルサルバドル人、アルゼンチン人、ノルウェー人などが含まれていた。加えてウクライナ医学界から244人が参加し、3週間にわたって孤児を初め、第2次大戦とアフガン戦争からの復員軍人、チェルノブイル原発事故の犠牲者などの診療に当たった。

 そのうえウクライナの医師、看護婦、麻酔技師、医療技士、医学生などのためにさまざまな医学セミナーが機内で開かれた。

 1997年に入ると、フライング・ホスピタルは、先ずフィリピンへ飛び、さらに中国、インド、インドネシア、ブラジル、イスラエル、ベニン(西アフリカ)、カザフスタン(中央アジア)への診療飛行をおこなった。このカザフスタンへの途中で立ち寄ったのがパリ航空ショーであった。

 カザフスタンへ行くのは同国大統領の要請によるもので、そのための費用は矢張りクリスチャン放送網を中心とする宗教団体が負担し、カザフスタン厚生省が協力することになっていた。カザフスタンにおける医療の内容は、航空ショーの時点で小児科と老人病に関するものが多いと見られ、歯の治療も多くなると予想されていた。

 フライング・ホスピタルがこのような病院業務をおこなうためには、およそ60万ドルの医療費と、飛行1時間あたり推定3,800ドルの運航費がかかる。

 

大災害の現場へも急行

 フライング・ホスピタルの航空機としての運航と整備に当たっているのはバージニア州ノーフォークに本拠を置くインターナショナル・ジェット・チャーター社である。OBIからの委託によるもので、通常はパイロット2人、フライト・エンジニア1人、それに何人かの客室乗務員が搭乗する。客室乗務員は看護訓練も受けていて、本機が病院として活動するときは医療チームに加わる。

 フライング・ホスピタルの行く先はあらかじめ計画されたところへ飛ぶばかりではない。地震、洪水、台風、火災などの大災害が発生したときも、トライスターの巨体に20万人分の医薬品を積んで急行し、感染症の流行防止に当たる。また食料品を積んで行って災害地の飢餓を救うこともあり、内乱が起こった国へも飛んで、難民の援助にあたったりする。

 かくてフライング・ホスピタルは医療施設の不十分な国々に希望を与える世界最大の空飛ぶ病院である。それも最新の設備をそなえた移動病院である。それが世界中のどこへでも飛んで、先進的な医療設備を貧困の僻地に再現するのである。

 しかも全てが無償のボランティア活動である。これにより医療施設のない僻地の人びとはもとより、治療費が払えなくて医者にかかれなかった人も診療を受けることができる。

 加えて、フライング・ホスピタルは医学教室にもなる。行く先々で現地の医学関係者を招き、協力して治療に当たって貰いながら新しい医療技術を伝え、機内前方の教室でテレビ・システムを通して手術の状態を見せ、説明しながら教えてゆく。

 こうして伝えられた治療技術は、本機が現地を離れたのちも、現地の医師に受け継がれるので、患者は本機で受けた治療と同じレベルの治療を受けることができる。

 この種の病院機は、宗教的な慈善事業としておこなうかどうかは別として、今後もっと多くが必要なはずである。たとえば世界保険機構、国際赤十字、国連、その他の各国政府機関がこの飛行機を見れば、同じようなものが自分たちにも必要であることに気付くはずである。

 また石油開発会社や建設会社が多数の作業員を僻地に送り込むようなときも、こうした機材が必要になろう。フライング・ホスピタルが1機だけの特殊な航空機である時代が早く過ぎ去って、同じような病院機が世界各地を飛び回る日がこなくてはならない。

 1996年5月21日、ワシントンのダレス国際空港でおこなわれたフライング・ホスピタル完成直後の披露会場で、元大統領のジョージ・ブッシュ氏は「これはアメリカの良心を象徴するものだ。人道上これほど価値のある仕事は考えられない」という祝辞を述べた。アメリカの良心が早く人類の良心にまで広がることを念願したい。

(西川渉、『航空情報』97年11月号掲載)

【参考】

 3段階遅れの救急システム

 

(目次へ戻る)