【インターネット版】

ヘリコプターの歴史

その前史と誕生と発展と――(10)

 

ソ連機の発達

 ソ連のヘリコプターの歴史が本格的な歩みを始めるのは、1947年オートジャイロの研究をしていたミハイル・ミルがヘリコプター設計局の責任者として登場したときからである。ミルは翌1948年9月には早くもGM-1の初飛行に成功、同機はそのままMi-1に発展し、1950年から量産されることになった。

 外観はシコルスキーS-51に似たシングル・ローター機で、キャビンは4人乗り。その背後に570hpのイフチェンコAI-26星型エンジンを装備する。用途は輸送、救難、農業などの軍・民両用。

 Mi-1の製造はその後、1955年からポーランドに移され、1961年にはタービン・エンジン2基を搭載する9人乗りのMi-2となった。エンジンはイゾトフGTD-350(437hp)が2基。これをアリソン250-C20B(420shp)に換装してアメリカで国産化しようという計画が今もあるのは、本機の真に驚くべき寿命の長さを物語っている。

 1952年、ミルはさらに大きなMi-4の設計を始めた。これは朝鮮戦争で活躍したアメリカのS-55に対抗するかのようで、外観もよく似ているが、エンジン出力は1,700hpとかなり大きい。総重量7,200kg、ペイロード1.5トン前後、乗客18人乗りというのもS-55に対してほぼ2倍であった。これらはむしろS-58に匹敵する能力である。

 このヘリコプターの開発に先立って、ソ連政府は1952年夏、ヘリコプターの設計家たちをクレムリンに招集した。ミルはそこでMi-4を開発することになり、同席していたアレキサンダー・ヤコブレフはさらに大きなヘリコプターをつくって、1年以内に飛ばすことになった。これらの困難な指示を、2人とも立派にやってのけたが、ヤコブレフYak-24が飛行したのは1953年7月3日であった。

 このヘリコプターはバートル107に似たタンデム・ローター機で、大きさはもっと大きく、エンジンはMi-4と同じシュベツォフASH-82Vピストン(1,700hp)が2基。総重量16,000kg。40人前後の人を乗せて巡航150km/hで飛ぶことができた。1955年12月17日にはペイロード4トンを積んで高度2,900m、2トンで5,080mまで上昇するという記録もつくっている。

 一方Mi-4は、1960年代に入って旅客30人乗りのMi-8双発タービン機へ発展するが、これより先の1957年、ソ連はMi-6巨人機の存在を公表した。

 Mi-6は見るものを圧倒するかのような巨体をもち、頭上からは直径35mのローター・ブレード5枚が重々しくたれ下がっている。エンジンは5,500shpのソロビヨフD-25Vターボシャフトが2基。後部には大きな貝殻ドアが開いて車両や大砲などを積み込む。そして両肩にはスパン15.3mの短固定翼が張り出し、250km/hの巡航飛行に際しては重量の20%を支える。乗客は最大65人、担架41人分の搭載が可能であった。

 本機は速度も速く、1964年に340km/hの記録をつくった。同時にそれまでのヘリコプター搭載記録をすべて書き換え、最大20トンを吊り上げて見せた。総重量は42,500kgである。こうしたMi-6はおよそ500機が生産されたという。

 このMi-6を基本とするクレーン機がMi-10である。1960年に飛行した同機はMi-6と同じエンジンやローター系統を使いながら、胴体を細くして4本の長い脚を付け、この中に荷物をかかえこむようにして輸送しようという設計であった。

 その後登場したMi-10Kは脚が短く、カーゴスリングの吊り下げ輸送が主目的となり、このためスリング状態がよく見えるようにうしろ向きのパイロット席も取りつけられた。これはシコルスキーS-64と同様の考え方である。Mi-10Kのエンジンは出力向上型の6,500shpが2基。吊下げ能力は最大14トンであった。

 歴史上最大のヘリコプターはMi-12である。操縦量100トン余りの同機は突如、1971年のパリ航空ショーに出場して全世界の驚嘆と注目を集めた。胴体は普通の輸送機に似て、左右に張り出した固定翼先端にはそれぞれD-25VFエンジン2基とローターがついた並列双ローター形式である。

 ペイロードは通常30トンだが、1969年には40トンを積んで高度2,255mまで上昇した。このヘリコプターが果たして実用化されたどうか判然としないが、これだけの巨人機は今後も当分出現しないであろう。(つづく) 

(西川渉、『航空情報』別冊「ヘリコプターのすべて」1979年刊に掲載)

 

【関連サイト】

 上の本文でミル・ヘリコプターだけを取り上げ、カモフに触れていないのは片手落ちのそしりを免れないかもしれない。同軸反転式のローターを持つカモフは独自の発展を遂げ、ミルと共にロシアを代表するヘリコプターのひとつとして、今も第一線の実用機として使われている。特に尾部ローターのない分だけ後方の危険が少なく、また全長が短くなるため、せまい艦上で扱うのに都合が良い。そのため海軍機として数多く採用されている。日本でもMi-8に加えてKa-26が輸入され、実際に使用された。

 そんなことを考えながらカモフのサイトを探してゆくと、ヘリコプターの歴史を年代順に並べた頁にぶつかった。カモフばかりでなくミルも同じように並んでいる。詳細は写真と共に両方のサイトを見ていただくとして、ここでは両シリーズ各型の初飛行または開発年代を一表にしておきたい。

ロシア・ヘリコプターの開発年代

ミル

カモフ

1944年

――

Ka-8ベルトリヨート

1948年

8月、Mi-1

――

1949年

――

9月、Ka-10

1952年

Mi-4

Ka-15

1955年

――

Ka-18

1957年

6月5日、Mi-6

――

1960年

――

Ka-20

Ka-22

1961年

Mi-8

Mi-10

――

1964年

Mi-10K

――

1965年

――

Ka-25

1966年

――

Ka-26

1968年

7月10日、Mi-12

――

1969年

9月、Mi-14

9月19日、Mi-24

――

1977年

12月14日、Mi-26

――

1978年

――

Ka-27

1981年

Mi-17

――

1982年

11月10日、Mi-28

7月27日、Ka-50

1986年

Mi-34

Ka-116(Ka-26のタービン化)

1990年

――

Ka-118(ノーター機)

1994年

――

Ka-62(カモフ機には珍しいシングル・ローター形式)

Ka-226(Ka-126の双発タービン化)

1997年

――

Ka-52

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