<救急ヘリの危機管理――2>

パイロットを待ち受ける心理的陥穽

 

 本稿先月号は、いかに老練のパイロットでも、救急飛行となると初歩的なエラーを犯しやすい。その理由は何故かという疑問を残したままで終わった。答えは、別に突飛なことを書くつもりはない。本誌の読者ならば、すでにお気づきのことであろう。

 パイロット自身の心理的な問題と、パイロットを取り巻く組織的な問題である。その双方がほぼ半分ずつの重みをもってパイロット・エラーを惹き起こすのである。

 以下詳しく米連邦航空局(FAA)が出しているマニュアル『救急ヘリコプターの危機管理』(Risk Managment for Air Ambulance Helicopter Operators、June 1989)の第2章を読んでゆこう。

パイロットの性格

 救急飛行の危険性を考えるに当たって、最も重要な要素はパイロットにかかる精神的、心理的なプレッシャーである。これには先にも述べたように外部からの圧力ばかりでなく、パイロット自らの内面的な圧力もある。たとえばヘリコプターの利用率を高めたいとか、人道的な任務をやりとげたいといったことである。

 気象条件にしても、ほかの仕事ならば飛ばないような天候でも、救急となると多少の無理をしてでも飛ぶ方に決断する。しかも救急飛行は未知の場所に着陸することが多く、周囲には立木や電線や建物などがあって、難易度はさらに大きくなる。

 こんなとき、パイロットの心理状態としては、次のようなものであろう。

 このような心理的な働きは、もとより人によって重みが異なる。ある人は何とかして人助けをしたいという気持ちが強いだろうし、ある人は仲間の間でいい顔をしたいと思うだろう。金を稼ぎたいと思う人は少ないかもしれぬが、人それぞれの個性があって、心理的な反応も異なる。しかし、いずれにせよ、そうした個性は容易に変わるものではない。

 また、こうした心理的動機の根底にあるのは、ヘリコプターが低速で自在な飛行が可能であり、いざとなればどこにでも着陸できるという安心感、もしくは油断がある。

 さらに救急飛行のパイロットは経験豊富なベテランが多い。それでいてエラーが多くなるのは、おそらくベテランであるだけに任務を完遂し、成功を求める自負が強くなる。さらに長年の飛行経験の中で、これまでも何度か危険な目に遭遇しながら、うまく乗り切ってきたという自信がある。そこから、つい誤った判断や決断を下して、事故に至るのである。

組織的な判断と行動

 このようなパイロットの心理状態を危機管理という観点から考えるならば、いかにベテランだからといってパイロット独りだけに何もかも頼りきって、状況判断も一切まかせているようでは、エラーを防ぐことはできない。

 そこで、組織的な判断と行動が必要になる。だからといって、組織の業務マニュアルのようなものに従っているだけでは不充分である。マニュアルの遵守は単なる必要条件に過ぎない。その必要条件に加えて、十分条件がなくてはならない。それが先月号の冒頭に述べた救急事業の最高責任者の考え方と言動である。

 責任者はパイロットを初め、組織全員の心理的、身体的、社会的な状態を把握していなければならない。それには、さまざまなやり方があろう。各人と個別に話をするとか、職場を回るとか、大勢で会合や会議を開くとか、ときにはみんなで一緒に食事をするとか、責任者の誰もが同じである必要はないが、それぞれのやり方で把握しておく必要がある。

 言い換えれば、事故の原因がパイロット・エラーといっても、その内容はさまざまである。米陸軍は1987年、軍用ヘリコプターの大事故(すなわち機体の大破、重傷者、死亡者、終身障害者を生じたような事故)について調査し、その原因がヒューマン・エラー(人的失敗)と見られるものを、個人的エラーと組織的エラーに大別した。

 その結果は表1に示す通り、個人的エラーが52%、組織的エラーが48%であった。すなわち人的エラーによる事故の原因は、個人と組織が半々というものであった。

表1 パイロット・エラーの原因

個人的エラー(52%)

  • 不注意
  • 不充分な心構え
  • 自信過剰
  • 精神的不安定(落ち着きのなさ)

組織的エラー(48%)

  • 経験不足
  • 監督不行き届き
  • マニュアルの欠如
  • 機材不良
[資料]米陸軍、1987年

 これらの要因を、もう少し具体的に抽出したのが表2である。こちらの方は民間救急ヘリコプターの事故をまとめた米運輸安全委員会(NTSB)の報告書に基づくもので、表1との間に直接の関係はないが、狙いは同じである。すなわち事故の要因を、パイロットの個人的要因と組織的要因に分けて整理してある。ただし、どちらが多いか少ないかといった統計的な処理はなされていない。

 

表2 救急ヘリコプターのリスク要因

パイロット自身の要因

  • 資格(免許証、身体検査証、経験)
  • 操縦技量
  • 判断(飛ぶか飛ぶべきでないか、気象状態の予測)
  • 気象情報(飛行前計画、地勢の知識、最低気象条件の認識)
  • 疲労(業務外の活動、健康状態、栄養)
  • ストレス(医薬、アルコール、自分または家族の心配事)

組織的要因

  • 資格(訓練の実施)
  • 責任の所在
  • 判断(任務の影響)
  • 事業の競争状態
  • 気象予測(航空局の規定、情報入手のたやすさ、情報の精密度、会社の最低気象条件)
  • 疲労(勤務割、パイロット数、業界の基準)
  • 経営管理(業務規定、管理者、将来見通し)
  • ヘリコプターの信頼性/設計
  • ヘリコプターの耐衝撃性
[資料]NTSB、1988年

