フリーフライト――夢を実現する飛行方式

 

(これは1年余り前、『日本航空新聞』のために書いたものである。本頁への掲載を失念していたが、このほど安全の問題について考えたことがあって、フリーフライトのことを思い出した。改めて、ここに掲載することにしたい)

 97年3月15日朝の新聞を見ていて、航空に関連する二つの記事が目についた。一つは運輸省の航法衛星システムの入札結果に対して、落札できなかった企業が不満をつのらせているというもの。応札価格は落札した競争相手の6割程度で、しかも実績があるにもかかわらず、技術力に劣るとして外されたのが不満という。新聞は「足の引っ張り合いが表面化した」とか、このような「大きな受注案件をめぐっては、場外乱闘も盛んになるだろう」といった見方を伝えている。

 もう一つは、日本新聞協会が取材機の事故例を踏まえて『航空取材要領』を改定したニュース。特に空中衝突の頻発に対して「見張り要員」の同乗を義務づけることになったという。何だか戦争中の重爆の話でも聞いているような気がしてきた。

 そこで思い出すのは、1996年秋に辞任したFAAのデビッド・ヒンソン前長官が提唱し、実行準備が進んでいる「フリーフライト」という考え方である。これは極めて魅力的な飛行方式で、パイロットは自分の好きな経路を選び、好きな速度で、好きなところを、自由自在に飛ぶことができる。目的地へ向かって一直線に飛んでもいいし、都合の良い風を選ぶのもいい。悪天候を避け、雲を迂回して、高度を変えるのもかまわないという理想的な飛び方が可能になるのである。

 むろん軽飛行機だけの話ではない。むしろ大型ジェット旅客機の方から先に具体化されつつある。沢山の航空機が、そんな勝手な飛び方をしてぶつかりはせぬか。安全は大丈夫かといった疑問が起こるであろう。

 ということは安全な飛行間隔を如何にして確保するかという問題だが、フリーフライト中の航空機はそれぞれ透明な繭の中にくるまって飛ぶような恰好になる。繭の外側には、もう一周り大きい警戒空域があって、その中に別の航空機が入ってくると、それを察知した衝突防止装置が警報を発し、パイロットと管制官に衝突回避の指示を出す。それも咄嗟のことでパイロットが慌てぬよう、具体的な操作を指示するのである。 

 これをヒンソン前長官はダイナミックな「動的管制」とも呼んでいる。それが実現すれば、航空史上、半世紀前のジェット・エンジンの実現にも匹敵する出来事となるであろうというのが、前長官の見方である。しかも現在、フリーフライトに必要な技術は存在する。あとは実現のための条件を整えるだけである、と。

 その技術とは何か。中心になるのはGPS(グローバル・ポジショニング・システム)を使った衛星航法である。それにデータリンク、衝突防止装置、パイロットのターミナル空域での決定支援システム、そしてさまざまな自動機器とコンピューターが加わる。

 このような技術を組み合わせるならば、いま以上に高い安全性をもって、いま以上に多くの航空機をさばくことのできる管制方式が実現する。実は冒頭に述べた運輸省の衛星航法システムも、入札の結果に不協和音とはいうものの、GPSを利用して航空機の位置を七メートルの誤差で割り出し、旅客機の飛行間隔を現在の十五分から五分に短縮するのが目的だった。これで太平洋線上の航空交通量を大きく高めようというのである。

 フリーフライトは、この管制方式をさらに進めて航空路を定めず、どこでも自由に飛ばせながら、交通量を飛躍的に増やすものである。

 といって、そのための経費がかかり過ぎては困る。その点をヒンソン前長官はNASAの調査結果を引用しながら、次のように説明する。「フリーフライトが実現すれば、米国のエアラインは2005年の時点で年間総額14.7億ドルの燃料費を節約できるようになろう。これは1995年の燃料費総額の2割に相当する。すなわちフリーフライトは目的地までの飛行時間を短縮し、燃料消費量を減らし、燃料費を削減する手段でもある」

 同時に燃料消費量が減れば、環境改善にも役立つ。現在、航空機から発生する二酸化炭素は、人類の生み出す二酸化炭素総量の3%を占める。しかも、これから航空旅客が増加し、航空機が増え、飛行便数が増えれば、その量は増加の一途をたどる。フリーフライトはそれを抑える役目を果たし、経済的にも2010年の時点で年間50億ドルの費用節約になるという計算もある。

 そんな夢のような管制方式が、現実主義者の多い航空関係者には戯言としか思えないだろうことは、ヒンソン前長官も認めている。しかしフリーフライトのめざす方向は、これまで長年にわたっておこなわれてきた管制方式と矛盾するものではない。フリーフライトは従来の方式の延長線上にあるのであって、その技術はすでに存在するし、現実にもさまざまな動きが見られる。

 たとえば米国では3年ほど前から、高度31,000フィート以上を飛ぶ航空機は、パイロットの裁量で飛行経路を選択できるようになった。現在すでに1日平均1,000便が、このような飛び方をしている。この高度は近く29,000フィートまで下げられる予定である。

 また95年秋からは、米国からニュージーランドやオーストラリアへ飛ぶ南太平洋線の航空機は、米西海岸にあるFAAの管制施設から衛星を利用したデータリンク通信を受けられるようになった。間もなくデータリンクによる航路変更も可能になるという。

 衝突防止装置(TCAS)も、米国では1993年から乗客30人以上をのせる航空機の全てに義務づけられた。これは米国内の空港に乗り入れる外国の定期エアライン100社以上に対しても適用されている。もはやTCASも特殊な装備ではなくなったといってよい。

 95年夏のアトランタ・オリンピックでおこなわれたヘリコプターの大規模な運航実験も、GPSとデータリンクを使って、将来のフリーフライトをめざす管制方式の一環であった。

 こうしてフリーフライト実現までの技術的な問題は、ほとんど目途が立つようになった。あとは技術以上に難かしい制度上の問題が残るだけである。つまり法規類の改定、管制組織の変更、実行予算の組み立てなど。それに米国ばかりでなく、外国政府にも賛同して貰わなければならない。

 こうした経過をたどって、フリーフライトの実現はいつになるのか。FAAとしては2010年を目標にしている。だが、それでは遅すぎるという見方もある。今のような成長率で旅客需要が増加し、それにつれて航空機が増え、航空交通量が伸びるとすれば、2005年が目標でなければ間に合わないというのである。

 いま世界の航空界は、増大する需要の圧力によって、政府も業界も膨大な投資を強いられつつある。空港の拡張、新製機の購入、管制方式の改善、環境対策、保安警備など、どれをとっても莫大な金のかかることばかりだ。フリーフライトはこうした費用を抑え、航空輸送の経済性を大きく引き上げることができる。

 ヒンソン前長官は語る。「新世紀に向かって航空戦略を考えるならば、最も重要な要素は安全性の向上、輸送力の向上、燃料効率の向上である。そして、このすべてが管制方式の如何にかかっている。その手段としてのフリーフライトは是非とも実現させなければならない」と。

 かくて米国では夢のような理想が語られ、そのための準備が進んでいる。しかも、それが単なる夢や幻でないことは、航空当局の責任者が発想し、現実的、具体的な施策として実行に移してきたことからも分かるであろう。

 それにつけても、わが国では航法施設の入札をめぐって悶着が起こったり、衝突防止のためには航空機に見張り員をのせるという。フリーフライトの理想に照らして、その余りの落差に愕然たらざるを得ないのは筆者だけであろうか。

(西 川  渉、『日本航空新聞』97年3月27日付掲載)

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