<救急ヘリの危機管理――1>

なぜ老練パイロットが事故を起こすのか

 

 この夏、わが国ドクターヘリの拠点病院が10ヵ所に増えた。拠点ごとの出動回数も増え、救急現場の未知の場所に着陸する例も増えてきた。懸案の高速道路の救護も最近、東名高速での事故に際し、ドクターヘリが2度にわたって着陸治療にあたるなど、欧米なみのヘリコプター救急体制が進んできた。

 しかし、そうなると事故の発生も欧米なみになる恐れがある。とりわけ救急現場の近く、あらかじめ設定されてなかった初めての場所に着陸する事例が増えると、それに伴う危険性も高まる。

 そうした危険性の増加に対しては、どのような安全策を講じておくべきか。救急ヘリコプターの危機管理は如何にあるべきか。その参考とするために、しばらくの間、アメリカ連邦航空局が出しているマニュアル『救急ヘリコプターの危機管理』(Risk Managment for Air Ambulance Helicopter Operators)を読んでゆきたい。

 この手引書はA4版50頁。1989年6月に刊行されたもので、やや古いように思えるが、安全対策に新しいも古いもない。特に、日本のヘリコプター救急はまだ緒に着いたばかりで、アメリカの80年代以前の状態にある。そんな段階から先を見越して、将来に備えておくのもいいであろう。

 内容は下表のとおりである。

FAAマニュアル『救急ヘリコプターの危機管理』内容

第1章 マニュアルの目的
 1 ヘリコプター救急の歴史
 2 救急事故の歴史
 3 パイロットの適性

第2章パイロットにかかる圧力
 1 パイロットの性格
 2 リスクの定義

第3章 危機管理
 1 運航管理者の責任
 2 病院管理者の責任
 3 運航部長の責任
 4 事業本部長の責任
 5 安全管理担当者の責任
 6 整備部長の責任
 7 医療クルーの責任
 8 地上員の責任

第4章 危機の評価
 1 パイロットの選定と訓練
 2 組織
 3 要約

第5章 運航者の留意点
 1 訓練
 2 管理
 3 運航
 4 疲労

米ヘリコプター救急の現状

 いったいアメリカにはどのくらいの救急ヘリコプターが飛んでいるのだろうか。今年初め、ワシントンにある米航空医療学会(AAMS)を訪ねた折りに聞いたところでは、ヘリコプター数は推定571機、サービス・プログラム数は推定253とのことだった。

 プログラムの中には、病院が主体となって民間運航会社からヘリコプターをチャーターしているものや、救急専門会社がヘリコプターばかりでなく固定翼機や救急車を運用しているもの、あるいは警察や自治体など公的機関がヘリコプターを飛ばしているものがある。

 これらのヘリコプターの年間飛行時間は20万時間前後。救護された患者数も20万人程度と推定される。

 そして交通事故による死者は、毎年42,000人前後でなかなか減らず、2003年は42,643人だった。うち4割くらいが酒気帯び運転だったらしい。

[注記]この8月、国際ヘリコプター協会(HAI)の出した文書によれば、アメリカの救急専用ヘリコプターは現在およそ650機、飛行時間は30万時間以上という。

救急ヘリコプターの事故

 アメリカの救急ヘリコプター界の最近の問題は、事故の多いことである。この5年間のヘリコプターの死亡事故は下表のとおりだが、昨2004年は死者の数が最も多い。原因はどこにあるのだろうか。

米ヘリコプターの死亡事故

年   次

2000

2001

2002

2003

2004

ヘリコプター事故

事故総数

114

94

98

104

91

うち死亡事故

23

14

18

22

23

うち救急ヘリ事故

事故数

12

13

16

18

11

うち死亡事故

4

2

5

4

6

 大半はパイロット・エラーとかヒューマン・ファクターといわれる部類で、計器飛行の資格がない、障害物探知警報を装備していない、訓練不足、操縦ミスなどの要因が複雑に重なり合って事故に至ったものとされている。

