【インターネット版】

ヘリコプターの歴史

その前史と誕生と発展と――(6)

 

ベル小型機の登場

 戦後のアメリカでは多数の発明家たちがヘリコプターの開発に熱中していた。彼らの夢は、シコルスキーが1942年に語った次のような言葉によくあらわれている。「戦争が終って10年もすれば、都市上空には沢山のヘリコプター・バスが飛び交い、ビジネスとレジャーのための自家用ヘリコプターの群を見ることができるだろう」

 また1944年には、あるヘリコプター愛好家が「広い空は間もなくヘリコプターで埋め尽くされるだろう」という本を書いた。同じように、あるメーカーは1955年、同社が近く5,000ドル以下の小型ヘリコプターを大量に売り出すことになろうと予測した。

 これらの夢は戦後34年(注)を経た今も完全には実現していない。しかし夢は大きい方がよいのかもしれない。それだけ人びとを突き動かす力も強くなるからである。そこで第2次大戦後、いよいよヘリコプターの真の発達が始まる。その発端となったシコルスキーVS-300やR-4については冒頭に述べたとおりである。

 その頃シコルスキーと並んで、ベル・エアクラフト社でもヘリコプターの研究が手がけられていた。この会社は1935年、ローレンス・ベルが創設したもので、戦争中はP-39戦闘機などを生産し、1942年にはアメリカ初のジェット戦闘機エアラコメットを飛ばしたりしている。そして1942年、ベルはアーサー・ヤングという技師の考案したローター機構に注目し、その設計を用いたヘリコプターの開発に乗りだした。

 このローターは2枚のブレードからなり、ブレードに直角にスタビライザーバーと呼ぶ棒が張り出していた。これは長さ1.5mの両端におもりがついていて釣り合いを取るようになっていた。この安定棒はハブに固定され、ローターの回転面を一定に保持するように働く。またブレードの取り付け部にはフラッピング・ヒンジやドラグ・ヒンジがなく、半固定式に取りつけられていた。

 こうした主ローターに対して、そのトルクを打ち消すために尾部ローターをもつシングル・ローター方式がベル・ヘリコプターの特徴であった。この原理に基づいてつくられたベル原型機、モデル30は1943年8月21日、ニューヨーク州バッファローで初めて飛行した。

 胴体はきれいに整形され、中央部に160hpのフランクリン6ACV-298エンジンが直立につき、前方には二つの座席が並列に設けられていた。また胴体左右には車輪が張り出し、後方には小さな尾輪があった。

 このヘリコプターはやがて、1945年12月8日に初飛行したモデル47に発展した。エンジンはフランクリン178hp。1946年3月8日には当時のアメリカ民間航空局(CAA)の型式証明を交付されたが、これこそはヘリコプターに対する民間証明第1号(NC-1H)である。これでベルは商用機として有償で旅客をのせられるようになり、民間向け1号機は同年11月、アリゾナ・ヘリコプター社へ引き渡された。

 以後、ベル47シリーズは47A、B、D、D-1、G、G-2、G-3,H、J、J-2,G-3B、G-4A、G-5と発展を続ける。外観は機首先端に透明なプラスチック・バブルのキャビンを持ち、テール・ブームは鋼管溶接構造の骨組みがむき出しのままという典型を30年にわたって守り、1973年末の生産終了まで軍・民あわせて約6,000機が製造された。

 この間、イタリアのほか日本でも川崎重工がライセンス生産にあたり、4人乗りに改造したKH-4を生み出したことはよく知られている。

ヒラー・シリーズも出現

 ベルがヘリコプターに手を着けたのと同じ年、1942年にはもうひとりの若いアメリカ人がヘリコプターの開発に手を染めた――スタンレー・ヒラー・ジュニアである。

 彼は1944年、XH-44と呼ぶヘリコプターを飛ばしたが、これはアメリカで初めて成功した同軸反転式ローターを持つヘリコプターである。また彼はローター・ブレード先端からガスを噴射する「ジェット・トルク」方式のヘリコプターも手がけた。しかし、やがてシコルスキーやベルと同じシングル・ローター方式に同調するようになった。

 そして1947年、ヒラーは「ローターマティック」と呼ぶ操縦方式を開発した。これは主ローターの下に小さなサーボ・ローターを直角に取り付け、まずこれを操縦桿で動かすことによって主ローターの回転面を動かして操縦するという方法である。この機構は安定性にもすぐれ、1947年に飛んだ実験機は早くも手放し飛行が可能であった。

 このローターマティックによってヒラーが開発したヘリコプターはモデル360である。後にモデル12と改められ、1948年10月14日にCAAの型式証明を取得した。

 これがUH-12として量産に入ったのは1949年だが、以来ベル47同様、小型ヘリコプターの代表機種として発展し、UH-12A、-12B、-12C、-12D、-12E、-12E-4などが1960年代末までの20年間に3,000機以上生産された。

 製造はそこでいったん中止されたが、1973年3月、新ヒラー・アビエーション社の発足によって再開され、今も(注)モデル12Eやアリソン250-C20エンジン(400hp)を装備するタービン改造型のUH-12J3が生産されている。(つづく

(西川渉、『航空情報』別冊「ヘリコプターのすべて」1979年刊に掲載)

【注】この拙文は1979年、今から20年前に書いたもの。 

【関連サイト】
 スタンレー・ヒラー Jr.は1944年、同軸反転式のXH-44をもってヘリコプター界に登場した。Xは実験機、Hはヒラーの頭文字、44は開発年を示す。2人乗りで、150hpのエンジンをつけていた。

 このヘリコプターの開発にヒラーが着手したのは2年前、17歳のときであった。初飛行は1944年5月14日。同軸反転式のヘリコプターとしては初めての成功である。詳細はスミソニアン航空宇宙博物館のホームページに、写真と共に見ることができる。

 米陸軍は、このヘリコプターを3機買い上げ、運用試験をおこなったが大量採用には至らなかった。原型機は1953年スミソニアン航空博物館に寄贈され、保管されている。

 XH-44にはじまるヒラー・ヘリコプター25年間の足跡は「ヘリコプター・ヒストリー・サイト」の年表にまとまっている。

(99.6.12)

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