わが国ヘリコプター救急の今日と明日

 

 

 先週はアメリカに行っておりました。そのため本頁も1週間あまり更新できなかったことをお詫び致します。

 アメリカ行きの目的は、2月11日から3日間、ロサンゼルス南郊のアナハイムで開催された国際ヘリコプター協会(HAI)の年次大会に参加するためでした。その速報と詳細は順次本頁に掲載しますが、大会プログラムの一つに「日本ロータークラフト・フォーラム」が開かれ、私はそこでコミューターヘリコプター先進技術研究所の山川栄一氏と共に、30分ずつ話をする機会を与えられました。

 話の内容は、日本のヘリコプター救急の今日と明日というもので、日本のヘリコプター救急は世界的には遅れを取ったけれども、これから大きく挽回してみせるぞという意気込みを外国人に知ってもらいたいと思ったわけです。私のしゃべった英語は山野豊氏に翻訳していただきました。山野さんの英語は、HAIのロイ・リサベッジ理事長がメールを受け取るたびに感服するような立派なものです。

 しかし、それを読み上げた私の発音が日本語ではないかと言われるほどひどいうえに、山野さんのせっかくの名文と高級な言い回しを、私の能力に合わせて改悪したり稚拙な英文をつけ加えたりしました。そのため果たしてどの程度理解して貰えたか、いささか心もとない感じがしております。

 講演会の出席者は、司会をしていただいた星野亮氏によると、総数70人。うち30人が外国人だったそうです。光栄にもリサベッジ理事長や、ドイツADACヘリコプター救急の創設者ゲルハルト・クグラー氏(現欧州航空医療委員会会長)にも貴重な時間をさいて聴いていただきました。

 なお、山川さんの講演は、コミューターヘリコプター先進技術研究所が過去7年間にわたって進めてきた研究の成果を披露したものです。その冒頭、もちろん英語で「日本人の講演は先ずお詫びからはじまり、アメリカ人には必須のジョークに欠けると言われますが、先ずはそのジョークを準備してこなかったことをお詫びします」というジョークを発しておられました。

 ご参考までに、私の話の日本語要旨は下記の通りです。英語版は別頁に掲載しました。

 

 

日本におけるヘリコプター救急の現状と期待

 

 地球の上で人間が余りに勝手な振る舞いをしすぎているせいでしょうか、近年地球が異常変化を起こしはじめ、各地で自然災害が頻発するようになりました。先月のエルサルバドルの大地震では1,000人を超える犠牲者が出ました。と思ったら、先週はインドで大地震が発生、犠牲者は25,000人を越えるとも報じられています。

 日本では昨年、3〜4か所の火山が噴火し、多くの人が長年住みなれたふるさとを追われ、今も避難生活を余儀なくされています。フランス南部でも昨年激しい暴風雨のために広大な植林が破壊されました。

 アメリカでは近年、史上まれに見る巨大ハリケーンが発生するようになり、昨年夏は西部の広大な地域で山林火災が起こりました。ここにおられるロイ・リサベッジHAI理事長も、この火災に際してHAIの会員――すなわち民間ヘリコプター会社や社用または自家用ヘリコプターの運航者に消火活動の応援をよびかけ、みずからも火災現場へ飛んで活動されました。

 この一例に見るように、自然災害にあたってヘリコプターが如何に有効な機能を発揮するかは、皆さんよくご承知の通りです。

 

阪神大震災でのヘリコプター救急

 そこで思い起こすのは、アメリカと日本で起こった二つの大きな地震です。アメリカのそれは1994年1月17日早朝、ここロサンジェルスの北方で起こったノースリッジ大地震です。それから丁度1年を経過した同じ日、1995年1月17日早朝、今度は日本の神戸で阪神大震災が起こりました。

 二つの地震は1年のずれはありますが、奇しくも同じ日のほぼ同じ時刻で、地震の規模もほとんど同じでした。しかしノースリッジ地震で命を喪くした人は約60人だったのに対し、阪神大震災で死亡した人は6,000人を超えました。ノースリッジの100倍余りです。

 犠牲者の数に何故こんな大きな違いが生じたのでしょうか。地形、都市構造、建物の密集度と構造、人口密度などさまざまな要因が考えられますが、最大の問題は日本政府の危機管理体制が不充分だったことでしょう。その中で重要な要因のひとつは日本にヘリコプターの救急体制がなかったことがあげられます。

 自然災害におけるヘリコプターの有効性は、われわれヘリコプター人はよく承知しております。しかし一般の人びとには必ずしも理解されていない。とりわけ日本では危機管理体制の脆弱さと同時に、ヘリコプターを有効に活用しようという考えが欠けておりました。

