<小言航兵衛>

アホの壁 

 

 15年ほど前だったか、中国で仕事をしていたとき、町の中をタクシーで走っていると、向こうから沢山の人を荷台に載せたトラックがやってきた。全員が荷台の上に立っていて、しかも後ろ手に縛られている。驚いて運転手に訊くと、罪人を刑場へ引っ張って行くところだという。その前に、ああやってしばらく連れ回すらしい。

 先日、閣僚のひとりが少年犯罪者の親を責任ある保護者として「市中引き回しの上、打ち首にすべし」と言ったとか。そのため、新聞やテレビの多くの論者たちから批判され、江戸時代じゃあるまいしという声も聞かれた。しかし、彼らの信奉する中国ではつい先頃まで、あるいは今も、その通りのことがおこなわれているのである。

 最近の青少年による一連の犯罪を見ていると、学校の先生たちからは「命の大切さを言って聞かせました」とか「夏休みに遊びにゆくときは、家族仲良く手をつないで行きましょう」などと愚にもつかぬ言葉が聞こえてくる。しかし、そんな甘っちょろいお説教や通り一遍の教訓で犯罪がなくなるはずがない。

 悪いものは悪い、悪いことはしてはならぬと、もっとビシビシ叱るべきで、言うことを聞かぬ子どもは体罰でも何でも加えればよい。親の方も「先生が子どもを叩いた」などと学校へ怒鳴りこんでくるのがいるらしいが、先生に叩かれるのがいやなら自分で叩くべきだし、それができなければ「よくぞぶん殴ってくださいました」と礼を言うのが本当だろう。

 学校の方も、怒鳴りこまれたときは、校長以下、全教職員が一致して親に謝らせるか、礼を言わせるくらいの団結をすべきである。団結するのは校長や教頭をつるし上げるときだけで、教師が親に謝ったりしていては、子どもの方もそれで良いのかと誤解して、ますますつけ上がるのは当然の成りゆきだろう。今や「愛の鞭」という言葉は死語と化してしまったのか。

 こんな子どもがもう少し大きくなると、成人式で人の言うことを聞かず、わざわざ講演会場にやってきて酒を呑んだり、高歌放吟するなど、傍若無人の振る舞いをするようになる。

 私は、この20歳前後の2年間は軍事訓練の義務を課して、成人の日は兵舎の中で行儀良く迎えるような制度をつくったらいいと考えている。もはや自衛隊は軍隊ではないなどと思っている人はいないだろうから、そのための訓練を全国民に課するのもおかしくはない。上の閣僚も「青少年育成担当」だそうだから、抽象的な施策だけではなく、是非ともこのような具体的な方策を考えてもらいたい。

 論説や説教だけで子どもの気持ちがしゃんとするはずはないし、精神の荒廃も直るはずはない。獣を調教するにはムチとアメの使い分けが必要である。アメを与えるだけで、野獣が言うことを聞くはずはないのだ。

 勉強にしても、少なくとも義務教育の段階では基礎的な知識や方法を徹底的に叩きこむべきだろう。その上に立ってこそ、まともな判断力や創造力が働くのである。ところが、20日朝のテレビを見ていたら、民主党と社民党のそれぞれの若い幹事長が詰め込み教育は良くないとか、自分も若いときは詰め込みは嫌いだったなどと得意気にしゃべっていた。

 当たり前である。誰が詰め込まれるのを好むものか。しかし、嫌いだからといって放置しておけば今のように野蛮な若者が多くなる。無理にでも詰め込み、叩き込んで、教育をほどこすのが大人の責務というものだ。

 聞けば、この両名は東大出というから驚いた。こんなのが東大とは、何か魂胆あってしゃべっているのでなければ、あれはよほどバカな学校に違いない。ましてや、そんな人間が幹事長になるような政党は、これはもう阿呆の集団としか言いようがない。

(小言航兵衛、2003.7.21)

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