航空の現代電脳篇 → ホームページ作法(12)

永遠に生かす

 わが敬愛するヤコブ・ニールセン氏が、再び三度び力強い激励をウェブ・サイトに掲載してくれた。「ウェブ・ページは永遠に生きなければならない」というもので、何故サイトやページの削除がいけないのか、次のような4つの理由を挙げている。

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ほかのサイトからリンクがつながっているかもしれない。そこを通じてアクセスしてきた人を裏切ることになる。

A

誰かがブックマークに登録していて、直接アクセスしてくるかもしれない。そう人をも裏切ることになる。

B

検索エンジンは更新に時間がかかる。したがってまたもや、そこを通じてアクセスしてきた人を裏切ることになる。

C

古い頁はサイトの価値を高める。読者の中には古い頁から価値を見出す人もいる。そういう人の役にも立たねばならない。

 

 最初の3点の理由は確かにその通りで、人を裏切るのは良くない。それは当然のことだが、私の気に入ったのは第4の理由であった。ニールセン氏によれば、ウェブマスターの中には何年も前に消えてしまったサイトを求めてアクセスしてくる人を見かけることもあるという。古いからといって価値がなくなったわけではないのだ、と。

「もとより古い頁よりも新しい頁の方が価値があるかもしれない」。しかし、たとえば毎週1頁ずつ更新をしていくサイトがあった場合、1年後のサイトの構成は古い頁が51頁、新しい頁が1頁になる。そして新しい頁が古い頁の10倍の価値があるとすれば、そのサイトの価値は84%が古い頁から生じるという計算になる。

 事実、ニールセン氏が1996年に書いた「ウェブ・デザインに関する10の誤り」という頁には、同年5万回のアクセスがあったが、翌97年には7万回、98年には予想で15万回のアクセスがあるだろうという。この人気頁はたしかに有益で、私自身も実はこれを読んでニールセン氏のファンになったのである。いまや一種の古典的な頁ということもできよう。

 

 では読者にとって、古い頁はどんな利点があるのか。次のようなことが考えられる、とニールセン氏はいう。

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良く書かれたエッセイは、古くても新しくても本質的に面白くて、読む価値がある。

A

最近の出来事から昔のことを思い出し、それについて書かれたことを読み返したくなる。

B

歴史的な価値を持っている。

C

古い頁は、そのサイトの背景説明になる。

 

 そこで本頁「航空の現代」に話を移すと、このサイトは96年11月3日(文化の日)に開設した。今年11月初めまでの2年間に、掲載文はほぼ200篇になった。これではちょっと多すぎるかもしれない。これ以上追加するときは古い頁を削除していこうか、などとこの間から考えていたところだった。そんなときに、このニールセン氏の激励文(とも思えるもの)にぶつかったのである。

 読者にとって本頁の古い作文は大して価値がないかもしれないし、今となっては私の恥をさらすだけのものであろう。ニールセン氏の読者への利点に照しても当てはまるものはありそうもない。強いていえば、私のホームページ作法の多少の変化を示す「背景説明」くらいになる程度だろう。

 それにインターネットは玉石混淆。屑情報の山という批判も多い。またプロバイダーから割り当てられた5メガというサイト容量もオーバーして、今年春から毎月超過料金を払わなければならなくなった。

 けれども、まあ全てを承知したうえで、もうしばらく作文数を増やし続けていこうかと、ニールセン氏の激励を受けて開き直ったところである。

 

 とはいえ、ただ無闇に頁数を増やしていくだけでは、大した意味がない。ひとつは新しい頁をつくったときに、古い頁の中に関連するものがあれば、リンクを張っておいて、読者の参照しやすい構成にする必要があろう。

 航空関連のいくつもの報告を相互に結び合わせて行けば、本頁の中だけで立体的な報告書ができ上がるかもしれない。

 また古い頁について、いつ書いたものかはっきりしなくてはならない。幸い本頁では初期の頃から各頁の末尾に日付、もしくは新聞や雑誌の掲載日(または月)を入れてきた。これで私のレポートがいつ頃の出来事を報告したものか分かるはずである。

 余談ながら、あちこちのウェブサイトを見ていて、その記事がいつ書かれたものか分からぬことが多い。表紙には最終更新日いつ何時と書いてあるのだが、内部の頁には日付がない。まさか全頁がすべて同じ日に書かれたわけではあるまい。

 欧米の航空関連のニュースを扱った記事でも日付のないものがある。今年初めの出来事がまるで今日か昨日のことのように表示されていたりする。表紙の最終更新日だけを見て内部に入ってゆくと、そういうふうに錯覚するのである。

 また記事の中に、たとえば9月5日と書いてあるのはいいとしても、それが今年の9月か昨年の9月か分からぬものがある。ニュースの内容から見ると昨年のはずだが、果たしてどうだったか迷うことも多い。

 あるいは航空機の性能仕様を書いた頁で、日付がないと今日現在のデータかと思ってしまう。ところが実際は、最近改良されて航続距離が伸びたといった航空機もある。

 インターネットの基本がニュースや情報の発信と収集にあるとすれば、各頁ごとの執筆年月日は大切であろう。

 (西川渉、98.12.5)

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