<ストレートアップ>

警報音が鳴りだした

 

 ヘリコプターの事故が相次いでいる。6月に入ってからも2日と4日に連続して発生した。しかも、2件とも同じ会社の事故だったために、新聞やテレビはこの点に注目し、航空局も本社の立ち入り検査に及んだ。「安全管理態勢に問題がなかったか調べる」とのことである。

 筆者のところにもテレビ局3社から問い合わせの電話があり、事故の原因、会社の体質、業界の問題について解説や感想を求められた。その結果NHKの4日午後9時のニュースには録画で登場することにもなった。

 しかし本当の原因や実態はよく分からない。事故調査委員会も航空局もこれからそれらを調べるところである。おそらく明確な機材上の故障や不具合が見つからない限り、原因は「パイロット・エラー」ということになるのであろう。会社の体質にしても、管理体制を強化するための組織を設けるような指導がなされるのではないか。

 しかしパイロット・エラーの結論や管理・監督の強化だけでは事故はなくならない。パイロットがエラーをする背景に何があったのか。如何なる作業計画が立てられていたのか。計画上の無理はなかったのか。そして何か問題があったとすれば、それをなくすためにどうすればいいのか。そのあたりの実態が、しっかりと解明されなければならない。

 パイロットがエラーをしないためには、その人の資質にはじまって、資格、経験、練度の向上が必要である。これを「必要条件」とすれば、如何に必要条件が満たされても神ならぬ人間はやはりエラーをする。そのエラーを未然に防ぐには、関係者全員が相互に協力し協調するような組織的な「十分条件」が整わなければならない。言い換えれば十分条件とは上からの管理・監督の強化だけではなく、同じ立場に立って考え、注意し合うといった協調態勢である。

 新聞の論調や記者からの質問は、パイロットの飛行時間やベテランだったかどうかとか、会社の管理体制はどうだったかとか、必要条件ばかりを問題にしているような気がする。むろん必要条件は満たしていなければならないが、そのうえに「安全の文化」といった十分条件がととのっていたかどうかが事故に関連するのではないだろうか。

 もとより文化の醸成は一朝一夕にできるものではなくいし、決め手になるような方法があるわけではない。きわめて難しいことではあるが、組織の改編といった目に見えるところだけをいじっても十分条件はととのわないであろう。

 さて、以下の文章は6月の2件の事故ではなく、3〜4月の事故について考え、『日本航空新聞』に載せて貰ったものである。

 3月から4月にかけて2件の注目すべきヘリコプター事故が起こった。もとより事故は如何なるものでも注目すべきだが、この2件が特に見過ごせないのは、ドクターヘリの普及推進に当たって重要な意味を持つと思われるからである。

 本欄では去る4月12日付けの紙面で、多発するアメリカの救急ヘリコプター事故を取り上げたばかりである。その末尾に「幸いにして日本ではドクターヘリの事故はない。今後ともあってはならないが、アメリカの先例は他山の石となるだろう」と書いた。ところが実は、ドクターヘリの事故こそ無いけれども、救急飛行の事故はすでに起こっていたのである。しかもアメリカに多く見られる典型的な様相であった。

 その一つは3月30日深夜のこと、沖縄から徳之島へ救急患者を迎えに行った自衛隊機が墜落した。目的地へ着く前のことで、医師や患者は乗っていなかったが、自衛隊員4人が死亡した。もう一つは4月9日夕刻、今度は北アルプスでヘリコプターが墜落し、2人が死亡、8人が重軽傷を負った。当日早く雪の降り積もった山小屋に送りこんだ作業員6人を、午後から迎えに行ったときの出来事である。

 

 この2件の事故を、アメリカの救急ヘリコプターの事故に照らして見ると、いくつもの共通点があることに気づく。一つは気象条件の変化である。自衛隊機が徳之島に近づくと霧に包まれていた。せっかく那覇から1時間もかけて飛んできたのだ。機長は何とかしたいと考えたに相違ない。北アルプスでも雲の晴れ間を見つけて着陸したが、離陸しようとしたときは辺りは雲と風が巻いていた。

 第2は時間帯である。一つは深夜、もう一つも夕暮れ時であった。FAAの集計でも、たとえば1998年から2004年までの救急ヘリコプターの死亡事故は27件。うち21件(78%)が夜間飛行中。しかも16件が天候の悪化を伴うもので、低空飛行をするヘリコプターが夜間、霧や雲にぶつかって視界を失うと恐ろしい結果になることはよく知られている。

 3つ目は適用される飛行規則である。前回の本欄にも書いたように、最近のアメリカで問題になっているのは、救急飛行といえどもエアタクシーや遊覧などの旅客飛行に準ずる連邦航空規則パート135の規定に従って飛ぶべきだということで、自家用機と同じルールでは、どうしても安易な飛び方になってしまう。日本にも同じような旅客輸送の基準があるわけだが、2つの事故ともにその基準に適合していたとは思えない。

 このような表面にあらわれた状況の根本にあるのは、第三者には見えないけれども、機長の心理もしくは精神状態であろう。これが第4の問題で、先方で患者が待っている、冷たい雪の中で作業員が待っていることを思うと、機長は何とかして迎えに行きたいと考える。その気持はまことに尊いが、どうしても無理をする結果となる。

 そこでFAAは、天候その他の条件が悪化した場合、先へ行くか行かぬかを判断するのは機長だけでなく、運航管理者を含めた組織的な判断が必要と勧告している。むろん自衛隊の場合は危険予知のための組織があるはずだが、機長の判断がそれに勝ったにちがいない。また北アルプスの事例は、天候が悪いので今日の山小屋への飛行は断念するという連絡が会社に入っていた。とすれば、会社が判断したり助言する余地はなかったわけで、それにもかかわらず、何故か機長は作業員を迎えに行った。いずれにせよ組織的、体系的な支援体制が機能しなかったのではないのか。これが第5の要因である。

 ほかにも機長の資格と経験、同乗していたクルーとの協調関係、使用機種、安全装備などさまざまな問題があり、相互にからみ合って事故になったわけだが、もはやアメリカの事故は他山の石などと傍観しているわけにはいかなくなった。今や日本でも警報音が鳴りはじめたのである。 

(西川 渉、『日本航空新聞』2007年5月31日付け掲載)

【関連頁】

  他山の石(2007.4.20)

表紙へ戻る