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ヘ リ コ プ タ ー の 歴 史

その前史と誕生と発展と――(3)

 

ヘリコプターの初飛行

 20世紀に入って、軽くて強力なガソリン・エンジンが実用化されると、ヘリコプターもようやく人をのせて飛べるようになった。

 その最初はフランス人ルイ・ブレゲーとジャック・ブレゲーの兄弟にリシャ博士が協力してつくった「ジャイロプレーン1号機」である。このヘリコプターは40hpのアントワネット・エンジンと4つの複葉回転翼を持ち、1907年9月19日、1人の体重の軽い男を載せて高さ60cmまで上昇した。もっとも操縦性が不十分のために4人の助手が十文字に組み合わせた機体の四隅を支えていなければならなかった。

 この高度は10日後の9月29日には1.5mまで増したが、依然、機体を支える助手が必要だった。したがって真の自由飛行ではないが、4人の助手は機体の上昇を抑えるために懸命に引っ張り続けたというから、このヘリコプターに飛行能力があったことは確かである。

 しかし、それが自由飛行ではなかったために、わずか2か月後の11月13日に飛んだもう一人のフランス人、ポール・コルニュのヘリコプターが真の初飛行となった。

 このヘリコプターは24hpのアントワネット・エンジンを持ち、機体の前後に大きな櫂のような回転翼をつけていた。もっとも、自由飛行とはいっても、わずか20秒間、高度2m以下の垂直昇降だけであった。しかし、いずれにしても、ブレゲーとコルニュの飛行はヘリコプターの歴史の上で、4年前のライト兄弟の初飛行にも匹敵する出来事であった。ここに、ローターの回転によって実際に人間が空を飛べることが実証されたのである。

 ヘリコプターの夢は、こうしてついに現実のものとなったが、当時の固定翼機の技術水準には及ぶべくもなかった。1903年12月17日ライト兄弟によって初飛行に成功した固定翼機はわずかな間に急速に発達し、安定性と操縦性は早くも完成の域に達しつつあった。

 若き日のシコルスキーの失敗も例外ではない。その頃ロシアのキエフにいたシコルスキーは1909年、同軸反転式ローターを持つ小型ヘリコプターをつくり上げた。自重200kg、自分の重量だけはかろうじて持ち上げられたが、パイロットの体重までは無理だった。人が乗ると激しい振動を起こし、決して地面を離れようとしなかったのである。

 つづいて1910年、シコルスキーは2号機を試作した。先の1号機を改造し、重量を削って、ローター直径を増やしたものだが、ついに飛ぶことはできなかった。彼は、この失敗でヘリコプターをあきらめ、その実験に使った25hpのアンザニ・エンジンで今度は固定翼機をつくった。ところがなんと、この飛行機は1910年6月、いともあっさりと飛んだのである。ヘリコプターに比べて、いかに飛行機が容易であるかを示すエピソートといえよう。

 その後、シコルスキーは飛行機の製造に熱中し、世界最初の四発機を実現させた。1917年のロシア革命以降はアメリカに亡命、ここでも多数の大型機をつくり、特に長距離用クリッパー飛行艇で名を馳せた。彼が再びヘリコプターに戻るのは30年後のことである。(つづく

(西川渉、『航空情報』別冊「ヘリコプターのすべて」1979年刊掲載)

 


(ポール・コルニュのヘリコプター)

【参考リンク】

 人をのせたヘリコプターの真の初飛行は結局、フランス人ポール・コルニュのものとなった。使われた機体は上の図に見るように、回転翼が前後についたタンデム・ローター形式で、基本構造はスチール管をV字形に曲げて、その両端に回転翼がついていた。櫂のような形状をした羽根の部分は長さが1.8m、人が乗ったときの総重量は260kgであった。

 コルニュは、このヘリコプターで1907年11月13日、地上1フィートに浮上し、20分間とどまって、初飛行をなしとげた。

 詳しくはプリンストン大学のサイトをご覧いただきたい。ここでは、ヘリコプター開発の歴史はジグソウ・パズルを解くようなもので、出力不足、安定性の欠如、操縦困難、トルクの解消など、さまざまな問題がばらばらに存在し、それらの一つひとつを解決し、全てが調和のとれた形におさまったとき、初めて垂直飛行の夢が実現したと説明している。 

(99.5.9)

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