 表1は、その一端を示すものです。阪神大震災でヘリコプターが救出し、搬送した怪我人や急病人の数は、この表のように初日が1人、2日目が6人、3日目が10人でしかなかったのです。

 天候は地震当日も、その後数日間も無風、快晴で、ヘリコプターにとっては絶好の飛行日よりでした。現に地震から2時間くらいのうちには、夜明けをまって新聞やラジオの報道機が神戸上空を飛びはじめ、テレビによる空からの生中継もはじまりました。しかし救急ヘリコプターは飛ばなかった。というよりも、そういうものが当時、日本にはなかったのです。

 もしこのときアメリカやヨーロッパのようなヘリコプター救急体制が動いていれば、わずかな間に5,000人の死亡が発生したことからしても、初日には100人程度、2日目には60人、3日目には40人、合わせて約200人の人がヘリコプターで救助されていたに違いありません。現実は、その1割に満たない人がヘリコプターで救われただけで、多くの人が無駄な命を喪くしました。

 

緊急用ヘリコプターは増えたが

 日本でも1980年代なかば頃から、われわれヘリコプター関係者は救急専門医と共に、ドイツやアメリカにならってヘリコプター救急の試験運航を重ねてきました。しかし、まことに恥ずかしいことですが、関係者の力不足に加えて、日本特有の縦割り行政の壁にはばまれ、経済的な裏付けも得られず、日常的、恒常的なシステムにまで持ってゆくことができないままでした。そこに神戸の大地震が発生して、為す術もなく多数の犠牲者を出すことになったわけです。

 いらい今日まで6年が経過しました。この間、危機管理体制を確立するためというので、ヘリコプターに関しては消防と警察の機材が急速に増やされました。

 その内容は表2の通りです。これは昨年3月の数字ですから、今ではもう少し増えております。このように、総数200機以上のヘリコプターが防災機関に配備されるに至りました。日本の民間ヘリコプター数は現在960機ほどですから、民間ヘリコプターに占める危機管理ヘリコプターの割合は、自慢していいのかどうか分かりませんが、22%にも達します。

 こうした緊急ヘリコプターのうち、日本では消防ヘリコプターが救急業務を担当することになっています。けれども全国47都道府県のうち、ほとんどの県には1機しか配備されてなく、しかも消防機には、災害が発生した場合、情報収集、緊急輸送、消火、救急などさまざまな任務が課せられていて、2兎を追うものは1兎をも得ずという状態になっております。その中で救急専用のヘリコプターは今のところ2機程度しかありません。

 したがって消防ヘリコプターによる救急搬送は全国合わせて年間700件程度というのが現状です。これはアメリカやヨーロッパの救急ヘリコプター1機分の出動回数でしかなく、まことに恥ずかしい状況にあります。

 おまけに、これら消防機関によるヘリコプター救急に医師が乗るのはごくまれで、ほとんど全て救急救命士だけで飛んでおります。そのうえ救急救命士の医療行為には、アメリカと違ってきびしい制約が付けられていて、救急現場での治療はほとんどできません。

 たとえば救急救命士が「特定3行為」と呼ばれる応急処置――除細動処置、薬剤を用いた静脈路確保のための輸液、ラリンゲアルマスク等の器具による気道確保――をおこなうときは、医師の指導のもとにおこなわなければならない。ところが現場には医師がいませんから、電話や無線で病院を呼び出し、患者の容態を医師に伝えて指示を受けるという「スピード」を要求される救急業務にあって、まったく矛盾した規則が定められております。

 

「ドクターヘリ」が始まった

 こうした状況を見かねて、2年ほど前から、消防機関とは別の動きが厚生省を中心に出てきました。これはヨーロッパ――ドイツ、フランス、ロンドンなどの救急ヘリコプターと同じように、医師をのせて現場に出動し、その場で初期治療をおこなう方式です。

 厚生省は、このシステムを「ドクターヘリコプター」と名付けて、予算を取りました。その予算で救急装備をした民間ヘリコプターをチャーターし、病院に配置しました。もっとも、予算は必ずしも十分ではなく、必要経費の半分程度しかありません。したがって残りの経費はヘリコプター運航会社が将来に期待をかけながら、みずから負担しつつ運航に当たることになりました。

 実際にヘリコプターが飛びはじめたのは1999年10月のことで、神奈川県伊勢原の東海大学病院と岡山県倉敷の川崎医科大学の2か所です。しかし、この場合も大きな矛盾があって、日本では上に述べた消防、警察、海上保安庁などのヘリコプターは緊急事態に際してどこにでも着陸できますが、それ以外の民間機は飛行場外の着陸が認められない。

 飛行場外に着陸するときは、あらかじめ現地調査をおこない、安全を確認したうえで、その土地の管理者の承諾を得て、航空局に書類を提出し、運輸大臣の許可を取っておかなくてはなりません。その手続きだけで1週間から10日ほどかかるわけで、むろん緊急時の役には立ちません。