 だが費用をかけたからといって、事故がなくなるわけではない。救急飛行そのものが本質的に、危険な要因を内包しているのである。低空を高速で飛んで救急現場に駆けつけ、咄嗟の判断で未知の場所に着陸しなければならない。そんなときに電線や立ち木などの障害物があったり、天候が急変したらどうなるか。

 いまから5年前の2000年4月、救急ヘリコプターの事故を食い止めようとして、上のAAMSを中心として国際ヘリコプター協会(HAI)、シコルスキー社、ヘリコプター運航会社、救急パイロット協会などが「救急ヘリコプター事故防止委員会」を設置して、対策に取り組んだ。

 その結論は、いくつかの勧告となって発表された。夜間飛行や山岳飛行の訓練強化、衝突警報装置、電波高度計、防氷装置などの取りつけ、気象情報の重視と慎重な判断、計器飛行の訓練と資格の取得などである。

 しかし、それから4年ほど経過して、事故はいっこうに減る様子がない。ということは、これらの勧告を実行した運航者がほとんどいなかったからではないか。「あの勧告文書も、今頃はどこか棚の上でほこりをかぶっているだろう」というのが委員たちの自嘲でもある。

 もっともアメリカの救急ヘリコプターの4分の3は大手ヘリコプター会社が運航している。彼らは、それなりにパイロット訓練を強化し、機体の安全装備も充実している。

 FAAも動きだした。救急ヘリコプターの運航会社に対し、パイロットや整備士の判断能力を高め、作業や操作に念を入れ、CRMを徹底し、プロフェッショナルとしての意識をもたせるよう求めている。

事故を招くプレッシャー

 さて、救急ヘリコプターの『危機管理マニュアル』に目を移すと、冒頭のまえがきには、スペース・シャトル「チャレンジャー」の事故が引用されている。1986年1月28日朝、打ち上げ直後の宇宙船が爆発し、乗っていた宇宙飛行士7人が死んだのは何故か。直接の原因はブースター・ロケットのOリングの不具合だが、そこに至る経過は不具合が報告されていたにもかかわらず、危険性が過小に評価されたためであった。

 そして最後の決断を下したのはNASAの打ち上げ責任者ということになるが、その人物の頭の中には政治家を満足させ、アメリカ国民を喜ばせ、NASAの宇宙計画をスケジュール通りに推進させたいという強い願望があったに違いない。

 これをプレッシャーと言い換えることもできよう。プレッシャーといっても、外部からの圧力ばかりではない。自分自身の中から突き上げてくる圧力もある。それらが相まって、危険な判断を下し、最悪の事態を招いたのであった。

 同じようなことは、ヘリコプター救急にも起こり得る。パイロットならば、自分が今ここで飛ぶことによって瀕死の患者さんが救われる。家族が喜び、病院は本来の使命を達成し、自分の所属する会社の利益にもつながる。パイロットでなくとも、運航管理者や医療スタッフも似たような気持ちになるであろう。むろん通常はそれで良い。仕事は果敢に遂行され、みごとに達成される。

 だが使命感というプレッシャーに圧される余り、些細な見落としがあったり、天候の急変を軽視したりすると重大な事故を招く。その結果、パイロットのエラーばかりでなく、無理な任務割を指示した運航部長や、不適切な運航規程をつくった運航担当役員、訓練費を出ししぶった経理担当重役、さらには適性のないパイロットを雇用した社長にまで責任が及ぶかもしれない。

 さらに事故の遠因は、運航会社内部ばかりでなく、病院や緊急機関にもつながってゆくであろう。

救急業務トップのあり方

 そこで本書は先ず、救急ヘリコプターの安全を確保するには、救急事業を推進する責任者のあり方がきわめて重要な要件であるとしている。

 それによると、このマニュアル刊行の1年前、米国運輸安全委員会(NTSB)は救急ヘリコプターの運航に関する実態調査をおこなった。その結果、「病院側の救急責任者のあり方は、救急ヘリコプターの安全に重大な影響を及ぼす。病院側の責任者とヘリコプター会社の責任者との間に充分な意思の疎通があるかどうかが、救急飛行の安全を左右する」という結論を出している。

