死神のたやすい生贄

 

 

 米ビジネス航空協会(NBAA)の集計によると、アメリカのビジネス機はエアラインの旅客機よりもすぐれた安全記録を保持している。下表は最近5年間の実績を示したもので、1994年まではエアラインの方が良かったが、それ以降はビジネス機の方が良くなっている。

 

飛行10万時間あたりの事故件数

年次

ジェネアビ

総数/死亡事故

エアライン

総数/死亡事故

社用ビジネス機

総数/死亡事故

自家用ビジネス機

総数/死亡事故

1994

8.96/1.81

0.168/0.030

0.18/0.07

1.81/0.51

1995

8.23/1.64

0.267/0.022

0.25/0.11

2.04/0.67

1996

7.66/1.45

0.276/0.036

0.14/0.06

1.71/0.34

1997

7.29/1.40

0.310/0.025

0.23/0.06

1.41/0.39

1998

7.12/1.35

0.291/0.006

0.091/0

1.14/0.30

[出所]NBAA FACT BOOK 1999 

 

 ただし、エアラインよりも安全とされる社用ビジネス機は、専門のプロ・パイロットが操縦しているものである。1998年は特に良くて、死亡事故はゼロであった。

 上表右欄の、社長みずから操縦しているような自家用ビジネス機は矢張り事故率が高い。普段ほかの仕事をしていて、出張となると自分で操縦して飛ぶ。そういう飛行の場合は専門のパイロットよりも事故が多くなるのは当然であろう。

 今回のジョン F.ケネディJr.の事故がそうであった。普段は雑誌「ジョージ」の編集長をしていて、週末になると趣味の飛行機に乗る。それも単純な周回飛行ではなくて、何時までにどこそこへ行かねばならないという、趣味と仕事を兼ねたような飛行であった。

 だから、日没前後という危険な時間に飛んでしまったのだと、アメリカの新聞「USAトゥデイ」は書いている。本当はケネディJrだって好きこのんで、そんな時間に飛んだわけではない。しかし同乗予定の妻の姉がなかなか仕事から抜け出せず、しかも空港までの道路が混んでいて遅くなってしまったらしい。

 ケネディ機は午後8時38分、エセックス・カウンティ空港を離陸した。緯度の高いニューヨーク周辺で、しかも夏時間だから、午後8時といってもまだ陽が照っていただろうし、日没は9時頃だったのではないか。日本ならば物の怪が出るといわれる黄昏時(たそがれどき)である。まさにその時刻――離陸から1時間ほどたったときケネディJrは背後から死神に抱きつかれ、眼をふさがれて海中に突き落とされたのだ。

 彼は昨年4月に自家用の操縦免許を取ったばかりだった。以来15か月間の飛行時間は、せいぜい200時間。最初の1年間はセスナ182に乗り、今春パイパー・サラトガUHPを購入した。FAAに登録したのは4月30日である。

 したがってパイロットとしての経験が十分でなかったばかりでなく、サラトガ機にも不慣れであった。しかるにサラトガは高性能機である。エンジンはセスナ182の250hpに対して300hp、巡航速度は250km/hが320km/hになった。余談ながら、ケネディJrのサラトガには豪華な革張りのシートがついていて、価格は35万ドルだったという。

 そんな小型機を駆って1時間、暗い海上に月明かりは少なく、空はもやっていた。大気汚染と湿気の混じり合ったスモッグである。真っ暗な海上には目標物もなく、水平線も見えず、上下左右の見分けすらむずかしくなってきた。ベテラン・パイロットでも困難を覚える状況で、死神の狙い通りの条件がととのったのである。

 上の表に見るように、ジェネラル・アビエーションの事故はエアラインよりも多い。1998年は1,908件の事故があった。うち死亡事故は361件である。10万時間あたりにすると表に示すように7.12件と1.35件になる。

 その内容を見ると、この表にはあらわれていないが、夜間飛行中の事故が昼間の事故の5倍である。しかもカナダのジェネラル・アビエーションの事故に関する統計分析が実証しているように、計器飛行資格のないパイロットが気象条件の悪化に遭遇すると死亡事故になりやすい。特に今回のケネディJrのようなきわどい気象条件で夜間飛行をすると、その危険性は昼間の100倍にも達する。

 そんなときに、経験の浅いアマチュアが飛ぶべきではなかったかもしれない。けれどもアメリカの新聞は 気象条件の悪化はプロでもアマでも同じように襲ってくるのだから、ことさらケネディJrが向こう見ずで無鉄砲なパイロットだったというわけではない。誰にでもあり得ることが起こったのだと弁護している。

 「USAトゥデイ」によると、昨年FAAに登録されていた自家用パイロットは345,267人で、平均年齢は46歳だったという。その大半は男性で、女性は25,385人である。

 またジェネラル・アビエーションの飛行時間は年間2,700万時間以上。これに乗って飛んだ人は1億4,500万人に達する。小型機がこんなに多く使われるのも、アメリカでは運航費が安いからである。1時間85ドルくらいで、ゴルフに行っても1回100ドルくらいはかかる。

 アメリカで自家用パイロットのライセンスを取るのは、そんなに難しくない。費用も余りかからない。日本からも大勢の人がアメリカへ操縦ライセンスを取りにゆくほどで、条件は年齢17歳以上で英語が流暢(りゅうちょう)に話せること。そして少なくとも40時間の飛行訓練を受け、筆記試験と実地試験の両方に合格すればよい。実際はライセンスを取るまでに70時間くらいの訓練が必要になる人が多いが、それでも最終的な費用は3,000ドルから6,500ドルくらいであろう。好きな人にとっては、大した金額ではあるまい。

 また1998年現在、FAAに登録されていた有資格のパイロットは総数618,298人。そのうち半数に近い300,183人が計器飛行資格者であった。

 こういう統計から見ても、ケネディJrの場合は平均的なパイロット像をはるかに下回る素人であった。その未熟なアマチュア・パイロットが「フライト・プラン」も入れずに夜間の洋上に飛び出した。アメリカの有視界飛行はフライト・プランを入れる必要はないが、万一の場合を考えるとあらかじめ飛行計画をFAAにファイルして、途中のレーダー監視を依頼すべきだった。ケネディJrの友人の1人は、それがしてなかったことを聞いて、「なんと馬鹿な」と新聞紙上で嘆いている。

 こういう依頼は、自家用パイロットがよくやることらしい。また、そうしておけば途中で管制官のアドバイスを受けることもできよう。しかるにケネディJrは離陸時を除いて、飛行中一度も管制との無線交信をしていない。

 死亡事故の半分以上は、パイロットの技量不足よりも判断の誤りが大きいという。しかし、今回の事故は技量不足はもとより、判断能力にも欠けたパイロットの事故だったといえるのではないか。

 死神にとっては、いともたやすい生贄(いけにえ)だったに違いない。 

(西川渉、99.7.24)

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