 やむを得ず、東海大学病院の場合は、病院を中心に半径50kmくらいの範囲に110か所の着陸候補地を設定し、その一つひとつについて運輸大臣の許可を取りました。そして、たとえば山村の農家で脳出血などの急病人が出たときは、その家に最も近い臨時着陸場へ医師をのせたヘリコプターが飛ぶ。同時に、その家から患者をのせた救急車が同じ臨時着陸場へ走る。ヘリコプターと救急車、すなわち医師と患者が出逢ったその場で初期治療をおこない、患者の容態が安定したところでヘリコプターで連れ戻すというわけです。

 

ヘリコプター救急の成果

 その結果、ヘリコプターの救急効果はどうだったか。上に見たような多少の矛盾はありましたが、表3に見るように、まことに素晴らしい結果が出ました。

 この表は東海大学病院の1年分と川崎医科大学病院の半年分を一緒にしたもので、ちょっと変則的ですが、合計して18か月分の実績になります。「実績」の欄は実際にヘリコプターで救けた患者数です。「推定」の欄は、もしヘリコプターがなくて救急車だけで救急にあたっていればどうなったかを推定したものです。

 そこで「死亡」欄の合計を見ていただきますと、実績と推計の差が30人――すなわち18か月間で30人の人がヘリコプターによって命を救われたことになります。言い換えれば、死亡者は3分の2に減りました。あるいはヘリコプターがなければ死亡者は1.5倍だったともいえるでしょう。

 次に「障害」の欄を見てください。障害の残った人はヘリコプターを使うことで6割減となり、救急車だけの場合の4割ですんだ。さらに「軽快」の欄を見ると、障害が残らずに社会復帰のできた人は丁度2倍になったことが分かります。

 わずか2機のヘリコプターで1年ほどの間に、これだけの実績が出たのです。しかも、この救急業務は始まったばかりのために、18か月間で377人――すなわち月間20回しか飛んでいない。

 この実績の中には交通事故がほとんど含まれていません。ご承知のように、ヘリコプター救急の本来は、ドイツでもアメリカでも交通事故がきっかけですから、日本でもやがて交通事故の怪我人救助のために飛ぶ例が増えるだろうと思います。そうすると1日2〜3回、月間50回以上の出動が当たり前になるでしょう。現に最近は月に30回、50回と増えてきました。

 それだけヘリコプター救急の社会的な貢献も大きくなるでしょう。

 

救急ヘリコプターの配備構想

 こうした実績にもとづいて、厚生省は新年度分として6機のドクターヘリコプターを飛ばす予算を取りました。今年秋から今の2機に4機を加えるというわけです。また3〜5年後には総数30機のドクターヘリコプターを配備する構想を進めております。

 一方、消防機関の方も各県の消防ヘリコプター1機だけで沢山の緊急任務を背負うのではなく、救急専用ヘリコプターの追加配備を考えております。したがって近いうちに、消防機関による救急専用ヘリコプターの運航も実現するでしょう。

 では、日本全体でどのくらいの救急ヘリコプターが必要なのでしょうか。私の推計は表4の通りです。

 たとえばドイツのように半径50kmの範囲に1機ずつ配置してゆくとすれば、日本の国土面積はドイツの5%増しですから、ドイツの51機に対して54機が必要ということになる。またスイスにならうとすれば120機が必要になります。

 日本の地勢は、ドイツのように平坦ではありません。山岳地が多いという点ではスイスに近いかもしれません。しかしアルプス山岳地にあるスイスほどではないとすれば、ドイツとスイスの中間程度、80〜90機の救急ヘリコプターを配備すればよいということになるでしょう。

 もちろん多数のヘリコプターを導入するのは簡単ではありませんから、今年度は6機とし、数年内に30機、その後は50機、将来はもっと増やすというように段階を追って整備してゆくことになると思います。

 

費用負担はどうなるか

 その場合、重要な問題は費用です。この問題について関係者の話を総合しながら、私自身の希望を含めて整理しますと、表5のようになります。この表に見るように消防庁と厚生省の2種類の考え方がありますが、日本政府はこの2本立てで相互に補完し合いながらヘリコプター救急を推進するのがいいと考えているようです。

 ただし、自治体、病院、健康保険組合などの合意はまだ得られていません。したがって最終的にどうなるかは未確定です。いずれにせよ個人的な費用負担はないような形にすべきで、目下その調整が進んでおります。

 結論がどうなるかはともかくとして、私は必ずや将来、ヘリコプター救急が日本にも日常的なシステムとして普及していくものと確信しております。

 ご清聴ありがとうございました。

(西川渉、2001年1月12日、HAI大会ジャパン・フォーラムでの講演要旨)

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