翻訳ソフトの実力――その2

 

 先週の英誌『エコノミスト』(10月18日号)が「言語の贈り物」と題して、面白い記事を載せていた。表題の意味は、内容から見て外国語の不得手な人に対する福音といった意味であろうか。

 記事は日本発になっていて、コンピューターにのせる翻訳ソフトがだんだん使えるようになってきたという趣旨。「かつてコンピューターで翻訳しようという試みは、しばしば物笑いのタネになったものだ。しかし最近はコンピューターの処理能力が高まって、手品のようなトリックも可能になってきた」

「もっとも、機械翻訳に関するジョークは少なくない。米中央情報局(CIA)はロシア語を英語に直すためのコンピューター・プログラムの開発に莫大な資金を注ぎこんだ。その結果、出来上がったソフトで早速ロシアの格言を訳させてみた。『精神は強いが、肉体は弱い』というものだが、機械から出てきた翻訳は『ウォッカはうまいが、肉はまずい』というものだった」

 こんな注釈をつけるとしらけるかもしれないが、精神を意味する spirit という言葉には酒精すなわちアルコールの意味もあることはご存知の通りである。もっともロシア語の精神を意味する言葉に酒精の意味が含まれているのかどうかは知らない。含まれていなくても、このジョークは翻訳機械とCIAをからかうのが目的だから、どちらでも構わないのだろう。

「そんなわけで、翻訳機械などは役に立たぬというのが世界的な評価となった。だが日本の研究者たちは違っていた。彼らは、日本の科学者や技術者を世界から孤立させている言語の壁を、何とかして突き破ろうとして努力を続けた。その努力から生まれた翻訳ソフトの利用者は、最近まではほとんど大メーカーであった。日本のメーカーは、英語のマニュアルや営業パンフレットなどをつくる場合、まず原文となる日本語を機械にかけて翻訳し、それに手を加えて英語に仕上げるのだが普通のやり方である。そのため日本製のビデオ・デッキなどを買った西欧の消費者は、取扱い説明書を読んでも困惑するばかりであった」

「ところが最近、翻訳ソフトの需要を高める新しい要因が出てきた。インターネットである。インターネットはこれまでほとんど英語で発信されていた。しかし近年、英語以外の、特にドイツ語と日本語のホームページが増えてきたのである。その結果、この3年間に英語のホームページの割合は98%から82%まで下り、今後なお減少の傾向にある」

 エコノミスト誌によれば、この需要に対応して、西欧諸国でも翻訳ソフトの開発に取り組むようになった。その際の基本的な考え方は何か。

「初めのうちは、完璧な翻訳でなければならないと考える人が多かった。だが、いろいろとやってみて、最近は完璧である必要はないという妥協的な考えが出てきた。そこから今、現実的な機械翻訳が盛んになりはじめたのである」

 つまりコンピューターによる翻訳は完璧である必要はない。下書き程度の文章になっていればいい。それに専門家が手を加えてまともな文章に直す。そういうやり方が現実的な機械翻訳の方法だというのである。

  

 ところで、このエコノミスト誌の記事を読む3日ほど前、私は偶然ここに書いてあることと同じようなことを経験した。来年4月に開催予定のヘリコプター技術協会(AHS-J:アメリカ・ヘリコプター協会日本支部)の防災シンポジウムでおこなう報告内容を英語に直すようにいわれたからである。

 ふだん外国人に手紙を書くようなときは、日本語を訳したりはしない。初めから英語で書いているので、自分の書いた日本語を英語に直すというのは、私にとって余り経験のないことだった。

 日本語の方はごく短い要約文だったが、それを翻訳ソフトにかけたところ何だか恐ろしく立派な英文が出てきた。しかし、このままでは英米人から見て、きっとヘンな英語に違いない。以前に本頁の「翻訳ソフトの実力」にも書いたように、かつて英語を日本語に訳したときも、全くヘンな、気が狂いそうな日本語が出てきた。

 逆もまた真なりで、翻訳された英文もきっとヘンに違いない。といって、どこをどう直せばいいのかよく分からない。苦心惨憺して何とか英文らしきものをつくり上げたが、その作業の一端を見ていただきたいと思う。