 日本でいえば救命救急センター長とか、その下のヘリコプター担当の病院職員であろうか。ヘリコプター運航会社の方は社長もしくは事業本部長、運航部長などであろう。このトップに立つ人たちがヘリコプター救急業務を現場の担当者だけにまかせきりにしていると問題が起こり、安全が損なわれるというのである。

 しかも、これら双方の責任者は相互に理解し合って、共通の考え方を持っていなければならない。逆に、双方の言動に食い違いがあると、ヘリコプターに乗るパイロットの気力や判断力、そして危険予知などの精神面、心理面に影響する。無論パイロット以外の関係者にも悪影響を及ぼすであろう。

 上述のスペースシャトル事故が、まさか乗組員の責任だと思う人は誰もいないであろう。同様に、救急ヘリコプターの出動も乗員だけの問題ではない。むしろ、それを送り出す方の発言や行動、もしくは無関心こそが乗員の心理に影響し、判断力をにぶらせ、安全を損なうのである。上下左右の関係者が普段から気持ちを通じ合い、同じような考え方をしていなければならないのだ。

事故要因の大半は気象条件

 ヘリコプターの事故は一般的に、救急飛行に限らず、大半がパイロットのエラーに起因するとされる。1974〜84年の10年間の民間ヘリコプターの事故を見ると、原因の64%が「パイロット・エラー」となっている。もっともパイロット・エラーという結論は、ほかに明確な原因が見つからなかったとき、安易に持ち出されるきらいがある。

 では、エラーの内容はどんなことか。NTSBは1988年、救急ヘリコプターだけの過去2年間の事故を調べたところ、次のような結果が出た。

 事故の86%は巡航飛行中に発生しており、67%は気象条件に関連する要因が直接原因であった。そのうち約7割は夜間飛行中に天候が悪化して事故に至り、3割は昼間の飛行中に天候が悪化したものである。

 すなわち、ほとんどの事故が気象条件に関連していた。したがって天候の悪化に対処できなかったとすれば、パイロット・エラーといわれてもやむを得ないであろう。しかし実は、天候悪化のために事故を起こしたパイロット15人のうち13人が計器飛行の免許を持っていた。本来ならば対処できないはずはないのである。

 そのうえパイロットとしても経験豊富な人が多く、天候悪化による事故機のパイロットは、飛行時間の中央値が5,500時間であった。

 では何故、こうしたベテラン・パイロットが救急飛行となると事故をおこすのだろうか。

老練パイロットの初歩的ミス

 同じような問題について、米連邦航空局(FAA)は、さらに細かい調査と分析をしている。すなわち1974〜84年の事故調査の結果から得たところによると、パイロット・エラー、もしくはヒューマン・ファクターといわれる事故原因は、全体の83%を占める。そして大きく2つに分かれる。ひとつは操縦操作ミスで42.2%を占める。もうひとつは状況判断もしくは決断の誤りで、40.8%を占める。

 操作ミスの内容は、9割以上が次の3種類であった。一つは、エンジン故障や燃料切れなどでオートローテイションに入ったとき、ローター回転数や飛行速度の維持を誤る。第2は操縦操作の誤り。第3は障害物を見落としたり、避けられなかったりしたものである。

 もうひとつの決断または判断の誤りは、55%が次のような3種類であった。第1は飛行前の準備不足、または判断の誤り。第2は不充分な飛行監視、もしくは予見の不足。第3は燃料管理の失敗、状況判断の欠如である。

 以上、6種類の錯誤や失敗は、パイロットがしばしば陥りやすい隠れた危険、すなわち罠(わな)である。では、何故パイロットはそうした罠にひっかかるのだろうか。ベテラン・パイロットが何故そんな初歩的なエラーをするのだろうか。その基本的、根本的な原因は何であろうか。(来月号へつづく) 

(西川 渉、「ヘリコプタージャパン」2005年8月号掲載)

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