ヘリコプター救急

ドイツは論理的、イギリスは自発的、スイスは国民的

そして日本は?

 

 先日、日本航空協会の『航空と宇宙』月例講演会で「世界のヘリコプター救急と日本」という話をする機会を与えられた。海外諸国のヘリコプターによる救急システムが今どんな状況にあるかを見てゆきながら、日本のあり方を考えるというのが話の構成である。

 その中で、具体的な詳しい話は別として、各国の特徴をひとつかみに要約したのが別表である。どの国も人命救助という目的は同じであり、見たところも変わりがない。しかし緊急電話の受付けからヘリコプター出動の判断など、さまざまな手続きを経て、最後に医師またはフライトナースが患者のもとへ駆けつけるまでのシステム、さらに費用負担のやり方などは国によって異なり、それぞれに特徴がある。

 ドイツは、いかにもドイツ人らしい論理的、体系的な裏づけによって、洩れのないがっしりした構造を組み上げ、国土の九十五%以上を救急ヘリコプターでカバーしている。そのドイツ的な理念とは、まず医師を現場に送りこむこと、それも十五分以内に到着し、その場で初期治療に当たることで、この考え方は今では欧州全体に広がって、救急体制の常識となっている。

 その有様を見て、ドイツやフランスは医者が余っているから現場に出てゆくのだという人がいるが、根本のところで考え違いをしているのではないか。欧州のヘリコプター救急が一種の失業対策であるなどといえば、医師も患者も救われない。やはり必要あってこそ現場に行くのであり、もし日本の医師が不足しているとすれば、必要を満たせるように人数を増やすなり救急の方法を変えるなり、何らかの手をうつべきであろう。昔は日本でも医者の往診はごく普通におこなわれていたことである。

 こうしてドイツの場合、一九七〇年に一万九千人を超えたアウトバーンの事故死は一九九三年には三分の一に近い七千人以下にまで減少した。

 フランスはほかの国と異なり、救急機関が独立している。電話番号も警察や消防とは別で、救急は十五番、泥棒は十六番、火事は十七番。そして全国百か所以上の十五番の電話口には医師が待機していて、怪我や急病などのあらゆる緊急事態に対応してくれる。

 対応の仕方は、病気に対する助言から、近所の開業医への往診の依頼、そしてドクターカーや救急車の派遣、さらにはヘリコプターの出動ということになる。ただしヘリコプターの配備はまだ十分ではなく、ドイツの配備密度にくらべて半分以下である。これから増えることであろう。

 イギリスは昔から社会保障制度がゆきわたっていたせいか、新たにヘリコプターを導入することには政府として余り熱心ではない。旧来の体制で充分というのかもしれぬが、国民の間には他国の状況を見ていて、やはりヘリコプター救急が必要と考える人も多い。そのため現在では全国十一か所で住民の寄付や企業のスポンサーによる救急ヘリコプターの運航がおこなわれている。

 その中で特にうまく行っているのが、ヴァージン・グループがスポンサーになっているロンドンの場合で、ロイヤル・ロンドン・ホスピタルの屋上に待機するヘリコプターは年間千回以上の出動をして、ロンドン市内の至るところ――たとえばトラファルガー広場、ウェストミンスター寺院前、ピカデリーサーカスなどの路上にも着陸し、医師による現場治療にあたっている。

 しかし、その成果の割に政府の態度は依然として冷たい。いっこうに腰を上げないのを見て、同病院のリチャード・アーラム博士は「政府は国民から高い税金を取り上げ、それを兵隊に払うばかりで、看護婦には払わない」と皮肉な諧謔を飛ばしている。

 スイスは赤十字に準ずる「スイス・エア・レスキュー」REGAが十五機のヘリコプターを運航している。その費用の半分以上は国民の二割の人びとからの寄付で、一人当たり年間約二千円を払えば一種の保険をかけたのと同じような結果になり、万一の場合はヘリコプターで助けて貰える。残りの費用は健康保険でまかなわれる。

 アルプスの山岳地が多いために配備の密度はドイツよりも濃く、日本の面積に当てはめるならば百十機以上の配備に相当する。これで国土のほぼ全域――山深いところでも十五分以内にヘリコプターで医師を送りこむ体制ができている。

 アメリカは病院経営の改善と拡大のためという性格が強いが、目的が何であろうと、それによって人の命が救われることに変わりはない。また医師が出かける例は少ないが、フライトナースは下手な医師よりはるかに高い救急治療の技能を持っていて、パラメディックの手を借りながら現場で治療に当たる。

 欧米諸国の以上のようなヘリコプター救急体制は、さらに一言でいうならば、ドイツは論理的な発想からはじまった体系的組織を構築している。またフランスはエリート(選良)としての官僚が考えた体制で、選良的とでもいおうか。むろんエリートとはフランス語である。またイギリスは住民による自発的な体制、スイスは国民が支える国民的体制、そしてアメリカは良い意味での商業的体制ということができよう。

ヘリコプター救急に関する主要国の特徴

特         徴

体 制

ドイツ

全国を半径50kmの円で埋めつくし、それぞれの中心部に拠点病院とヘリコプター基地を設け、世界で最も早く体系的、組織的なヘリコプター救急体制を構築、アウトバーンの高速自動車事故による犠牲者を劇的に減少させた。

理論的

フランス

消防、警察と並ぶ公的緊急機関として1986年に設置されたSAMU(緊急医療救助サービス)が運営。ヘリコプター配備は30か所前後。

選良的

イギリス

住民または企業の寄付金による運営。拠点数も少ないが、ロンドンでは模範的な救急飛行がおこなわれており、大都市の中でも至るところに緊急着陸して医師を送りこむ。

自発的

ス イ ス

山岳地が多いにもかかわらず、全国13か所にヘリコプターを配備して、国内のほとんど全域で15分以内に到着できる体制をととのえている。

国民的

アメリカ

病院経営の必要から民間ヘリコプターをチャーターして救急業務に当たる。欧州諸国と異なり医師はほとんどヘリコプターに乗らず、救急治療の権限と能力をもったフライトナースやパラメディックが現場へ飛ぶ。費用は医療保険でまかなわれるため、保険の非加入者からは取れないこともあり、回収率は8割程度。

商業的

 そこで、わが国は何と呼ぶべきか。良くも悪くも日本的というべきだろう。いっこうに腰を上げない官僚たちが縄張りの確保を胸に秘めて、長年にわたって論議と研究と実験だけを続けてきた。昨年ようやく二〜三の試行的事業がはじまったが、果たして日常的、恒常的な実用に至るのだろうか。

 ヘリコプター救急が一日も早く、わが風土に適した日本的というかたちで全国に普及することを期待したい。

(西川渉、『日本航空新聞』2000年3月30日付け所載)

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