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ヘリコプターの歴史

その前史と誕生と発展と――(5)

 

フォッケ・ヘリコプター

 1936年、ナチス時代のドイツでハインリッヒ・フォッケ博士のFa61単座ヘリコプターが飛行した。

 機首には160hp星型エンジンとそれを冷やすための小さな木製プロペラがつき、胴体左右に高く張り出したやぐらのようなマストの上に3枚ブレードのローター二つが互いに反転していた。初飛行はこの年の6月26日――わずかに28秒間の飛行であった。

 この双ローター機は、しかし、それから急速な進歩を遂げ、1年後の1937年6月25日には滞空1時間20分29秒、到達高度2,439mの記録をつくり、翌日さらに122km/hの最高速度を記録した。これより先の5月にはヘリコプター初のオートローテイション着陸に成功したが、これもオートジャイロの技術に負うものであった。

 Fa61をさらに有名にしたのは、1938年2月ベルリンのドイッチュランド・ホールで開かれたナチスの全国党大会で、大胆な屋内飛行を演じたことである。安定性と操縦性に関するヘリコプター技術の完成は、ここに実証されたといえよう。

 Fa61の成功により、フォッケ・アハゲリス工場は第2次大戦中、Fa266およびFa223と呼ぶヘリコプターを開発した。両方とも基本的には同じもので、Fa61を大型化し、1,000hpのエンジンをつけていた。

 Fa266はルフトハンザ航空向けの6人乗り旅客ヘリコプターである。総重量は4,310kg。原型機ができあがったのは1939年だったが、戦争勃発から間もなくのことで、実用化されないまま、軍用向けのFa223にとって代わられた。Fa223は1940年8月に初飛行、42年ようやく実用化のメドがついて、100機の量産計画がスタートしたが、敗戦までに11機が完成しただけであった。

 しかし本機の特徴は操縦性が非常によく、山岳テストでも操縦桿を指先で操作するだけで飛ぶことができた。戦後、Fa223の中の1機がイギリス軍に接収され、1945年9月英国に飛んだが、ヘリコプターが英仏海峡を渡ったのもこれが初めてであった。

 なおフォッケ博士はこのころから、戦車やトラックの吊り下げ輸送ができるクレーン機を考えていた。この大型双ローター機はFa284と呼ばれ、各ローターの直径が17.8m、2,000hpのBMWエンジン2基を装備し、機体は骨組みと操縦席だけで、実際にも一部が製作されたが、戦争のために実現しなかった。

 しかしジェット機やロケット、ミサイルなど、戦後世界で発達した工学技術が第二次大戦中のドイツでかなりの程度にまで実現していたように、ヘリコプター技術もまたフォッケ・アハゲリス工場で相当高い水準にあった。兵員輸送や対潜水艦用のヘリコプターを量産し、旅客ヘリコプターや大型双発クレーン機の開発構想が進んでいたことは、目を見張る思いがするであろう。。(つづく

(西川渉、『航空情報』別冊「ヘリコプターのすべて」1979年刊掲載)

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【参考リンク】

  ハインリッヒ・カール・ヨハン・フォッケという典型的なドイツ名の人物は、史上初めて実用的なヘリコプターを創り出したことで知られる。最初はシエルバの後を追ってオートジャイロをつくっていたが、やがてエンジンとローターを連結させてヘリコプターに進み、真の安定性と操縦性をそなえたFa61を完成する。

 その姿は「HFI HISTORIC」という国際ヘリコプター基金(HFI)のホームページに掲げられた模型写真で見られる。そこにはFW-61という呼び名で本機の説明がなされているが、FAといったりFWというのは何故かという説明も見られる。それによると「フォッケは1937年、フォッケウルフ社を退いてゲルト・アハゲリスと共にフォッケ・アハゲリス社を創立した。そのためFA-61と呼ぶ人がいるが、本機のつくられた当時の会社名からしてFW-61とするのが正しい」。

 ところが、私の調べたところ、別の本では、フォッケ・ウルフ社の名前の付け方がA33、A34、A43、A47、そしてA61となっていてFA-61はそのA61からきたものではないかとも思われて、やや混乱する。ここは、しかし、上の本文もFW-61とすべきだったかもしれない。フォッケ教授自身の本機について書いたものがあれば、はっきりするのだが。

 このヘリコプターはやがてFa223軍用機に発展するが、そのほかにフォッケはFa269と呼ぶティルトローター機を考えていたらしい。固定翼の両端にローターをつけ、離陸の際は水平に回し、前進飛行に移ると前傾させてプロペラのように回すという構想だったが、実機はつくられなかった。またFa325(別の本ではFa225)というのは、グライダーにローターを取り付けた総重量900kgのオートジャイロである。これに兵員や物資を搭載して飛行機で引っぱり、敵地に降ろして進攻輸送作戦に使うという構想だったが、実用には至らなかった。

(99.6.4) 

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