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ヘリコプターの歴史

その前史と誕生と発展と――(9)

 

大型化への系譜 

 ヘリコプターの技術が進歩するにつれて、少しでも大きなものをつくってペイロードを増やし、旅客や貨物の搭載量を上げようと考えるのは当然のことであろう。

 その初期の試みは米空軍が1950年代に計画したYH-16およびXH-17フライング・クレーンである。結果的には、どちらも不成功に終わったが、構想はなかなかに雄大であった。

 YH-16はピアセッキ社の計画になるもの。同社は戦後間もなく「空飛ぶバナナ」として知られたPV3タンデム・ローター機の開発に成功し、現在のボーイング・バートル社の前身となったメーカーである。PV3は600hpのエンジン1基を備え、座席数は10席。海兵隊の救難機として使われた。

 これに対するYH-16は1,650hpのP&W R-1280エンジン2基を備え、キャビンにはジープ3台、担架32床、もしくは兵員40人の搭載が可能な大型機である。ローターは直径25mが二つ。全長は41mで、今のチヌークよりもはるかに大きなタンデム・ローター機であった。

 もうひとつのヒューズXH-17はいっそう巨大なクレーン機である。GE J35ターボジェット・エンジン2基を装備、高圧ガスを2枚ブレードの先端から噴射して動力を得るようになっていた。総重量23トン余はチヌークやS-65を上回り、ローター直径も39.6mという大きさであった。この巨人機を、ヒューズ社は1952年10月実際に飛ばし、12トン以上のペイロードを記録している。

 その頃イギリスでも勇ましい計画が立てられた。ウェストランド社のW85とW90という計画で、W85の102人乗りというのも大きいが、W90は450人乗り――ボーイング747に匹敵する巨人機であった。

 W90のエンジンはシドレー・サファイア・ジェットが3基。これを直径60mのローター・ブレード3枚の各先端に取り付けてぶん回し、93.5トンの総重量を持ち上げようという設計だった。この計画を、ウェストランド社は本当に実行しようとして、かなりの資金を注ぎこみ、開発実験もおこなったというから、当時のヘリコプター界がいかに夢と希望と情熱にあふれていたかが想像できよう。

 こうした中で実用化された巨人機は、シコルスキーS-56である。当時のピストン・ヘリコプターとしては最も大きく、1,900hpのP&W R-2800ダブルワスプ・エンジン2基を左右両肩に張り出したナセルに収め、直径22mの5枚ブレード・ローターを駆動するという設計であった。

 それが実際に完成し、初飛行したのは1953年12月18日。機首前面に大きな貨物ドアを持ち、海兵隊の進攻輸送機として兵員26人もしくは担架24床、さらには武器弾薬や車両の搭載が可能であった。生産数は100機以上に達した。

 大きな図体で鈍重なように見えるが、1956年には261km/hの速度記録をつくり、さらにペイロード5トンで高度3,600m、6トンで2,100mまで上昇する記録もつくっている。総重量は14,060kgである。

 このヘリコプターのダイナミック系統――ローター・シャフト、トランスミッションなどを生かし、胴体腹部を取り払って、背骨のようなテール・ブームと機首のコクピット(複座)だけを残したS-60クレーン機が試作された。同機は1959年3月25日に初飛行、1機しか製作されなかったが、ペイロードは6トンに及び、クレーン・ヘリコプターの有効なことを実証した。

 それから3年後、これをタービン化したのがS-64スカイクレーンである。初期の軍用機型CH-54AはP&W JFTD12-4Aターボシャフト(4,500shp)2基を装備してペイロード9トンだった。その後のCH-54BはJFTD12-5A(4,800shp)に換装して出力を上げ、ペイロードは12.5トンになった。

 これらのCH-54は1964年秋からアメリカ陸軍への引き渡しが始まり、65年から総計96機がベトナムの戦場に送り込まれた。そしてクレーン機としての吊り上げ能力を生かして総数380機以上の墜落機を回収したが、その価値は2億ドル(当時の700億円)以上と計算されている。

 また1971年には11,000mまで上昇する高度記録をつくった。このとき高度9,595mまではペイロード1.5トンをもち、3,300mまでは2トンをもっていた。さらに1972年には離陸してから高度3,000メートルまで1分22.2秒、6,000mまで2分58.9秒で上昇する記録をつくった。

 このすぐれたクレーン機は今も実際に使用され、民間機として木材搬出などに使われている。しかし数字の上では、やがてソ連のミル巨人機シリーズがこれを追い越すことになる。(つづく

 

【関連サイト】

 上の写真に見るS-64クレーン・ヘリコプターはシコルスキー社が機外搬送用の大型軍用機として開発したものであることはいうまでもない。ベトナム戦争の当時だが、戦後は民間機として木材搬出や建設資材の輸送などに使われた。

 しかし、大きくて高価であり、それほど多くの機数が売れたわけではない。そうした運航会社の中で本機の使用に熱心だったエリクソン社は、やがて製造販売権をシコルスキー社から買い取り、いまも木材搬出、送電線の建設、山火事の消火などに使っている。

 特に最近は火災消火機としての大きな能力が注目され、活用されている。消火装備は7.5トン積みの水タンクを取りつけ、水源の上でホバリングをしながら吸水用のシュノーケルを降ろし、45秒間で満タンにすることができる。これでピストン輸送をしながら火災現場の上に水を投下すると、1時間に最大110トンもの水投下が可能となる。水源は、深さ45cm以上の水たまりであればよく、投下する水には機上で消火剤を混入することもできる。

 また同機は機首先端に放水銃をもち、50m以上の遠方へ毎分1.1トンの水を噴射することも可能。

 ロサンゼルス・カウンティ消防局では、このエアクレーン消火機を1996年以来チャーター使用している。同機はロサンゼルス北方のバンナイズ空港に、いつでも飛び出せる態勢で待機している。ほかにも米森林局、カリフォルニア森林火災局、オレンジカウンティ消防局などが本機を使用している。ほかの地域でも、S-64Eは「空飛ぶ消防機」として活躍しているt。

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