 ここに示すように、パイロットの責任は、各ミッションごとの飛ぶか飛ばないかの最終的決断、気象条件のリスクについて充分に熟知しておくことなど、多くの重要な要件が含まれる。

 しかし同時にまた、この表2から、救急飛行の危機管理には、さまざまな関係者、病院管理者、航空局、ヘリコプター・メーカーなどがかかわっていることも分かるであろう。

事故のお膳立て

 以上がFAAマニュアルの第2章である。事故の要因はひとりパイロットに起因するだけでなく、それと同じ程度をもって所属会社や病院、その他の機関とも関係していることが、実際の事故分析から明らかになった。

 むろん事故の原因は人的要素ばかりではない。機械的な故障によって起こることもある。かつてヘリコプターそのものが脆弱だった頃は、エンジンやトランスミッションなど機械的な故障が多く、事故の原因としても人的要因を上回っていた。

 しかしヘリコプターの安全性が高まり、機械的な故障が少なくなってからは、人的要因の割合が多くなった。特に最近は機械の方が進歩し過ぎたためか、却って操作ミスを招くといったことも起こるようになった。その結果、FAAによれば、ヘリコプター事故の全体ではパイロット・エラーが64%になる。しかも救急飛行では90%に達するほどである。

 ただしパイロット・エラーといっても、事故の引き金を最後に引いたのはパイロットかもしれないが、そこまでのお膳立てをしたのは周囲の関係者というのが、このマニュアルの説くところである。そこで第3章は先月号の内容表で示したように、パイロット以外の関係者――運航管理者、病院管理者、運航部長、整備部長、医療クルー、地上員などの責任について述べるわけだが、その詳細は来月号でご紹介したい。

 その前に、ここでは米ロッキーマウンテン・ヘリコプター社のある役員の論文をご紹介したい。同社は、かつては山岳地の物資輸送が主な仕事であったが、近年は70機以上のヘリコプターを救急に飛ばしており、救急に関してはアメリカ最大のヘリコプター会社である。

 その論文によれば、状況認識もしくは状況判断が明快に、的確になされないと危険を招くとして、パイロット個人も組織としての会社や病院も、表3のような点に気をつける必要があると説明している。

 

表3 救急飛行の心理的落とし穴

1 固定観念

思いこみが強すぎて、他のことに目がゆかない。

2 曖昧模糊

ものごとの実態がよく見えていない。

3 自己満足

いつの間にかひとりよがりに陥って、守るべき安全基準を下げてしまう。

4 自信過剰

余りに楽観的な考えになってしまう。

5 勇猛果敢

危険に対する内省心や自制心を失う。

6 注意散漫

目の前の仕事に精神が集中できない。

7 多忙閑暇

待機中はひまを持て余し、出動がかかると急に忙しくなる。

8 連絡不足

関係者との連絡不充分のまま、推測だけで判断する。

9 時間超過

ぐずぐずしていて、時間がかかりすぎる。

10 規則違反

急ぐ余り確認事項や操作手順を省略したり、運航規程や法規類を無視する。

[資料]ロッキーマウンテン・ヘリコプター社

先ず自分の無事を考える

 表3のような心理状態、もしくは陥穽に落ち込まぬためには、どうすればいいのだろうか。ロッキーマウンテン社では、一にも二にもコミュニケーション――すなわち相互の連絡、報告、相談、対話であるとしている。自分の心を開いて、人と話し合うことが重要というのだ。

 たとえば連絡が遅れて情報不足のまま決断を下したり、離陸地の標高や機体の総重量を確認しないまま飛び上がってパワー不足におちいったり、会社の規定を守らずに無理に狭い場所に着陸しようとしたり、夜間の薄暗い中で周囲の照明が足りないまま離陸しようとしたり――いずれも些細なことのように見えて、危険な事態を招くことばかりである。

 事実、夜間出動が3分の1を占めるアメリカの救急業務では、事故の3分の2が夜間飛行で起こる。つまり夜間の方が昼間の4倍という事故率になるのである。

 したがってパイロットは自分だけの判断、誰か1人だけの意見、どこかひとつだけの情報に頼らず、できるだけ多くの人の話を聞き、たくさんの情報を集め、最後の判断を下すべきだと忠告している。

 同時にまた、パイロットの周囲にいる関係者も、組織自体が落とし穴に落ち込まぬよう、相互に協力し合って、組織的な努力をする必要がある。もしもパイロットが疲れた様子を見せたり、元気をなくしたり、逆に大胆に過ぎるような場合は、注意をしなければならない。

 飛行中も乗っているもの同士、声を掛け合うことが重要である。「燃料は大丈夫かな」とか「離陸後2分経過」とか「2時の方角に飛行機が見える」とか、ごく簡単なやりとりで意識を清明に保つことができる。

 神ならぬ身の人間は、どうしても失敗をする。それを防ぐのが組織の協力体制である。

 救急飛行には患者の命がかかっている。だからといって自分の命をかける必要はない。患者を無事に病院へ送り届けたいと思うならば、自分がまず無事に戻ることを考えるべきであろう。(来月号へつづく

(西川 渉、「ヘリコプタージャパン」2005年9月号掲載)

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