<ヘリヴィア>

ローター機構の進歩 

オートジャイロ

 ヘリコプターはダ・ヴィンチが考えたように翼を回転させて飛行する。その回転翼機構を現実のものにしたのは、オートジャイロであった。

 1920年代初め、スペインのファン・ド・ラ・シエルバは極めて簡単な構造をもった回転翼航空機を考案した。それまでの発明家たちはローターを駆動するのにエンジンを使ったため、トランスミッションなどの複雑な駆動系統が必要になり、機体重量がかさむ上に、それに見合うエンジン出力が得られず、なかなかうまくゆかなかった。

 一方、シエルバのオートジャイロは普通の飛行機と同様、プロペラを機首につけたまま、固定翼の代わりに回転翼を頭上に取りつけた。機体を滑走させると回転翼が自動的に回り始め、揚力が発生するという仕組みである。

 その1号機は1923年、それまで飛んでいた複葉機を改造し、上翼を取り外して頭上高くパイロンを立て、その上に回転翼を取りつけたものであった。回転翼は前方へ2°ほど傾けてあり、機体が前進すると向かい風を受けて回り始め、揚力を発して離陸する。このときまだ、複葉の下翼がついたままだったので、揚力の一部を負担すると共に、エルロンなどの操縦にも使うことができた。


固定翼のついたオートジャイロ

 この初飛行からほぼ10年間、シエルバはローター機構の改良を重ね、1933年、有名なC.30オートジャイロを完成した。これは回転翼だけで揚力も操縦も可能となり、固定翼は完全に取り払われた。それからはヘリコプターのローター機構も、シエルバ・オートジャイロに負うところが大きい。

 というのは、それ以前の機体と異なり、近代的なヒンジつきローターを有し、サイクリック・コントロールとコレクティブ・コントロールが可能だったのである。パイロットは操縦桿を動かしてローター回転面を傾け、前後左右いずれの方向にも機体を進めることができた。またエンジンが停まっても、ローターの自由回転が可能だったので、以前のようにそのまま墜落することはなく、オートローテーション降下をして、地面近くでコレクティブ・ピッチを引き、揚力をつけて静かに接地することができた。

 オートジャイロは、オートローテイションの原理など、回転翼の空力学を大いに進歩させた。そのひとつはブレードにヒンジをつけたことである。ドラグ・ヒンジは回転中のブレードが回転面の中で前後に動けるようにしたし、さらに重要なフラッピング・ヒンジはブレードが上下にはばたけるようにしたものである。これにより前進側ブレードは高く上がり、後退側ブレードは下がって、回転面の左右および前後の揚力が一定になり、ローターが安定するようになった。

 こうした回転翼の改良と進歩により、オートジャイロは次々と発達を続け、1928年9月18日にはシエルバC8Lが彼自身の操縦により乗客1人をのせ、ロンドンからパリまで英仏海峡を横断した。

 そのうちに、オートジャイロといっても、エンジンの動力がローターにも伝達されるようになった。そして離陸に際しては、まずエンジンでローターを駆動し、フル回転になるとプロペラの方へ切り換えて発進し、ごくわずかな滑走で離陸する方法が考案された。

 さらにシエルバは1936年、エンジンをローターにつないだまま、ブレードのピッチ角を増していって、完全な垂直離陸に成功した。それを、彼は「ジャンプ発進」と呼んだが、こうなるともうヘリコプターと変わるところはない。こうしてオートジャイロは自然にヘリコプター実現の道を開いていった。


シエルバのC.30オートジャイロ

(西川 渉、2016.5.21) 

【関連頁】

   <ヘリヴィア>らせん翼の着想(2016.5.18)

    

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