<がんを読む(2)>

相反する談話

 先の本頁で取り上げた近藤誠先生は、先週発売の「サンデー毎日」(5月5日号)にも登場、「住吉美紀の熱烈対談」で発言しておられました。その要旨を拾うと次のようになります。

 30歳過ぎたら人間ドックへゆくことが決まりみたいになっていますが、それは日本だけで通用している話です。欧米には健康診断や人間ドックの概念はありません。

 検査などは、なるべく受けないのが長生きのコツです。もし受けるなら身長、体重をはかるだけで十分です。

 昨年末、57歳の若さで亡くなった歌舞伎の中村勘三郎さんも、人間ドックを受けなければ、まだピンピンして舞台に立っていたはず。がんは急に大きくなるようなものではないからです。

 この人が食道がんの手術を受けたのは2012年7月27日で、翌日にはICUの中を歩きまわるほど元気でした。ところが8月末になって食事をのみ込むのに失敗し、食道から肺や気管支に逆流して誤嚥性肺炎を生じました。そのため人工呼吸器を使う必要が生じ、いつ心肺停止になってもおかしくない重篤な状態に陥ってしまいました。

 そして12月5日、急性呼吸窮迫症候群(ARDS)のために亡くなるわけですが、がんの進行はゆっくりですから、何もしなければ1〜2年はこれまで通りの芝居ができたはず。それを体に負担のかかる治療をして命を縮めたのです。

 がんの治療は、痛いとか苦しいとかの症状が出てきたときに受ければいいのです。体調がよくて、ご飯がおいしいようなときに、がんが見つかったからといって、すぐ治療をすると大抵寿命を縮めます。長生きしたけりゃ、下手に健康診断などやって、がんを見つけない方がいいわけです。

 子宮頸がんのワクチン接種も、ほぼ無意味です。あれで防げるのは「がんもどき」だけです。本物のがんではないので、放っておいても、ある統計では99%は消えるといわれてます。

 アメリカで仕事をしていて感じたのは、日本は手術のしすぎです。特に膀胱がん、子宮頸がん、舌がん、食道がんなど、通常は放射線で治療する病気です。ここでメスなど使うと命を縮める結果になります。

 

 以上が近藤先生発言の要旨です。先生は1988年、慶応大学講師の立場で「乳がんは切らずに治る」という趣旨の論文を月刊『文芸春秋』に書きました。これで、もう出世はできません。大学医学部の中枢に逆らったということで村八分になり、講師のまま助教授、教授への道は閉ざされました。

 けれども情報発信だけはできるので、外来患者はすごく増えました。「乳房温存療法」の影響力が大きかったためで、日本の乳がん患者の1%が外来患者として訪ねてきました。それだけ多くの人がこういう治療法を求めていたわけです。

 読んでいて自由な研究活動をよしとする大学に、そんなことがあるのかとびっくりさせられました。

 もっとも、京都大学の小出裕章氏も長年にわたって原子炉実験所の助教のままです。過去40年間、原子炉の危険性を訴え続けてきたためで、その主張は福島原発の事故によって広く知られるようになりました。本来ならば、とっくに教授になっているべき人だそうです。

 小出助教の生まれは1949年。近藤講師が1948年生まれだそうですから、全く同じ年代で、おふたりとも異端の意見によって疎外され続けた結果、近く定年を迎えるとのことです。

 日本有数の大学でも、こんなリンチやいじめがあるのを知って、がんや原子炉よりも、そっちの方が恐ろしいくらいです。

 ところでもうひとつ、この「サンデー毎日」5月5日号では、がん患者の立場から鳥越俊太郎氏のインタビュー発言も読むことができます。この人は2005年、血便が出るなど体調が悪く、9月に人間ドックの検査で大腸がんが判明、1年3ヵ月後には肺へ転移、さらに肝臓への転移もあって、都合4回の手術を受けたそうです。けれども昨年はホノルルマラソンに挑戦するなど、元気な活動を続けているジャーナリストです。

 以下、鳥越氏の発言要旨ですが、近藤先生の抗がん剤に対する考え方からすれば、全く逆の方針で治療をしているように見えます。そのあたりが面白いと同時に、がんの摩訶不思議な性質が感じられます。

「最初の手術から3年間、毎日朝昼晩と抗がん剤を飲み続けました」。食欲不振になることもなかったし、髪の毛1本も抜けませんでした。そのため、ある医師から副作用がないのは薬が効いていないのではないかと言われました。けれども、抗がん剤によってがんの増殖を抑え、大きくなるのを遅くしたことも考えられます。

 一方で東洋医学の治療も受けました。漢方による免疫力の向上をめざすものです。同時に「抗がん剤はやめなさい」とも言われました。しかし「西洋医学と東洋医学のいいところを両方取り入れようと抗がん剤も続けました。転移の病巣が大きくなるのが緩慢だったのは、抗がん剤だけでなく、免疫力を上げる漢方のおかげもあったと考えています」

「がんは早期発見、早期治療で治る病気になってきました。私も、もう少し早く見つかっていれば、転移はなかったかもしれません」

「私は転移がありましたが、(最初の発見から)7年半生きています」

 鳥越さんの発言は近藤先生の科学的な裏付けをもった意見とは全く反対の見解ですが、なにしろ生きた証拠がそこにあるので、うなずくほかはありません。このような確固たる実績は、われわれ、がん患者を大いに励ましてくれます。

 がんという不思議な病気は多面的な様相を持っていて、正解がいくつもあるということかもしれません。

(西川 渉、2013.5.4)

【関連頁】
   <がんを読む>抗がん剤の効果(2013.5.1)

 

 


入院中の病室の窓から見たドクターヘリ(2012年9月、千葉北総病院にて)

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