 

  まず「ヘリコプター防災と航空法規」と題する私の日本文は次の通りである。

<地震、火災、洪水、山崩れ、交通事故など、大災害の発生に際して、ヘリコプターは最も適した対応手段の一つである。このことは先の阪神大震災において広く、深く痛感させられたところである。

 しかし、あれから2年半を経過して、日本では未だヘリコプターの災害出動体制が確立されていない。防災のためのヘリコプターは機数だけが増え、中央省庁や自治体ではこの2年余りさまざまな委員会や審議会が設置され、数々の論議、検討、研究、実験、報告などがおこなわれた。しかし今日まで、ヘリコプターで消し止められた家屋火災は1件もなく、急患輸送は一種の特例として、わずかな離島でおこなわれているに過ぎない。

 これにはさまざまな理由や事情があろう。しばしば言われることは日本の航空法規がきびしく、ヘリコプターの運航に制約が多すぎるということである。たとえば被災地や交通事故の現場に着陸しようにも、飛行場外の離着陸は航空法第79条によって禁止されているという。

 しかし、人の生死にかかわるような緊急事態でも法規は遵守されなければならないのだろうか。現に航空法自体、そのことを見越して、第81条の2で「捜索または救助のための特例」を定めている。すなわち場外離着陸の禁止は「海難その他の事故に際し捜索又は救助のために行なう航行については、適用しない」とし、このような特例が認められる航空機として「運輸省、防衛庁、警察庁、都道府県警察または地方公共団体の消防機関の使用する航空機であって捜索または救助を任務とするもの」と明記されている。

 したがって、この条項を適用すれば、災害に対応すべきヘリコプターは自在に防災活動ができるわけである。もとより、これまでも、この特例による飛行はないわけではないが、その都度の特例としておこなわれているに過ぎない。

 災害は確かに忘れた頃にしかやってこない。けれども、そのための対策は特例や例外や臨時の措置として処理されるべきではない。81条の2の規定も日常的、恒常的な体制の中に組みこんで、該当するヘリコプターがいつでも自在に飛べるような体制をととのえておき、人命救助はもとより、消防や犯罪の防止に使われるべきであろう。>

  

 上の日本文に対して、機械が訳してくれた英文は、表題が「Helicopter prevention of disasters and air laws」となっていた。なぜ disasters と複数になるのかよく分からない。英和辞書をひいてみると、複数の例は出ていない。しかし和英辞書をひいてみると まさに災害防止は prevention of disasters と書いてある。どちらが正しいのかよくわからぬまま、ここは disaster prevention by helicopter ということにする。

 さらに何故 law に s がついているのかも分からない。航空法が複数の関連法規類の集まりであることを示そうとしているのか、第1条から162条までの多数の条項の集まりであることをあらわしているのかとも思うが、和英辞書で民法や商法をひいてみると the civil law とか the commercial lawと書いてあり、かつ冠詞がついているので、正解は the air law ではないかと考えた。

 したがって最終的な表題は「Disasters Prevention by Helicopter and the Air Law」ということになる。

 こんな調子で全体に手を加えてゆくのは大変な労力と時間がかかり、かつ能力が要求される。しかも出来上がりが正しいのかどうか、きわめて怪しい。それに検討の経過をいちいち書くのも煩わしいし、お目にかけるだけの英文ができたかどうか自信がないので、あとは省略することにする。

 ただ一つだけ、日本語で「その都度の特例としておこなわれているに過ぎない」と書いたところを、機械は「This is just also performed as a special case of the capital degree.」とやってくれた。初めは何のことか分からなかったが、ふと気がつくと「その都度」をその(the)都(capital)度(degree)と分解して訳してくれたのであった。

 コンピューターというのは、ときにこんなユーモアで笑わせてくれるわけで、ワープロの誤変換に相当するものかもしれない。たとえば地方公務員が痴呆公務員になったり、国会議員が黒懐疑員になったり、自治省消防庁が爺痴症焼膨張になるようなものではないかと思うのである。

(西川渉、97.10.26)

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